使命

ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」(集英社文庫)(ISBN:4087603512)を読み終えた。
知的で密度の高い小説だから、じつにさまざまなことを考えさせられる。感想を書き出したら切りなく書けそうに思うが、今日は一つだけに絞って書こうと思う。
トマーシュは、テレザを追ってチェコに帰国し、最後は農村でテレザと暮らしながらトラック運転手となる。彼は、テレザ以外のすべてを失ったように見える。テレザは、トマーシュがぼろぼろのトラックのパンクを修理するところ眺め、自分が原因で彼をここまでつれてきてしまったことに思い至り、トマーシュにこう話しかける。

・・・「トマーシュ、あなたの人生で出会った不運はみんな私のせいなの。私のせいで、あなたはこんなところまで来てしまったの。こんな低いところに、これ以上行けない低いところに」
 トマーシュはいった。「気でも狂ったのかい?どんな低いところについて話しているんだい?」
・・・
「テレザ」と、トマーシュはいった。「僕はここで幸福なことに気がつかないのかい?」
「あなたの使命は手術をすることよ」と、彼女はいった。
「テレザ、使命なんてばかげているよ。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ」
彼の正直な声を疑う理由はなかった。

いまの自分の仕事は、「使命」というほど大げさなことではないけれど、ここに踏みとどまって戦う価値のあるものという思い入れはある。しかし、踏みとどまっていることで、今は、疲れてしまっている。仕事のことで眠れない夜を過ごしているとき、これを投げ出してしまうとどうなるのだろうかと思うことがよくある。
トマーシュは、「僕はここで幸福なことに気がつかないのかい?」という。もし、ここで踏みとどまることをやめ、つれあいとふたりでひっそりと暮らすことにしたら幸せでいられるのだろうか。トマーシュは、なぜ「ここで幸福」なのだろうか。
夏目漱石の小説のなかで、個人的には「門」(岩波文庫)(ISBN:4003101081)に心惹かれる。「門」では、なかば社会から放逐された宗助と御米のふたりが、肩寄せ合ってひっそりと暮らしている。社会から背を向けたふたりがつくる小宇宙にあこがれの気持ちが、この小説を好きにさせているのだと思う。
しかし、「門」のなかのふたりの小宇宙はけっして安定したものではない。その小宇宙は、ささいなできごとで揺さぶられてしまう。最終的には、この小宇宙は危機から脱して、守られるのだけれども、また危機が訪れるであろうことを暗示する会話で終わっている。

「本当にありがたいわね。漸くの事春になって」といって、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

トマーシュとサビナが、宗助と御米が押し流されてたどり着いた小宇宙は、ファンタジーなのだろうか、実在しうるものなのだろうか。自分は、今ここに踏みとどまるべきなのか、小宇宙に向かうべきか、真剣に考えている。