ソビエト連邦とアジア四小竜

マックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(岩波文庫 ISBN:4003420934)を読みながら、そういえば、昔、儒教文化と資本主義の親和性という実に粗雑な議論があったことを思い出した。今は、BRICsだけれども、そのころは、アジア四小龍(ちなみに、シンガポール、香港、台湾、韓国の四か国のこと)がもてはやされていた。アジアの通貨危機をきっかけにしてアジア四小龍の神話は吹き飛んでしまったけれど、BRICsはどうだろうか。
フォーリン・アフェアーズに掲載された歴史的論文を集めた「フォーリン・アフェアーズ傑作選1922-1999(上・下)」(朝日新聞社 ISBN:4022575638, ISBN4022575646)を眺めていると、一時的な流行に乗り今ではすっかり賞味期限が切れている論文と、時代を超えて現在でも通用する論文と、はっきり分かれる。アジア四小龍の議論が華やかだった1994年に書かれたポール・クルーグマン「まぼろしのアジア経済」は、いまでも納得できるし、示唆に富んでいる。
今回は、引用ではなく、内容を要約してみようと思う。

  • 経済成長の要因は、投入の増大(労働力の拡大、教育レベルの向上、物的資本への大規模な投資などによる)と、投入一単位あたりの産出量の増大(主に知識の増大による)に分解できる
  • 生産効率(投入一単位当たりの産出量)の上昇を伴わない投入の増大による経済成長には限界がある
  • 1950年代から1960年代のソビエト連邦の経済成長は、ほどんど投入量の増大(農村から都市への人口移動、女性の労働力としての徴用、労働時間の増大、工業生産の大きな部分の工場建設への再投入)によるものであり、生産効率の上昇はほとんどなかったため、ソビエト連邦の経済成長は限界を迎えた
  • シンガポールを代表とするアジアの新興工業国の急速な経済成長の大部分は、投入の増大によって説明でき、持続的な経済成長は困難である
  • 日本の高度成長は、投入の増大に加え、生産効率の上昇にもよるものであるが、経済成長率は鈍化した
  • 日本を含め、東アジアの新興工業国において、生産効率が劇的に上昇している国は存在しない

この結論は、決してエキサイティングではないけれど、世の中に氾濫している扇情的な議論に比べると、シンプルかつ実証的で説得力がある。
クルーグマンがこのように書いた後、アジア四小龍の経済成長は、成長の限界に直面して鈍化した。結局、四小龍の成長が、儒教文化圏の特殊性に支えられているといった議論には、根拠がないことが事実によって立証されてしまった。
私自身、実証的なことはよくわからないけれど、BRICsも、全要素生産性の高い上昇が見られているのではない限り、そして、外資の拡大や石油などの一次産品の価格の上昇に成長が支えられているのであれば、持続的成長はおぼつかないだろう。5年後、BRICsの経済成長は失速し、もう、耳にしなくなっていると思う。
クルーグマンの論文は、次のような文章で締めくくられている。

……経済学が憂鬱なのは、何もエコノミストたちがそうした憂鬱さを好むからではない。その理由は、数字という暴君だけではなく、それが示唆する論理にもわれわれが潔く降伏しなければならないのである。