出自と思想
安倍晋三「美しい国へ」(文春新書 ISBN:4166605240)を読んでみた。安倍晋三の思想は、彼の育った環境、出自に由来していると感じた。
この本を読みながら、後藤田正晴の回想録(御厨貴「情と理 -カミソリ後藤田回顧録- 上」(講談社+α文庫 ISBN:406281028X))のことを思い出していた。安倍晋三の思想と後藤田正晴の思想は、特に、戦前の指導者と戦後の平和主義への考え方について、対極に位置していることが印象的だった。
戦争中、下級士官だった後藤田正晴は、戦争の指導者層についてきわめて辛辣に語っている。後藤田正晴は平和主義へ確固とした信念を示しているが、それは、彼の戦争中の体験、当時の指導者層への不信から導きだした教訓に基づいているように思う。
一方、安倍晋三は、戦前から戦後にかけて指導者であった岸信介を祖父に持ち、その岸信介の姿が安倍晋三の政治家としての原点となっている。だから、後藤田正晴と違い、戦争の指導者を評価することはない。戦争の指導者への評価は、岸信介を評価することになってしまうからだ。
そのような安倍晋三の思想には、危うさも感じる。
安倍晋三が、岸信介の身内として、「左翼」や「進歩的文化人」に、強い反感を持っており、彼らに対して厳しく批判をすることはよく理解できる。しかし、後藤田正晴のような保守主義に立ちながらも、戦時の指導者層に批判的な人に対してどのように考えているのだろうか。ぜひ、聞いてみたいと思う。
安倍晋三は、「美しい国へ」のなかでも、戦前の日本について評価すること、教訓を得ることを避けている。北朝鮮への強硬姿勢について説明する際に、チャーチルがナチス・ドイツに強硬な姿勢を貫いたことを引き合いにする。しかし、戦前の日本は、そのナチス・ドイツと同盟を結び、アメリカをはじめとした連合国に対して強硬な姿勢を貫いたことには言及しない。
確かに、「左翼」や「進歩的文化人」の「自虐史観」が「正しい歴史認識」だとは思えない。しかし、保守主義の立ち場に立ったとしても、太平洋戦争によって日本の国民が塗炭の苦しみを味わったのは間違いないし、その道のりには教訓とすべき誤りがあったと思う。その意味で、後藤田正晴の見方はバランスがいいと思う。「左翼」に対抗する歴史観を提示するのに留まっている安倍晋三は、バランスを欠いている。戦争に対して個人の責任を追及することとは別に、戦争の歴史から教訓を学ぶことはできるはずだ。しかし、安倍晋三にはそのような姿勢は見られない。それは、岸信介の孫である彼の限界なのかもしれない。
安倍晋三は、「美しい日本に」のなかで、特攻隊員に関して、「国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。」と書いている。後藤田正晴であれば、なぜ、特攻ということが起きたのか、当時の指導者の有り様を考え、そのようなことが再び起こらないようにするための教訓について語るのではないかと思う。
安倍晋三と麻生太郎は、提示している政策のメニューは似ているけれども、優先順位が異なる。安倍晋三は、自主憲法の制定に重点を置き、麻生太郎は経済政策、景気拡大に重点を置いている。その背景には、岸信介の孫と吉田茂の孫という出自が影響を与えているのかもしれない。