堕落
私は、信心があるとまではいえないけれど、釈尊の教えには共感を抱いている。
考えてみると、大乗仏教、特に浄土宗や密教は、釈尊の教えからはほど遠いように思う。厳しい言葉を使うとすれば、堕落していると思う。
釈尊は、生老病死の四苦を直視せよと教えている。実にシンプルな教えである。しかし、これを実践することは難しい。なぜならば、誰かに頼ることはできず、自分自身で自分自身の生老病死と直面しなければならないからだ。
大乗仏教は、誰かが自分を救ってくれると教えている。これは釈尊の教えに反してはいないだろうか。誰かが自分を救ってくれると信じることは、自分自身の生老病死を直視することを妨げることになる。
密教は、限られた人だけが認識することができる秘密の真理があると教えている。これも釈尊の教えに反してはいないだろうか。釈尊が直視せよと言う生老病死は、誰もが避けられないありふれたことがらである。そして、そこに真理はある。決して真理は秘密ではない。直視しようとすれば真理はそこにある。それが釈尊の教えである。密教には、自分だけが真理を知っているという傲慢さがあると思う。一歩間違えればオウム真理教になってしまう傲慢さが。それは、釈尊の教えからはほど遠いと思う。