おとといのエントリー(id:yagian:20080503)で、ヘンリー・ミンツバーグ「MBAが会社を滅ぼす」に書かれていた帰納的研究と演繹的研究の区別について紹介した。文化人類学者であるエドマンド・リーチの「文化とコミュニケーション」を読んでいたら、文化人類学者を実証主義者と論理主義者に分類しており、この区分が帰納的研究と演繹的研究と似ているのが興味深かった。例によって関連する部分を引用したい。
……実証主義者の仮定では、調査地に出かけた人類学者の基本的な仕事は、その土地にすむ共同体成員が日常の活動のなかでお互いにかわす対面的行動を直接観察して記録することである。……このように直接に観察されるさまざまな相互活動のセットを抽象的に分析してえられたものが、そのシステムの「社会構造」だとされる。人類学者でも実証主義に立つ人たちは、「ある社会内に存在する観念の構造」について議論することを一般に避けるのであるが、それは彼等の多くが観念の構造は二次的で観察不可能な抽象物であり、理論家たちが作り上げた虚構であると考えるからである。(p14)
レヴィ=ストロース的な意味での論理主義者たちは、自分たちのことを「構造主義者」と呼ぶのであるが、ここでいう構造とは観念の構造のことであり、社会の構造のことではない。
客観的事実そのものではなく、それに対応する観念に関心をもつことから、論理主義の立場に立つ人類学者は、何がなされたかということよりも何が言われたかということに、より大きな関心をよせる傾向を示す。……言語による表明と観察された行動にくいちがいがある場合に、論理主義者がよく主張するのは、実際に起こったことよりも言語で言われたことのなかに社会的現実が「存在する」のだということだ。
そこで、一つの比喩を使ってこの立場の根拠について説明したい。ベートーベンの交響曲は楽譜として「存在する」のであり、……ある演奏が特別まずくなり、ベートーベンの書いた楽譜からひどくはずれてしまう結果になることは大いにありうることだが、その場合、「真の」交響曲はそのまずい演奏の方であり、観念上の存在である楽譜にあるものは交響曲ではない、ということはできない。(p16)……二つの方向、すなわち実証主義者(機能主義者)と論理主義者(構造主義者)の見方は、相反するというよりむしろ補いあうものなのである。一方は他方を変換したものとなっているのだ。(p18)
やや分かりにくかったかも知れない。実証主義者の研究は実際に観察可能な行動に立脚しており、論理主義者は行動の背後にある観念の構造に着目する。行動は観念にもとづいている以上、行動と観念は相互に対応する関係にあるから、実証主義者の研究と論理主義者の研究は相補的ということになる。
この分類を経営学にあてはめると、現実の企業においていかに戦略が形成されるかを調査し、その成果にもとづいて帰納的研究を行うミンツバーグは実証主義者であり、企業にとって理想的な戦略のありようを演繹的に研究するポーターは論理主義者ということになるのだろう。ポーターが論理的に明らかにした理想的な戦略が、企業という場でいかに変換され、実行されているかについてミンツバーグが実証的に明らかにしている。ポーターは交響曲の楽譜を書き、ミンツバーグは実際の演奏を研究している。リーチが言うように、ポーターの論理主義的研究とミンツバーグの実証的研究は相補的なのだろう。
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