合掌
先週の夏休みを利用して四国へ三泊四日の旅行に行った。
お遍路さんのまねごとをして、八十八か所のうち五つのお寺に参詣した。少しだけかじっただけのお遍路さんだったけれど、感じるところがあった。
五つのお寺にそれぞれの個性があった。普段、お寺に行く機会といったら、近所にある鬼子母神や護国寺か、あとは、京都や奈良に旅行するときに仏像やお庭を見させていただく文化財のようなお寺ぐらいである。それとはちがったたたずまいのお寺が興味深かった。
まず最初に参ったのが徳島県にある一番札所の霊山寺である。ここでは、大きな売店があって、お遍路さんのための用具一式をそろえることができる。売店のおばさんに恐る恐るお遍路さんの作法を教えてもらって、それぞれの札所で記帳してもらう納経帳を買った。
次に参ったのは、香川県の弘法大師の生誕の地にある善通寺である。この寺は、今でも活発に活動しているらしく、境内に新しく建てられたさまざまな慰霊碑があって、活気のあるお寺だった。
次は、高知県の四万十川のほとりにある石山寺である。田舎にある素朴な感じが心地よい寺だった。
この次は、それぞれ高知市と南国市にある竹林寺と国分寺に参った。どちらも洗練された雰囲気のお寺だったが、竹林寺は鎌倉にありそうなお寺で、国分寺は斑鳩が似合うようなお寺だった。
どのお寺に行っても、必ずお遍路さんがお参りをしていて、日本にも信仰というものが生きているお寺があることが再確認されるのであった。そうして、自分も本堂の前で合掌をしていると、神妙な気分になる。
仏様に手を合わせる時、なんと念じようかと考えることは、自分にとっていまいちばん大切なことはなにか、あらためて考えるきっかけになる。
いま自分にいちばん大切なことは、うつという病気から回復することである。すべてのことは、それから始まる。しかし、仏様に「うつを治してください」と念じるのは、私自身の主体性があまりにもなさすぎるような気がする。「うつを治すつよい心を与えてください」だろうか。いや、「うつを治す力を与えてください」そして、うつを治そうとする心、意志は自分で養うべきだろうか。
などと考えながら、しばし合掌をしていた。はたから見ると、信心深く見えたかもしれない。