美しく心地よいお話

この週末、村上春樹の新作「1Q84 book1」と「1Q84 book2」を読んだ。これから読むという人も多いと思うので、なるべく内容には触れずに感想を書こうと思う。
村上春樹の小説は、しばらくしてから読み直すとまた違った印象を受けることがあるから簡単に断定はできないけれど、現時点ではネガティブな印象を受けた。
ストーリーテリングはさすがに上手く、この二冊を一気に読んでしまった。「1Q84 book2」のなかに、まるでこの小説自身のことを語っているような一節があった。

……「物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していく」ことに作家がもし成功しているとしたら、その作家を怠慢と呼ぶことは誰にもできないのではないか。(p123)

たしかに「1Q84」は、物語としてとても面白く、最後までぐいぐいと読んでしまった。だから村上春樹を怠慢と呼ぶことはできないと思う。しかし、村上春樹の小説にはそれ以上の「ねじまき鳥クロニクル」レベルのものを期待してしまう。
私の「1Q84」への印象を代弁してくれているような一節もあった。

「世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めてはいない。真実というのはおおかたの場合、あなたが言ったように、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地よいお話なんだ。だからこそ宗教が成立する。」(p234)

これまでの村上春樹の小説を読んでいると、不快な感じがするぐらい緊張したり、目を背けたくなることがある。また、最後まで明かされず、読後も気にかかる謎がある。そして、そんなところこそがその小説で重要な部分なのである。
しかし、「1Q84」では、読んでいて気持ちよくさせてくれるが、不快になるほど緊張するようなところはなかったし、読後も気にかかる謎にも乏しかった。
しばらく寝かせておいて、もう一回読んでみようと思う。その時、どんな感想を持つのか楽しみにしようと思う。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

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