2010年06月30日のツイート
@yagian: この「これからの「正義」の話をしよう」の第七章は、次々と反論を提起する弁証法的な展開で書かれている。めまぐるしく変わっていく議論を読むのは心地よい。
2010-06-30 21:53:25 via web
@yagian: 続き:このように正義のよりどころに善を置く議論は、現代のほとんどの政治哲学が避けている。カントやロールズは、善き生の定義は人によって違うことを前提として、中立的な立場から正義と権利を導きだそうとしている。次章では、正義と善の関わりについて議論する。
2010-06-30 21:49:39 via web
@yagian: 続き:大学が自らの教育のための資金を得るために大学の入学許可を競売にかけることは正当化できるだろうか。ドゥウォーキンの議論には抵触しない。しかし、資金を確保することが入学選考に及ぼすことになれば、大学の品位にかかわり、本来追究すべき善に反することになる。
2010-06-30 21:45:35 via web
@yagian: 続き:それでは、大学はどのような使命を定めることができるのだろうか。かつて黒人を排除した排他主義は、人種による偏見に基づくものであり、正当化できない。しかし、アファーマティブ・アクションはそのような偏見を含まないから、公正である。
2010-06-30 21:43:07 via web
@yagian: 続き:入学選考基準には受験者の力が及ばない要素を含んでおり、その基準は大学自身が自ら目指す使命に従って決めるものである。入学が許可されるのは、受験者の道徳的資格に報いることではなく、大学の使命に合致することである。この見解は、ロールズの所得配分の正義の議論と一致している。
2010-06-30 21:41:19 via web
@yagian: 続き:これに対し、人種や民族を入学選考の基準とすることで、本人の落ち度ではない理由で不利な立場に置かれる場合があるという反対論がある。しかし、ロナルド・ドゥウォーキンは、アファーマティブ・アクションは権利の侵害にならないと主張する。
2010-06-30 21:38:19 via web
@yagian: 「これからの「正義」の話をしよう」第七章「アファーマティブ・アクションをめぐる論争」要約:大学入試でのアファーマティブ・アクションの擁護論の一つに、学生の多様性を高めることで、学生の視野を広げ、マイノリティに社会の指導的役割を提供することで、社会の共通善に貢献できることがある。
2010-06-30 21:35:54 via web
@yagian: 今日もシャワーのあとのビールがおいしい。今の季節ならどのビールでもおいしいのかな。それとも、バスペール・エールがおいしいのだろうか。
2010-06-30 21:06:23 via web
@yagian: ロールズの議論は、直線的ではないから、要約が難しい。「正義論」は翻訳がよくなく、読みづらいという評判も聞くが、一度は原典にあたってみる必要があるだろう。
2010-06-30 21:01:09 via web
@yagian: 続き:ロールズは、努力や道徳的功績も、道徳的には恣意的な条件に基づくものとして、所得や富の分配の原理とすべきではないと主張する。公正な分配は、格差原理に基づくルール、税制や再配分の枠組みによるときのみ実現する。
2010-06-30 20:57:56 via web
@yagian: 続き:その道徳的な議論とは、所得機会は道徳的に恣意的な要素に基づいて分配されるべきではないという考え方である。リバタリアンが主張する自由市場は、形式的平等は確保されているが、社会的経済的格差、生来の才能資質といった道徳的には恣意的な条件に基づきで所得と富が分配され不公正と考える。
2010-06-30 20:54:51 via web
@yagian: 続き:完全な平等を実現するより、最貧層の状況を改善するような不平等を認めた方が、最貧層になった場合でも、よりよい状況になりうるからである。この原理を「格差原理」と呼ぶ。また、「格差原理」は、「無知のベール」の思考実験から導出されるだけではなく、道徳的な議論によって支持される。
2010-06-30 20:50:40 via web
@yagian: 続き:ロールズによると、次の二つの原理が選ばれるという。一つ目は、基本的自由をすべての人に平等に与えること。二つ目は、所得と富の平等な配分を求めるが、社会で最も不遇な立ち場にある人の利益になるような社会的・経済的不平等のみを認めることである。
2010-06-30 20:45:22 via web
@yagian: 続き:すべての構成員が自分の属性(階級、性別、人種、経歴、嗜好など)を知らない平等な状態で社会契約を結ぶとしたら、合意される原則は公正なものとなるはずである。この「無知のベール」をかぶった状態で、合理的で利己的な個人としてどのような原則が選ばれるだろうか。
2010-06-30 20:42:44 via web
@yagian: 「これからの「正義」の話をしよう」第六章「平等をめぐる議論ージョン・ロールズ」要約:公正な契約は、当事者双方が自発的に同意し、利益を得る互恵性が条件となり、契約を履行する義務が生じる。ロールズは、公正な条件で結ばれる社会契約を考えるために「無知のベール」という思考実験を行う。
2010-06-30 20:38:23 via web
@yagian: いっぱいきてますね。 RT @icchan0000 みなさんご注意あれ! RT @hirofus: 気をつけよう RT @abfly これは怖い RT @yonemitsu: これ、怖いなー「アマゾンの注文確認を偽造したメール、先週より大量発生中」
2010-06-30 14:10:22 via web
@yagian: ハイエクは単純に自由を信奉するリバタリアンというより、社会主義のような一部のエリートによる計画に不信を持ち、市場のような集合知を信頼する。だから、集合知の産物である伝統や慣習も重視する。
2010-06-30 08:29:36 via web
@yagian: カントをtwitterの枠組みで要約するのはかなり無理がある。けれど、その無理に挑戦することは、要約力を鍛えるのに役立つ。簡潔な議事録や報告書を書く練習にいいかも。
2010-06-30 06:11:41 via web
@yagian: 続き:カントは、仮想上の契約がどのようなものか、どのような正義の原理を生み出すかを語らなかった。ジョン・ロールズがこれらの問いに答えようと試みた。
2010-06-30 06:08:40 via web
@yagian: 続き:人間性の尊重は、基本的人権の基礎となっている。カントの政治論では、正義と権利は社会契約に基づくと主張している。ロックなどと異なり、社会契約は仮想上のものであるとする。この社会契約は、立法者に対し国民の総意に基づく義務を負わせ、国民にそれに同意したと見なす義務を負わせる。
2010-06-30 06:07:38 via web
@yagian: 続き:リバタリアニズムでは、自己を所有し、自由に扱うことができると考え、例えば、自殺も肯定する。カントは、自己も究極的な目的としての人間性として扱うことを求めるため、自己の人間性を尊重しない自殺は他殺と同様に否定する。定言命法は、自己の行為に制約を与えることもある。
2010-06-30 06:03:08 via web
@yagian: 続く:理性によって選択される道徳法則は、別の何かの手段としての善き行為ではなく、それ自体において無条件に善き行為を命じる定言命法に基づく。定言命法は、自分の格律(行動原理)を普遍的に通用するものとするように行為せよ、理性的な存在である人間性を究極目的とせよと命じる。
2010-06-30 06:00:04 via web
@yagian: 「これからの「正義」の話をしよう」第五章「重要なのは動機ーイマヌエル・カント」要約:カントによれば、道徳的な行動とは、行動の結果ではなく、動機が義務に基づいていることによる。そして、自由とは、欲求に従うことではなく、理性によって自ら選択した道徳法則に自律的に従うことである。
2010-06-30 05:52:06 via web
@yagian: 残念でした。でも、これだけ痺れる試合ができるようになったんだな。
2010-06-30 01:42:34 via web