日本的組織とリーダーシップ

まず、この文章を読んでいただきたい。

 それに加えて大地震に対する日本政府の危機処理能力は、信じがたいほどお粗末なものだった。彼らは驚愕に文字通り立ちすくみ、敏速で適切な対処をすることに失敗した。いくつかの国から派遣申し込みのあった救助チームの受け入れを躊躇し、あるいは拒否し、自衛隊舞台の現地派遣を引き延ばした。時間は無為に過ぎ去り、そのああいだに多くの人命が瓦礫の下で失われていった。政治家の無策と官僚システムの硬直性がその大きな原因だった。「私が決断し、その決断の責任をとる」と口にできる人間が権力中枢の中に一人もいなかったのだ。
(p193)

これは、村上春樹「雑文集」に書かれている阪神淡路大震災に関する文章である。今回の地震原子力発電所の事故に対して日本政府や政治家が阪神淡路大震災の教訓を活かすことができなかったということがあからさまに示している。
制度的には、阪神淡路大震災への政府の初動の遅れの反省を踏まえ、官邸機能を強化し、危機管理を官邸に一元化したはずだった。地震津波、さらに原子力発電所の事故という複数の省庁の所管にまたがる事態に直面し、この首相官邸が一元管理しなければならないはずだった。
この意味で、内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘教授の指摘のなかに非常に気になるところがあった。(http://goo.gl/5AdVH)

この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。
しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。

阪神淡路大震災の教訓も踏まえある程度は組織、手続き、ガイドラインを定めていたものの、それがうまく機能していないということなのだろう。首相官邸原子力安全委員会経済産業省原子力安全保安院文部科学省厚生労働省、外務省などが官邸を中心にして一元的に「危機管理」ができていたとは思われない。
菅直人首相が情報を把握し、必要な権限を掌握し、決断を下していたのだろうか。外部からはわからないけれど、少なくとも、そのような状況を想像させるような首相による会見は行われいない。
また、東京電力にも同じことが言えると思う。東京電力清水正孝社長は、東京電力のなかでも傍流の出身という話を聞くが、記者会見などを見ていても、最高責任者として決断を下す実権を与えられていないように見える。陳謝し、最大限の努力をするということを繰り返して言うのみで、東京電力としての重要な決定についてはまったく口にしない。一方、重要な決定については、柏崎刈羽原子力発電所のトラブルによって引責辞任した勝俣恒久会長が記者会見に登場して発表する。外部から見れば、実権は勝俣会長が握っており、清水社長には陳謝する役割が押しつけられているように見える。
また、記者会見を行う役割が集約されておらず(この点、官邸と原子力安全保安院はスポークスマンが集約されていた)、担当者レベルの人が説明を行っていた。最終的な責任を担うべき経営者が必要な決断を下す体制になっているのか大いに疑問に感じる。
一方、今回のオサマ・ビン・ラディン殺害におけるホワイトハウスの状況を報じたThe New York Timesの記事"Behind the Hunt for Bin Laden"(http://goo.gl/TVLlS)を読んでいると、わが国の官邸との彼我の差を感じざるをえない。

Around the table, the group went over and over the negative scenarios. There were long periods of silence, one aide said. And then, finally, Mr. Obama spoke: “I’m not going to tell you what my decision is now ― I’m going to go back and think about it some more.” But he added, “I’m going to make a decision soon.”

Sixteen hours later, he had made up his mind. Early the next morning, four top aides were summoned to the White House Diplomatic Room. Before they could brief the president, he cut them off. “It’s a go,” he said. The earliest the operation could take place was Saturday, but officials cautioned that cloud cover in the area meant that Sunday was much more likely.

関係者が集まり、最悪のシナリオについて繰り返し検討を行う。検討が終わり、最高責任者であるオバマ大統領が「私が決断を下す」と言い、そして熟慮の結果「実行する」と宣言する。まさにありうべきリーダーシップの姿だと思う。
日本も官邸機能の強化によってこのようなリーダーシップを発揮するための制度、仕組みはできていたのだと思うが、残念ながらトップがその制度、仕組みを機能させることはできなかった。
日本の組織の特徴として、トップのリーダーシップが弱いことがよく指摘される。日本の特性、国民性といった議論はあまり信用していないけれど、今回はそんなこともあるのかもしれないと思いたくもなる。
もちろん、アメリカの大統領が必ず危機管理に成功するというわけではない。
ボブ・ウッドワード「ブッシュの戦争」を読むと、ブッシュ整形んは9.11に対して初動においては効果的に対処していたが、イラク戦争については、9.11以前からフセインを打倒しようとしていた勢力に引きずられてなしくずしで戦争に突入してしまったことがわかる。また、ブッシュ大統領はハリケーン・カトリーナに対する危機管理に失敗してしまう。ブッシュ大統領ホワイトハウスが必ずしも無能ではなかったが、失敗を犯してしまう。(無理だとは思うけれど、今回の地震への対処に関する首相官邸の動向について詳細なノンフィクションが出版されないものかと思う)
デイヴィッド・ハルバースタムベスト・アンド・ブライテスト」には、「ベスト・アンド・ブライテスト」な人材を集めたホワイトハウスに権限を集中させても、ベトナム戦争のような失敗を引き起こしまったことが詳細に描かれている。
だから、必ずしもアメリカの大統領制、ホワイトハウスのあり方が危機管理に成功するとは言い切れないことも事実ではある。
また、もし、小泉純一郎が首相だったら、効果的に官邸機能を活用できていたのではないか、と想像することもできる。阪神淡路大震災の反省を踏まえた官邸機能の強化は、橋本龍太郎政権において進められ、その果実を小泉純一郎は最大限に活用していた。平時においては、竹中平蔵経済財政諮問会議を主催させ、予算の方向性を官邸主導で決定していた。また、決断の内容については賛否が分かれると思うけれど、イラク戦争の開戦の際には、いち早くアメリカを強力に支持することを決断し、発表した。彼のような首相がいれば、阪神淡路大震災の教訓は生かされたのではないか。
このように、危機管理の失敗が、日本の組織、国民性に由来しないという反例はいくつも思いつく。しかし、それでもなお、日本的な組織、特に、大組織にリーダーシップと危機管理能力の欠如という特性が広く共有されているという疑惑を拭えない。
「失敗の本質」を読むと、太平洋戦争における日本の欠陥は、権限と責任の所在が不明確であり、トップが適切なリーダーシップと発揮していないことがよくわかる。阪神淡路大震災東日本大震災福島第一原子力発電所の事故への政府や東京電力という大組織の危機管理、対処の失敗の理由は、太平洋戦争とまったく変わっていない。
今回の震災、事故を教訓として、「「私が決断し、その決断の責任をとる」と口にできる人間が権力中枢の中に一人もいなかったのだ。」という事態を解消できるのだろうか。

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

ブッシュの戦争

ブッシュの戦争

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)