TPP交渉参加問題とサブガバメント(2)

朝、ゴルフスクールに行く前の時間、「サンデー・モーニング」という番組をぼんやり見ていたら、金子勝があんまりな暴論を吐いていたので、大宅映子が思わず割り込んでいた。
金子勝は、TPPの交渉に参加すると日本は必ずアメリカの交渉力に負けてアメリカに都合のよい制度を必ず押し付けられる、という意味のことを語っていた。いちおう金子勝も大学に籍を置く学者のはずだが、ここまで粗雑なことを言えるのかと驚いた。大宅映子は、日本では肉牛の全頭検査を実施しているではないかと、具体例を挙げて反論していた。金子勝も仮にも学者であれば、少なくともガットウルグアイ・ラウンド交渉の経緯と結果ぐらいを踏まえて議論をしたらどうかと思う。
ガットウルグアイ・ラウンド交渉の際の前提として、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの政策担当者は、各国が農業に対して過剰に保護をした結果、農産物生産が過剰になり、穀物価格は低下し、それがさらなる保護を招くという悪循環に陥っている、という共通認識にあったと思う。国内の農業に致命的な影響を与えず、また、農業関係者の同意を得られる範囲でいかに農業保護と過剰生産を削減するのか、ということが共通の目標だった。
もちろん、アメリカ、ヨーロッパ、日本では立場が異なり、また、カナダやオーストラリアなどもっとも農業の国際競争力があるケアンズ諸国、また、発展途上国などの利害が交錯して交渉は複雑化し、長期化した。
日本は最大の問題だったコメ(農業団体は一粒たりともコメの輸入は認めないと強硬に主張していた)については、ミニマムアクセスを受け入れる代わりに関税化をしないことで交渉は妥結した。しかし、皮肉なことに、のちに関税化を受け入れた方が有利というコンセンサスができ、関税化に政策を転換した。
その結果、日本の農業は壊滅したのだろうか。
コメの輸入は、関税化の前後ともにほぼミニマムアクセスの範囲内の輸入に限られ、それらは政府の統制下にあり、原則として一般のコメ市場からは隔離されている(その不自然な扱いが「加工用米」の横流しの事件をもたらしたのだが)。
ガットウルグアイ・ラウンド合意によって、食管法が食糧法に改正された。それ以前は、コメの流通と価格が国家的に統制され、統制外で流通していたコメは「闇米」と呼ばれていた。まったく時代錯誤な法律だったことは明らかだったけれども、ガットウルグアイ・ラウンド合意がなければ食管法を改正することは難しかっただろう。
これらの結果、日本の稲作農業にどのような影響を与えたのか。結論としては、よくも悪くも大きな影響はなかったと思う。国内のコメの需要は減少を続けており、また、価格を維持するための減反政策も継続しており、稲作農家の弱体化、高齢化のトレンドには変化がなく、徐々に大規模な農業事業者が育っていったけれどもそのペースは遅々としている。
国内の農業に対する補助政策としては、農産物の過剰を招く価格政策(何らかの方法で農産物価格を高くすることで農業を保護する政策)から比較的農産物生産に影響を与えない(個人的にはある程度は農業生産を刺激すると思うが)直接支払いへ転換が図られた。零細な兼業農家に基盤を置く農業団体、政治家にとっては、広く薄く利益がばらまかれる価格政策の方が都合がいいが、将来に渡る日本の農業の競争力を強化するためには一定の規模以上の農業事業者に重点的に直接支払いをする方がよいことは明らかだ。
このようなガットウルグアイ・ラウンドの交渉を踏まえてもなお、TPPが日本にとって不利益な条件をアメリカから押し付けられる場だと言えるのだろうか。ガットウルグアイ・ラウンドでは多様な交渉者がいたからアメリカの押しつけを避けられたというのであれば、WTOの場での交渉を推進せよ、という筋論を主張すれば良い(実現可能性は低いけれど)。