ブッシュ嫌い

あいかわらず藤原正彦国家の品格」(新潮新書 ISBN:4106101416)ネタの続き。
おとといの日記(id:yagian:20060202:1138887151)で、西洋の「自由、平等」という理念を批判し、武士道精神、日本の情緒を称揚する藤原正彦は、実際には、日本の伝統文化、情緒に疎く、キリスト教に基づく自由主義教育を好んでいるのではないか、ということを書いた。
同じような逆説が、「国家の品格」を好む人たちにもあるのではないか。「国家の品格」を好む人たちは、ジョージ・W・ブッシュを嫌っているのだろうと思う。しかし、皮肉なことに、ジョージ・W・ブッシュを支持している人たちと、「国家の品格」を好む人たちには共通点が多いのではないかと思う。
ジョージ・W・ブッシュは、彼の支持者からは、アルコール依存症を克服し、現在では敬虔なキリスト教徒となったその道徳性を評価されている。彼と同じ1946年に生まれたビル・クリントンは、ベビーブーマーの自由で放逸な側面を体現していたけれど、ジョージ・W・ブッシュはその対極にある。
ジョージ・W・ブッシュが大統領に最初に当選した時、「温情ある保守主義」というスローガンを掲げていた。吉崎達彦「アメリカの論理」(新潮新書 ISBN:410610007X)から、この「温情ある保守主義」を紹介したい。

……この言葉は、党大会における大統領候補指名受諾演説の中で丁寧に説明されている。
……
……「毎日、メリー・ジョーはホームレスの足を洗い、新しい靴下と靴を与えます。『足を大事にしなさいよ』と彼女は言うのです。『足のおかげでこの世界をここまで来たんだし、いつかは神様のもとまで行くんだからね』―政府にはこんな仕事はできません。政府は身体を養うことはできますが、魂に届くような仕事はできません」。
……政府は本当の意味で人を助けることができない。逆に個人の善意は大きな仕事ができる。ゆえに政府の役割は縮小しつつ、人を助けようとする人を支援すればいい、という発想である。目指すところは「小さな政府」であり、政府の力が減る分は人々の善意で補おう、その受け皿となるのが保守主義であり、伝統的な価値観だ、というのがブッシュの考え方である。

どうだろうか。ジョージ・W・ブッシュが主張しているということを伏せて読ませれば、藤原正彦も「国家の品格」を好む人たちも、これこそ武士道精神の惻隠の情に基づく行いだと感激するのではないだろうか。
日本にもアメリカにも、現代の世界の問題の背後に道徳の喪失があると考える人たちがいる。藤原正彦は日本で、ジョージ・W・ブッシュはアメリカで、伝統的な道徳を取り戻すことによって問題を解決することを主張し、そのような人々の支持を得ている。
異なっているところがあるとすれば、ジョージ・W・ブッシュの支持者は、自分たちの伝統的価値観にしっかりとコミットしているようだが、「国家の品格」を好む人たちは日本の伝統的価値観にコミットしているように見えないところだろうか。