イラクと満洲

アメリカの中間選挙によって上院、下院ともに民主党が多数を占めた結果、ブッシュ大統領は、民主党との融和を進めている。その一環として、国防長官がラムズフェルド氏からゲーツ氏に代わった。そして、ブッシュ・シニア大統領時代の国務長官だったべーカー氏が中心となったイラク研究グループの報告書が公表され、イラク政策の転換を提言した。ブッシュ大統領は、この報告書の提案すべてを実行するわけではないと語っていたが、イラク政策が転換されるのは間違いないだろう。今のイラクの状況は行き詰まっているから、政策転換は望ましいと思う。しかし、イラク研究グループの報告書も必ずしも楽観的でないように、イラクの問題の解決への道のりは容易ではないだろう。
イラクを侵攻する時、ブッシュ大統領は、イラク大量破壊兵器を保有しており査察を妨害していること、テロ支援国家であることを主な理由として挙げた。しかし、ボブ・ウッドワード「攻撃計画(Plan of Attack)―ブッシュのイラク戦争」(日本経済新聞社 ISBN:4532164737)を見ると、この二つはイラク戦争の真の目的ではないことがわかる。チェイニー副大統領、ラムズフェルド前国防長官、ウォルフォウィッツ元国防副長官などイラク侵攻強硬派にとって、軍事的にサダム・フセインを排除することはもともと既定方針でだった。そして、9.11のテロを好機として、イラク侵攻が実行に移された。イラク侵攻の結果、イラク大量破壊兵器を保有していないことが明らかになり、また、サダム・フセインがアル・カイーダを支援していたという事実がないことも明らかだ。その意味では、アメリカがイラクに侵攻したことに正統性がない。しかし、サダム・フセイン政権はイラク人にとって抑圧的なもので、彼を排除したことはイラク人の大部分に支持されている。このこと自体は肯定的に考えることはできないだろうか。
阿部重夫イラク建国「不可能な国家」の原点」(中公新書 ISBN:4121017447)を読むと、イラクという国はその生い立ちから難題を抱えていることがわかる。第一次世界大戦以前、現在のイラクの地域は、オスマン・トルコ帝国の一部だった。第一次世界大戦によってオスマン・トルコ帝国が倒れ、イラクの地域は、イギリスの支配下に入った。現在のイラクの状況と似ており、イラクの地域は多様な部族の勢力が存在し、イギリス軍を含め、それぞれの勢力が対抗しあう内戦状態となった。イギリスはその負担に耐えられず、1921年には、民政移管を進め、ハーシム家のファイサルを国王に据えた委任統治領とした。その際、イラクの国境はイギリス政府によって決定され、クルド人が居住する地域もイラクに含まれた。その後、イラク王国はイギリスの委任統治領から独立を果たすが、クーデターが繰り返され、王制が倒され、最終的にはサダム・フセインによる強権的な政権が成立し、クルド人は弾圧されることになる。結局、独立以来、民主的な政権が成立することはなかった。
イラクの建国の経緯は、その約10年後に建国された満洲国と似ているように思う。イラク満洲の地域は、それぞれ国家としてのまとまり、ナショナリズムは成立しておらず、イラクは部族、満洲軍閥や流賊と呼ばれた勢力が割拠する状態だった。そこに、傀儡国家としてイラク満洲国がつくられた。
リットン調査団の一員だったハインリッヒ・シュネーが書いた「「満州国」見聞記 リットン調査団同行記」(講談社学術文庫 ISBN:4061595679)を読むと、建国宣言直後の満洲国では、流賊が跋扈して治安が確保されておらず、鉄道での移動すら危険である状況が生々しく書かれている。その後、関東軍によって満洲国の治安は一応確保されることになる。
満洲国は関東軍の、イラクサダム・フセインの強権によって統一と治安を確保していたが、その強権がなくなったあと、それぞれの国としてのまとまりは崩壊した。満洲国は日本の敗戦とともに崩壊し、中国の一部となった。中国は、強権的な側面はあるけれども、イラクに比べればナショナリズムが育ち、国民国家として統一されているように見える。もし、満洲国が何らかの形で存続したならば、イラクと似たような道を歩んでいたのかも知れない。
イラク研究グループの報告書では、イラク駐留米軍の主要任務をイラク軍支援に集中させ、イラク政府による治安の確保を目指すことが示されている。しかし、現在も、イラクには、部族を超えたナショナリズムが成立していないため、民主的なイラク政府によってイラクを統一し、治安を確立することは難しいように見える。
イラクが、自らのナショナリズムとはかかわりなく、イギリス政府によって上から国が作られてしまったのは不幸である。また、それゆえに、強権的な政府により、国民は抑圧されながら、統一と治安は維持されていた。そのような状態であるとき、外部からその強権的な政府を倒すことは是認されることなのであろうか。逆に、強権的な政府を黙認することは是認されることなのだろうか。北朝鮮に直面する日本にとっても、他人事ではなく、具体的な選択を迫られつつある問題だと思う。