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文系理系廃止論

日本の教育制度において一部の人は問題だと考えているようだが、あまり一般的に論じられることが少ないことがらの一つに、文系と理系の区分がある。私は、文系と理系の区分は即刻撤廃すべきだと思っている。
Wikipediaに「文系と理系」というエントリー(http://goo.gl/OJeK)があって、次のように解説されている。

日本においては、第2次・高等学校令(大正7年勅令第389号)の第8条に「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」(原文は片仮名)という規定があった。明治中期から第二次世界大戦降伏前は、旧制高等学校は、旧制大学で教育を受けるための準備教育を行う場としての位置づけが大きかった。高等学校の高等科においては、学修する外国語(英語およびドイツ語が大半)によって、「文科甲類」「文科乙類」「理科甲類」「理科乙類」などに分け、「文科」「理科」のどちらで学んだのか、学んだ外国語は何であったかによって、旧制大学で学ぶ専攻分野を大きく左右した。
近代の日本において、大学教育に対する準備教育の課程を「文科」と「理科」に区分したことは、現代における文系と理系の区分に事実上引き継がれている。

私自身、あまり教育制度についての知識がないけれども、文系と理系の区分を制度的に導入している国は日本以外にあるのだろうか。また、旧制高校における文系と理系の区分の制度化はどこかの国を参考にしたものだろうか。いずれにせよ、現代の世界において制度的に文系と理系を区分することは一般的ではないと思う。
文系、理系を問わず現代においてはあらゆる学問は数学と無関係ではいられない。どのような学問でもモデルを構築し、それを実証するとうプロセスがあり、それに何らかの形で数学を使わないことはありえない。
私の大学の専攻は、一見きわめて「文系」的な文化人類学だったけれど、おそらくもっとも著名な文化人類学者であるレヴィ=ストロースの処女作である「親族の基本構造」には、オーストラリアのアボリジニの親族構造を群論によって分析したアンドレ・ヴェイユによる付録がついている。
そもそも、デカルトウィトゲンシュタインは文系なのか理系なのだろうか。文系、理系を問わずあらゆる学問の基礎になっている哲学、論理学は数学と関わりが深いから、文系と理系という区分がない社会では、哲学への造詣が深いことは数学への理解が深いことと重なることになる。だから、レヴィ=ストロースが当時の先端的な数学を用いて親族構造を分析しようと考えたということがごく自然である。当然、彼の構造主義のアイデアは数学と関わりが深い。
私が卒業した大学の学部には、たまたま文系と理系の区分がなく、同級生も「理系」を選択した人も「文系」を選択した人も混じっていたがなんら問題がなかった。逆に、「文系」だと考えて経済学や心理学を専攻した「文系」教育を受けていた学生は困らないのだろうか。
近代国家を立ち上げ、国家の中核となるエリートと軍隊と近代産業に従事する国民を効率的に育成することが国家的な目標だった時代であればいざ知らず、現代において学問の世界を中央集権的に統制することの意味がどこにあるのかまったくわからない。
入学時期、卒業時期も大学ごとに多様化すればいいし、企業も新卒一括採用をやめるべきだ。そして、文系と理系の区分を即撤廃すべきである。