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人間の弱さについて:佐村河内守と藤村新一の事例

雑感 時事

佐村河内守の代作者だったという新垣隆の記者会見があった。(http://goo.gl/LtVncX)
この記者会見の内容に対する佐村河内氏側からの発表がないから、どこまでが事実なのか断定することは難しいけれど、事件の輪郭がある程度わかってきた。
この記者会見の記事を読み思い出したのは、「ゴッドハンド」と呼ばれた藤村新一の石器捏造事件だった(http://goo.gl/Xe1DM)。明治の物理学会を揺るがした「千里眼事件」(http://goo.gl/AA1yB)とも共通性がありそうだ。
二人とも「評価、称賛される」ことに飢えていたのだと思う。最初は小さな嘘で小さな称賛を得て、その喜びが忘れられずどんどん深みにはまり込んでいった。その「嘘」があまりにも成功しすぎてしまったことによって、本人もそこから抜け出すのが難しくなってしまった。この二つの事件は、それぞれの専門家のcommunityのなかでも、神格化する人と疑問視する人にわかれていたところも似ている。
それぞれの業界では大きな悪影響があるから、彼らの存在は否定したいのだろうと思う。しかし、外側から見ている私は、佐村河内守にも藤村新一にも悪印象は持っていない。彼らには「弱さ」は感じられても「悪」は感じられないからだ。彼らの「弱さ」に対しては、怒りは湧いてこない。ただ、人間の弱さは哀しいなと思うだけである。
新垣隆にとって代作をすることの意味について、読み応えのある論説があった。(仲山ひふみ「聴くことの困難をめぐって」http://goo.gl/zJi6fq)長文だけれども、音楽の専門家の世界における佐村河内ー新垣隆の作品の位置づけがよくわかる。