「牛は超然として押していくのです。」

おそらく漱石の書簡のなかでも最も有名なもののひとつだから、改めて私が引用するまでもないのだけれども、書き写してみたいので引用しようと思う。
漱石没年の1916年、当時まさに新進気鋭の作家だった芥川龍之介久米正雄に送られた書簡である。

 拝啓。『新思潮』のあなたのものと久米君のものと成瀬君のものを読んで見ました。あなたのものは大変面白いと思います。落ち着きがあって巫山戯(ふざけ)ていなくって自然そのままの可笑味がおっとり出ている所に上品な趣があります。それから材料が非常に新らしいのが眼につきます。文章が要領を得て能く整っています。敬服しました。ああいうものをこれから二、三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます。しかし『鼻』だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんな事に頓着しないでずんずん御進みなさい。群集は眼中に置かない方が身体の薬です。
(1916年2月19日 芥川龍之介宛)

 牛になる事はどうしても必要です。われわらはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老獪なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
 あせって不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
(1916年8月24日 芥川龍之介久米正雄宛)

実に親身な、そして予言的な手紙である。芥川龍之介の生涯の結末を知っている我々にとっては、「鼻」を読み多少の面談をしただけの漱石が、芥川の才能と弱さをあまりに的確に把握していることに驚く。
芥川は「漱石山房の冬」で漱石との思い出を書いている。

 又十月の或夜である。わたしはひとりこの書斎に、先生と膝をつき合わせてゐた。話題はわたしの身の上だつた。文を売つて口を糊するのも好い。しかし買ふ方は商売である。それを一々註文通り、引き受けてゐてはたまるものではない。貧の為ならば兎に角、慎むべきものは濫作である。先生はそんな話をした後、「君はまだ年が若いから、さう云う危険などは考へてゐまい。それを僕が君の代わりに考へて見るとすればだね」と云った。わたしは今でもその時の先生の微笑を覚えてゐる。しかし先生の訓戒には忠だったと云ひ切る自身を持たない。

晩年の漱石は芥川の将来を見通して「僕が君の代わりに考へ」ているけれど、若い芥川自身は十分な自覚がない。
聡明な芥川は漱石の言いたいことを「頭」では理解したけれど、「腹」には落ちていなかったのだろう。芥川の初期の小説を読むと、実に理知的で「よくできている」ことに感銘を受ける。しかし、同時に、心理分析は緻密で的確だけれども、どこか机の上で考えたような、ずっしりと「腹」に落ちることはない印象を受ける。
この当時の漱石とほぼ同年代になった私は、過去に体験した痛い目を踏まえ、漱石の真意が腹に落ちるような気がする(もちろん、だからといって「牛は超然として押していくのです」を実行できる訳ではないけれど)。芥川と同年代の頃の自分は「うんうん死ぬまで押す」ことの意味などまったく理解できなかっただろう。
漱石の門下は数多いけれど、小説家としての彼の本格的な後継者となる資質があったのは芥川龍之介だけだったと思う。菊池寛は芥川の追悼文「芥川の事ども」で次のように書いている。

 作家としての彼が、文学史的にいかなる位置を占めるかは、公平なる第三者の判断に委すとして、僕などでも次のことは言えると思う。彼のごとき高い教養と秀れた趣味と、和漢洋の学問を備えた作家は、今後絶無であろう。古き和漢の伝統および趣味と欧州の学問趣味とを一身の備えた意味において、過渡期の日本における代表的な作家だろう。我々の次の時代においては、和漢の正統な伝統と趣味とが文芸に現れることなどは絶無であろう。

教養があればいい小説が書けるとは限らないけれど、教養がなければ書けない小説もある。近代日本文学界で、彼らほど教養(しかも、和漢洋に及ぶ)と小説家としての才能を兼ね備えた存在はないと思う(付け加えるとするならば森鴎外か)。
しかし、芥川は「牛」のように小説を書くことができなかった。漱石が芥川の末期を知ったら残念に思うだろうが、一方で、その結末も予感していただろう。
この手紙を書いた時、漱石自身は「うんうん死ぬまで押」しながら「明暗」を連載していた。結局、漱石の死によって「明暗」は未完のまま途絶してしまう。しかし、今「明暗」を読むと「未完」という印象は受けない。漱石は行けるところまで行ったと感じる。
「明暗」の主人公である津田とお延の夫婦は、現代であればごくありふれた二人に見える。漱石の小説を読むと、なぜ、現代の感覚をこの時代に表現できたのか驚くことがあるが、「明暗」はもっとも時代を先取りした小説だと思う。江藤淳漱石とその時代」を読むと、晩年の漱石の小説は必ずしも人気がなかったという。これだけ時代を先取りした小説を書いた漱石の孤独は深かっただろう。
漱石こそ「牛は超然として押していく」を実践していたのであった。

漱石書簡集 (岩波文庫)

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羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

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明暗 (岩波文庫)

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漱石とその時代〈第5部〉 (新潮選書)

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