減量節制生活中

今、減量のため節制生活をしている。
私の身長は166cmだが、体重はここ20数年間、60kgから64kgの間で上下している。
何も気をつけずに生活していると体重が増えてしまう。64kg近くなると脂肪のきぐるみを一枚着ているような感覚になり、あまり気分がよくない。新しい洋服を買う気持ちも失せてしまう。そんな時期に健康診断があると、γGTPが基準値を越えてしまい、脂肪肝と指摘される。
さすがにこれはまずいと思い、減量をはじめる。だいたい60kgぐらいまで体重を落とす。身体が軽くなると気分は爽快になる。だったらその体重をずっと保てばいいのだけれども、減量節制生活の習慣がいつのまにか緩み徐々に体重が増えるということを繰り返している。
だんだん年齢を重ねるにつれて体重が落ちにくくなっているような気がする。だから、減量節制生活をはじめる時、今回こそはは体重が落ちないのではないか、という不安がある。しかし、幸いなことに、今回もまずまず順調に減量できている。
ゴールデンウィークに、扁桃を切除する手術を受けた(id:yagian:20140510:1399724276)。術後はしばらく喉が痛くて満足に食事を食べることができなかったから、痩せてしまった。しかし、そのような痩せ方はすぐにreboundしてしまう。喉の調子がよくなり、ふつうに食べられるようになると、かえって手術前の体重を越え、64kgに向けて順調に増えて行った。これはまずいと思い、減量節制生活を開始した。
私の減量理論は単純である。
大筋としては摂取する熱量より消費する熱量が多ければ体重は減っていく。そのためには、食事に気をつけて摂取する熱量を減らし、運動をして消費する熱量を増やせばいい。
細かく言えば、脂肪がつきにくいような食事の方法、GI値が低い食品を中心に食事する、とか、食事の時間帯に気をつけるということも有効なのだろうけれど、あまり気にしないようにしている。継続することが重要だから、あまり特殊な食事にはしないようにしている。もちろん、熱量が高く脂肪が多いような食事は頻繁に食べることはしないけれど、たまに食べたくなったときには無理に我慢せずに食べるようにしている。だから、あまりに特殊な食事をするような「ダイエット法」はしないし、また、そこまでしなくても熱量の調整で減量はできる。
食事については、三食は抜かさず必ず食べるようにしている。その代わり、間食と熱量のある飲み物は原則とらないようにしている。
体重が増えている時期にはStressがたまると、会社のdeskで袋菓子を貪るように食べてしまうことがある。減量節制生活中も口ざみしくなることがよくある。そんな時には、Friskの粒を口に入れる。刺激があるので口さみしさを紛らわすことができる。
飲み物は、朝、カフェオレを飲む以外は、基本的には水か麦茶を飲んでいる。禁酒はしていないが、節酒はしている。やはり、お酒を飲むと、お酒そのものの熱量もあるし、つまみを食べてしまう。週末以外はなるべく飲まないようにしている。あくまでも「なるべく」という程度である。
この程度摂取する熱量を減らせば、時間をかければ減量していくということは経験的にわかっている。今回は、実験的興味もあり、摂取する熱量と運動で消費する熱量を"BeCalender"というapp(http://goo.gl/wTyY48)を使って記録している。毎日の体重、食事の内容と熱量、運動の内容と熱量を記録するようになっている。"BeCalender"にも主な食事の熱量についてのデータが入っているし、googleで"◯◯ カロリー"で検索すると食事の熱量はすぐわかる。正確に熱量を知ろうと思うと食事の重量をいちいち測らなければならないのだろうけれど、そこまでの必要はないので目分量で推定している。今は、食事と運動の差し引きで一日1,200kcalぐらいになるように生活している。
食事の熱量と運動の熱量を比較すると、食事でcontrolした方が楽なように思える。例えば、ご飯一膳の熱量は235kcal程度。体重60kgの人がジョギングでこの熱量を消費するには4kmぐらい走らなければならない。運動に慣れていない人にとっては、ご飯一膳抜くほうが簡単に思えるだろう(私もそう思っていた)。
三食きちんと食べると、一日1,200kcalにはあまり余裕がない。お酒を飲むとすぐに1,500kcalぐらいになってしまう。もし、食事だけで節制しようとすると、翌日一食抜く必要がある。かえって不健康のように思うし、お酒を飲むことに罪悪感を感じてしまう。
今回の節制生活のために、Aerobikeを買った。だいたい30分強で300kcalぐらいを消費できる。今日はお酒を飲みたいというときは、朝にその分先に消費しておく。飲む時は罪悪感を感じず、気持よく飲める。
そもそも減量節制生活の目的は健康維持のためである。当然、無理な絶食は意味がないし、運動しながら減量したほうがいいに決まっている。ただ、運動だけで減量するのは難しい。食事の節制にあわせて、お酒を飲んだり、ごちそうを食べたり、甘いものをと食べたりするときに、その分を運動で消費するぐらいの気持ちだとよいと思う。
運動は、朝、毎日軽い「筋トレ」を"GAIN Fitness Cross Trainer"というapp(http://goo.gl/t9bvEd)でやっている。運動の強度、頻度、目的、家にある器具を選択すると、自動的に計画を立ててくれる。毎日少しずつ違ったmenuなので飽きずに続けられる。
その他、前述のAerobikeと週末には水泳をするようにしている。今はまだ暑いので外での運動が厳しいけれど、涼しくなったらjoggingもしようかなと思っている。
今の調子だと、あと2週間ぐらいで目標の60kgに到達しそうである。それからうまく水平飛行に移りたいなと思っている。

ALINCO(アルインコ) エアロマグネティックバイク AF6200

ALINCO(アルインコ) エアロマグネティックバイク AF6200

多面的な観点から歴史を見直す:加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」

加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を読み終わった。ここ数年間で読んだもののうち、もっとも目から鱗が落ちた本だった。
最近、日本の歴史に関する本を読みながら、あまりにも日本の為政者の観点に偏っていると思うことが多かった。
例えば、幕末から明治維新にかけての歴史を読んでいると、まるでMatthew Perryが突然来航して天地がひっくり返ったように書かれている。考えてみるとさまざまな疑問が浮かぶ。なぜ合衆国なのだろうか、なぜ19世紀中頃という時期だったのだろうか。
日本の指導者層は阿片戦争で清が英国に敗れたことに危機感を覚えたと言われることが多い。しかし、実際に開国を要求して来航したのは英国ではなく合衆国だった。また、1840年阿片戦争と1853年の黒船の来航が関係あるとすれば、どのような関係だったのか。
このような疑問に日本の歴史書が答えることほとんどない。だから最近は日本の読者を意識せずに英語で書かれた歴史関係の本を読むようにしていた。日本の為政者の観点が誤りで、海外の歴史書の観点が正しいということではないが、より多面的な観点で歴史を見直すことで理解が深まることは間違いない。
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」は、日清戦争から太平洋戦争まで、日本がなぜ戦争を選択したのか、その経緯について為政者の観点に限らず、日本の一般国民、諸外国の観点に目を配りながら書かれた本である。複数の観点を考慮しているから単純な筋書きに収斂することはなく、歴史の複雑さをそのまま提示していおり、読者に考えることを要求する興味深い本である。
これまで私が知らなかった、想像もしたことがなかった事実も示されていた。
満洲事変、日中戦争、太平洋戦争にかけて、明治憲法における統帥権独立という規定が軍部の独走を招いたということは知っていた。しかし、そもそも明治憲法を起草するときになぜ統帥権を独立させるという設計になっているのか考えたこともなかった。この本の序章で、西南の役などを経験した山県有朋自由民権運動が軍に及ばないように配慮した結果、統帥権を独立させることになったという事実が紹介されている。この山県有朋の配慮が、昭和に入ると軍部が政治化し、それを政府が統制できなくなるという結果を招く。制度設計は難しい。
明治時代の国会は納税額で選挙権が制限されていた。その結果、国会議員の多くは地租を納税していた地主層を支持母体とすることとなった。彼らは、増税につながる政策には反対した。軍備増大にも反対し、政府は苦慮することになる。日露戦争の時、戦費調達のためさまざまな増税が行われる。地租以外の税も課される。その結果、納税額で制限されていた選挙権を持つ国民が増大したのだという。地主層以外の商工業者、彼らは軍備増大が利益に結びつく、が新たな有権者として登場する。
これに限らず、日清戦争から太平洋戦争まで、西洋諸国、中国、韓国などからそれぞれの戦争がどのように見られていたのか紹介される。東アジアにおいて、日本と中国が一貫して競合関係にあること、また、韓国が中国よりの政策をとることなど、歴史的に見ると納得できる。
この本は、さまざまな人が良書として紹介しているが、実際良書だった。
高校生を対象とした授業をもとに書かれているが、決して入門書ではない。この時期の歴史的経緯の基礎的な知識があることが前提となっているから、ある程度読者を選ぶ本ではある。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

自身自力の研究:福沢諭吉と緒方洪庵塾

しばらく前「高橋是清自伝」を読み、これがおもしろかったので(id:yagian:20140602:1401656704, id:yagian:20140603:1401750056)、幕末から明治にかけて生きた人物の自伝の代表格である「福翁自伝」を久しぶりに読み返してみた。
さまざまな視点から読むことができる本だが、今回は福沢諭吉蘭学を学んだ緒方洪庵の塾の様子について書かれた「緒方の塾風」の章が印象的だった。
緒方洪庵の塾は大坂にあり、塾生たちは貧書生が多く、バンカラな話題には事欠かなかったらしい。しかし、それだけではなく、学問勉強についてはきわめて熱心だったという。

およそこういう風で、外に出てもまた内にいても、乱暴もすれば議論もする。ソレ学問どころのことではなく、ただワイワイしていたのかと人が思うでありましょうが、如何にも段に至っては決してそうではない。学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出るものはなかろうと思われる

それでは、緒方塾ではどのような教育が行われていたのだろうか。

…まず初めて塾に入門した者は何も知らぬ。…江戸で翻刻になっているオランダの文典が二冊ある。…素読を授ける傍らに講釈もして聞かせる。…どうやら二冊の文典が解せるようになったところで会読をさせる。会読ということは、生徒が十人なら十人、十五人なら十五人に会頭が一人あって、その会読をするのを聞いていて、出来不出来によって白玉を付けたり黒玉を付けたりするという趣向で、…それから以上は専ら自身自力の研究に任せる…

 市中に出て大いに酒を飲むとか暴れるとかいうのは、大抵会読をしまったその晩か翌日あたりで、次の会読までにはマダ四日も五日も暇があるという時に勝手次第に出て行ったので、会読の日に近くなると、いわゆる月に六回の試験だから非常に勉強していました。…兎も角も外面をごまかして何年いたら登級するの卒業するのということは絶えてなく、正味の実力を養うというのが事実行われて居ったから、大概の塾生は能く原書を読むことに達していました。

何かを習得するためには、結局のところ「自身自力の研究」が必要だ。一方で、自分一人で学習をするのは厳しいから、いっしょに学ぶ仲間がいることも重要である。緒方塾はその両者を両立したいい仕組みだと思う。
考えてみれば、現代の学校制度における「学年」とか、年限がきたら「卒業」するといった決まり事は学習の本質にまったく関係ない。「自身自力の研究」には人それぞれの時期や進度があるから、それぞれの人が自ら塾で学習したいと思うときに通い、もう自分だけで学習できると思った時にやめればいい。
文部科学省が決める学習指導要領は大きなお世話だと思う。人は多様だから「同じ年齢で同じことを学ぶ」という発想が理解不能である。さらに言えば、就職する準備が整うのも人によって違っているから、新卒での就職活動というものも実に不思議な風習に見える。

兎に角に当時の緒方の書生は、十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的のなかったのが却って仕合(しあわせ)で、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。ソレカラ考えてみると、今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行く先ばかり考えているようでは、修行は出来なかろうと思う。…如何したらば立身が出来るだろうか、如何したらば金が這入るだろうか…というようなことばかり心を引かれて、齷齪(あくせく)勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。

逆説的なことだけど、何かをきちんと習得するには、損得勘定を離れて、純粋な気持ちでその分野について勉強したいと思うことが必要だと思う。結果的に実用的な技能を習得することができることもある。もちろん、何にも役に立たないことを習得するということもありうる。学習とはそういうことではないだろうか。
私も「古典」を読むことは好きなのだが、ライフネット生命保険会長の出口治明のように「古典」や「教養」を「効用」に結びつけることは疑問である。(「読書のすすめ―本から学ぶことの効用と古典の重要性」http://diamond.jp/articles/-/17022)
そろそろ人生の先が見えてきて、これから読める本の数の上限も想像できるようになると、つまらない本を読むことに時間を浪費したくなくなる。「古典」となっている本は、それだけ多くの人、長い期間読み継がれてきただけあって、経験的に外れが少ない(もちろん、外れることもあるが)。だから「古典」を読む。それ以上でも以下でもない。特に効用を求めている訳ではない。結果的に何かの役に立つことはある。しかし、役に立たない知識も多いし、役に立てようと思って読むことはない。
出口氏も、ほんとうのところは効用を求めて古典を読んでいるのではない、と邪推している。純粋におもしろいから読んでいる。そして、結果的に役に立つこともある、ということではないだろうか。
かつては「古典」「教養」は階級と結びついていた。特定の階級では特定の教養を身につけることを求められ、また、その教養は特定の階級に閉じられていた。現在、教養を押し付けられることもなければ、自由に教養を身につけることができる。「効用」という名目で教養の押し付けをすることもないと思うし、逆に、教養を楽しむことも万人に開かれている。

高橋是清自伝 (上巻) (中公文庫)

高橋是清自伝 (上巻) (中公文庫)

高橋是清自伝 (下巻) (中公文庫)

高橋是清自伝 (下巻) (中公文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

これからが本番:FIFA World Cup

目が覚めてTVをつけたら、ちょうどBrazil対Chileの試合のpenalty shootoutが始まるところだった。
決勝までの組み合わせを見て、Brazilにとっても簡単な試合はひとつもないな、と思っていた。実際、最初からぎりぎりの勝負になった。
日本のgroup league敗退についていろんな論評があるけれど、World Cupで勝つことは容易なことではない、ということに尽きるように思う。
Zaccheroniに対してはさまざまな批判がある。Asia予選を突破するという最低限の目標は達成したが、本大会の結果やperformanceについては満足できるものではなかったから、批判されても当然ではある。
しかし、Zaccheroniの立場に立って考えて見ると、日本のteamづくりは難しいものだと思う。点が取れるforwardと安定したcenter backがいないことが大前提でWorld Cup本大会で勝てるteamを作らなければならない。そのような条件のもと、あのような戦略とteam構成を選んだことは理解できる。
Zaccheroniの日本は「弱者の戦略」を使わないという印象がある。つねにまともな戦い方をしようとする。その結果、自分より弱いteamには勝ち、強いteamには負ける。
一方、今回Group Cで戦ったGreeceは「弱者の戦略」を使う典型的なteamである。守備的にgoal前に人数を残し、counter attackで得点を狙う。常に引き分けを想定して、どうしても勝たなければならない試合でなければ積極的に勝ちにいかない。
Greece対日本戦は、まさに引き分けを狙った試合だった。退場者が出る前から引き分けを想定していたと思うし、退場者がでた後は0対0で逃げ切ることに専念していた。そして、勝たなければならないIvory Coast戦では、こんな試合もできるのか、というぐらいに積極的に攻めに行き、2対1で勝ってtournament進出を決めた。
しかし、日本がこの「弱者の戦略」をできるのか、といえば簡単ではない。安定した大型center backがいなければ、守備的になったからといって守りきれるというものではないだろう。Ivory Coast戦の失点が典型的だったように、sideから上げられたcrossに対する守備は、身長が足りない日本teamの「伝統的」な弱点となっている。人数をかけないcounter attackで得点を狙うためには、ballをkeepすることが得意で一人でも得点をできるcenter forwardが欲しいが、その人材もいない。
だから、Zaccheroniは日本teamのなかで相対的に優れている中盤の選手がballをkeepすることを中心にして、長友がいるleft sideからの攻撃に重点を置くという選択をした。しかし、より強い相手と戦う時、自分のteamがballをkeepして勝ち切るのは容易ではない。だから、根本的に日本の選手たちがlevel upしなければならないから、簡単ではないし、時間もかかる。
2013年のConfederations Cupでは、そのような日本が典型的な試合をしたと思う。強豪国相手でも日本が得点することはできるようになったが、失点も多い。より強い国とは打ち合いの結果負けてしまう。しかし、Zaccheroniもこの弱点は十分承知のうえで、より多くの得点をすることで勝ち切ることを目指したのだろう。
World Cupのgroup league初戦では、日本より選手の質が高いIvocy Coastが十分に日本の弱点を研究して、おそらく練習通りのpatternで2点とった。日本はconditionが悪いこともあり、3点取り返すsoccerはできなかった。
Greece戦は引き分け狙いにきた相手の守備を破ることはできなかった。今回の大会を見ていると、日本に限らず、しっかりとgoal前を固めたチームから得点するのは容易ではないことがわかる。SpainもNetherlandsからは1点しかとれなかったし、ArgentinaですらIranから点をとるのには苦労した。守備が安定したGreeceから日本が得点するのは難しかっただろう。
最終戦、明らかに実力で上回るColombiaから勝たなければならない状況になった。日本が攻めざるをえないことを踏まえ、Colombiaは引いて守り、counter attackで得点を重ねた。Colombiaのforwardは優秀で、少ない人数のcounter attackが実に有効だった。
group leagueの試合を振り返ると、相手の戦略通りの試合になってしまったことがわかる。そして、日本はそれを打ち破るだけのlevelではなかった。相手も必死だから簡単ではない。South Africa大会でtournament進出したからといって、次はtournamentで初勝利できる訳ではない。
さて、World Cupもこれからが本番。

dataでみるTiki-Taka styleの終焉と日本soccer

今回のFIFA World CupのGroup Leagueはおもしろい試合が多いように思う。
24試合(Italy対Costa Rica戦まで)のうち、0対0の引き分けは3試合だけで、引き分け狙いの消極的な試合が少なく、積極的に得点を取りに行っているように思う。このwebsiteで全試合の結果と簡単なstatsをみることができる(https://sports.yahoo.com/soccer/world-cup/scoreboard/)。
ここまででいちばん印象に残ったのは、やはりNetherlandsがSpainを4対1で破った試合である。
The Wall Street JournalWorld Cup特集のなかでSpainのTiki-Taka Styleが紹介されている(http://graphicsweb.wsj.com/documents/wc-goals/)
Tiki-Takaでは、short passを細かくつなぎ、ballのpossessionを高めることを目指す。SpainはTiki-Takaで前回のWorld Cupを優勝した。WSJの紹介文にも書かれているが、模倣されることは多いけれど、成功例は少ない。それだけ難易度が高いstyleでもあるのだろう。
そして、今回の大会ではTiki-Takaで勝ち続けてきたSpain自身がNetherlandsに完膚なきまでに打ち破られてしまった。
この試合のstatsはなかなか興味深い(https://sports.yahoo.com/soccer/world-cup/spain-netherlands-7371/)。
possessionを見るとSpainが64%だから、いつものSpainのsoccerができたようにも見える。しかし、shots数を見ると、Spainが10本(うち枠内4本)に対し、Netherlandsは14本(うち枠内10本)だった。possessionよりも枠内へのshotsの数が試合結果に結びついているのがよくわかる。Netherlandsの枠内へのshots数、比率は驚異的である。ここまでの24試合の平均を見ると、得点が1.40、shots数が12.54本、枠内が4.35本、shots数に対する枠内shotsの比率は34.7%である。Netherlandsがいかに効率的、効果的に攻撃していたかがよくわかる。
この大会での得点とpossessionの相関係数を計算すると0.136に過ぎず、大会全体を通じてもpossessionが高いから得点できるとは限らないという傾向がある。一方、得点と枠内へのshots数の相関係数は0.625で、いかに枠内へのshots数を増やすかが重要であることがよくわかる。
Tiki-Takaの理論では、possessionを高めることで相手の攻撃のchanceを減らすことができるということだった。しかし、ballを奪って効果的に攻撃ができれば、試合を通じたpossessionはあまり意味がないということがわかる。とはいえ、Tiki-Takaが難易度が高いstyleであるのと同様に、NetherlandsもRobbenとvan Persieというきわめて優秀なstrikerがいるからこそこの高い枠内shots率を実現できるのだろう。
NetherlandsはAustralia戦では苦戦をしたが、3対2で振り切った(https://sports.yahoo.com/soccer/world-cup/australia-netherlands-7388/)。
大会前、Netherlandsはdefenceに難があると言われていたが、2点取られたのはその弱点が露呈したということだろう。しかし、攻撃のstatsはあいかわらずすばらしく、14本のshotsのうち枠内が9本で、この試合もRobbenとvan Persieが1点ずつ得点している。守備の不安があるもののこの爆発的な攻撃力がどこまで続くか目を離せない。
実は、この大会でpossessionがいちばん高かったのはGreece戦の日本で74%である(https://sports.yahoo.com/soccer/world-cup/japan-greece-7390/)。
shots数も18本対9本で圧倒しているが、意外なことに枠内shots数は4本ずつである。
Greeceはもともとpossessionが高いstyleではないうえに、反則退場があって日本がpossessionを高めることになった。shots数が多いことに示されるように、日本はchanceの回数は多かった。しかし、goal前を固めたGreeceに対してmiddle shotsが多く、しかもその精度が低かったから枠内shots率は低かった。一方、Greeceはchanceの数は少なかったけれど、counter attackでgoalに迫ることで枠内shotsを打つことができた。
この大会でのNetherlandsの得点、枠内shotsの多くはcounter attackである。相手が攻撃的であれば、それを切り返すことで高い枠内shots率を実現できる。今日のようなGreeceに対しては、Robbenとvan PersieがいるNetherlandsでも大量得点するのは難しかっただろう。
ColombiaはGreeceから3点取っている(https://sports.yahoo.com/soccer/world-cup/colombia-greece-7373/)。
このとき、Colombiaのpossessionは48%、shotsは13本で枠内が6本である。Greeceが日本戦のように引いていないし、一方、Colombiaもpossessionにこだわっていないこともわかる。また、高い枠内shots率は、Greeceが守備一辺倒でなかったことと、Colombiaの攻撃陣の優秀さを示していると思う。
statsを見る限り、日本がまともにColombiaに勝つことは難しいと思う。しかし、ColombiaはGroup League突破を決めているから控えの選手を使ってくるだろう。そこに一縷の望みがあるかもしれない。

懸命さ、必死さ:日本とUSAのFIFA World Cup初戦

早寝早起きが習慣になっているので、今回のWorld CupのTV観戦にはつごうがいい。
group league初戦がおおむね一巡したところだが、引き分けが少なく積極的に得点を取りに行く試合が多くて退屈しない。Spain対Netherlandsのような番狂わせもあった。前回のWorld CupではSpainがTiki-Taka Styleで優勝したが、今回はTiki-Taka Styleが終焉する大会となるのだろう。
日本のmediaではほとんど報道されないけれど、今回はUSAに注目している。驚くようなすばらしいplayをする訳ではないけれど、見ていて応援したくなるteamである。
USAと日本は非常に似た立場にあると思う。
北米中南米予選、アジア予選というsoccerの世界ではminorな地域の代表で、その地域の予選を突破する安定した力はあるが、本戦ではbest16が最高の成績である。
Super Starはいないが、teamには結束力があり、組織的にplayをして、走ることを惜しまない。やや"malicia"に欠けるところはあるが、まじめにsoccerに取り組んでいるところは好感が持てる。
自国開催のWorld Cupを契機として代表teamと国内league(MLSとJ-League)の強化を進め、一定の成果は得ている。今回のWorld Cupに向けて、Alberto ZaccheroniとJurgen Klinsmannという外国人の監督を迎え、もう一段階level upするための改革を進めてきた。両国とも女子soccerは世界top levelにあることも共通している。
group league初戦で、個々の選手の力量が明らかに上のAfricaのteam、GhanaとIvory Coastと戦うことになったのも共通している。日本もgroup league突破のためにはIvory Coastには最低でも引き分けておきたかった。USAのgroupは、Germany、Portugal、Ghanaという組み合わせで、いちばん厳しいく、初戦のGhanaになんとか勝たないとgroup league突破の見込みが立たない。
日本もUSAも相手に押され続ける苦しい試合となったが、結果としては日本は1対2で破れ、USAは2対1で勝った。
USAはgoal前に人数を残す守備的なstyleで戦っていた。Ghanaには惜しいshotが多く、1点に抑えたのはかなり幸運だった。center backに不安がある日本は、そもそも守備的なstyleを選択できないのかもしれない。left sideからcenteringを上げられheadingでgoalされるという、絵に描いたように日本の弱点を突かれ、2点取られた。Ivory Coastは十分に日本対策をしてきたことが感じられる試合だった。
日本の選手たちは、もともと体調が悪かったのか、試合会場の暑さのために体力を奪われたのか、身体が重そうで覇気が感じられなかった。USAの試合会場は日本戦の会場より多少は涼しいという影響もあったかも知れないが、Ghanaの分厚い攻撃に身体を張って耐え続けていたし、1対1の同点になったあとも頭を垂れることなく何とか得点をしようと懸命に走っていた。足の痛みを訴える選手もいて、必ずしも体調万全という訳ではなさそうだったが、気力、集中力は試合の最後まで切れなかった。
Greek戦では懸命に戦う日本選手の姿を見たいと思う。勝ち負けは時の運だし、日本teamには必ず勝てるというほどの実力はない。ただ持てる実力は発揮してほしいし、そのためには懸命さ、必死さが不可欠だと思う。
PortugalがGermanyに大敗したから、USAはPortugalに引き分けることができればgroup league突破の可能性が高まる。しかし、PortugalはUSAに勝ちにくるから激しい試合になるだろう。USAの選手たちの全力のplayをもう一度見てみたい。

原典を読むのがいちばん楽しい:Marco Polo「東方見聞録」を読む

岩波書店から刊行されている月村辰雄・久保田勝一訳のMarco Polo東方見聞録」を読んだ。
「百聞は一見に如かず」というべきか、やはり原典を読むに如くはない。もちろん、Franchは読めないので、ほんとうの意味での原典は読めないので和訳だけれども。
東方見聞録」はさまざまな写本があり、異同も多いようだ。和訳も種類が多い。私はどれがoriginalに近いのかよくわからないけれど、amazonでの紹介文を読むと、この月村・久保田訳がoriginalに近い翻訳をいちばん意識していたようなので、このversionを選んだ。
お恥ずかしい話なのだが、「東方見聞録」をMarco Poloが活躍する中世の冒険譚だと思い込んでいた。原典を読むと、Marco Polo自身の体験はほとんど書かれておらず、彼が旅行した地域の情報を中心にまとめた冷静な地誌だった。Marco Poloが実際に旅行をしたか疑問を呈する向きもあるようだが、Google Mapで位置を確かめながら読むと、記述はかなり正確で、少なくとも実際に旅行した人の見聞に基づいていることが納得できる。もちろん、ZipanguやAfricaの東海岸など明らかに伝聞情報で書かれたところもある。
13世紀中頃、Veneziaの商人だったMarco Poloの父親と叔父であるNiccoloとMaffeoはCentral Asiaを旅をし、Kublai Khanに出会う。Kublaiは、二人に教皇からの使者を派遣するように要請する。NiccoloとMaffeoはいったんVeneziaに戻り、今度はMarco Poloを連れてKublai Khanを訪れる。行きは陸路で北京まで至り、しばらくKublai Khanの宮廷で働き、帰りはIndian Oceanを経てVeneziaまで帰ってくる。「東方見聞録」では、おおむね行程順にそれぞれの土地の地誌が語られる。
東方見聞録」に物語としてのおもしろさを期待すると裏切られ、退屈な記述の連続に見えると思う。しかし、13世紀に書かれた地誌として、それぞれの関心に基づいて読むならば、読者ごとにおもしろさを引き出すことができる本だと思う。それこそが「原典」を読む楽しさだろう。
私が興味をもったことのひとつは、Nestorian(「ネストリウス派キリスト教徒」)の分布である。Marco Poloは、それぞれの土地の住民が、Christianなのか、Muslim(「サラセン人」)なのか、偶像崇拝者なのか必ず書いている。これを読むと、13世紀の段階ではAsiaの広い範囲でNestorianがIsramと拮抗していることがわかる。
この時代、Central Asiaの主要部分はMongolianが征服している。おもしろいことに、Mongolianの王たちは、Isramに帰依したもの、Tibetan仏教に帰依したもの、そして、Nestorianismに帰依したものがいる。Kublaiに「ナイアン」というNestrianの王が反乱をおこす話がでてくる。「ナイアン」の領地は女真高麗など朝鮮半島から中国東北部だったようだ。もちろん、「景教」とうい名でNestorianが中国に存在していることは知っていたが、それでもNestrianの分布はAsiaでも西部が中心という印象を持っていた。しかし、朝鮮半島の領主がNestrianだったということは意外だった。Nestrianがなぜほぼ消滅したのか、その歴史的経緯とEuropeとAsiaの関係に与えた影響について興味がわいた。
Zipanguについてどのように書かれているのか、日本人としては興味がある。当然のことながら、この部分は伝聞情報なので必ずしも正確ではない。しかし、元寇について同時代の記録として書かれているということはおもしろい。戦闘の経緯は正確ではないけれど、Mongolianが侵略した船団が台風の被害にあったことは書かれている。伝聞によってどのように情報が歪むのかを考える事例として興味深い。
前述のようにMalco Poloは中国から海路で帰国する。中国とIndiaで交易が行われていたようだし、Indian Oceanの交易網はMadagascarやZanzibarまで広がっていたようだ。元の滅亡後の15世紀に鄭和(彼はMuslimである)がIndian Oceanを経てAfricaまで遠征するが、この交易網を考えれば比較的容易だったのではないだろうか。
印象的なのは、この時代のMalco Poloにはまだ異教徒を蔑視する視線(もちろん「サラセン人」や「偶像崇拝者」に対する反感はあるけれど)がないことだ。Kublai Khanは世界でもっとも優れた君主として、また中国も豊かな地域として描かれている。そういったことは、原典を読んでこそ感じ取ることができる。

マルコ・ポーロ 東方見聞録

マルコ・ポーロ 東方見聞録