民芸とエキゾチズム

しばらく前、つれあいと一緒に日本民芸館へ行った。
柳宗悦は、ものの銘や価格や評判にとらわれず、ものをじかに見ること、それ自体の美しさを直感することを主張した。柳宗悦が書いていることのすべてに同意できるわけではないけれど、日本民芸館の建物、展示物は非常に趣味がよく、たしかに、ものをじかに見て、それ自体の美しさを直感していることを実際に実行していることに感心する。
柳宗悦は、現在の茶道家が、じかにものを見ることをしないことを批判する。柳宗悦が、じかにものを見ることができたのは、彼が、うつわを在来の茶道家とことなり、海外の収集家のような視線で見ることができたからではないかと思う。
日本民芸館にあった柳宗悦の日常生活を写した写真を見ると、彼の家族は、椅子とテーブルの生活をしている。日本民芸館には、さまざまな民芸品や作品が展示されているけれど、畳の座敷や床の間はない。それらは、床に置かれた棚に並べられ、壁に掛けられている。柳宗悦は、日本や朝鮮の生活雑器から民芸品を見いだしているが、それらが使われていた生活そのものを再現するわけではなく、もともと使われていた生活の文脈から切り離し、再編集をしている。もちろん、茶道のさまざまなしきたりからも切り離している。柳宗悦が、じかにものを見ることができたということは、それらのものが使われていた文脈から自由であったということによるのではないかと思う。
柳宗悦がつくりあげた日本民芸館という世界は、すばらしく趣味がよい。だから、彼が、民芸品をそもそもの文脈から切り離して再編集したことはひとつの創作であり、すばらしいと思う。しかし、その世界を日本的、東洋的と単純に呼ぶことはできないようにも思う。柳宗悦は日本人ではあるけれど、彼の日本を見る目は、エキゾチズムなのではないか。
柳宗悦柳宗悦随筆集」(岩波文庫 ISBN:4003316991)のなかの「東洋文化の教養」では、このように書かれている。

 私が未だ学習院の若い学生であった頃(それは主に明治の末年の事であるが)……漢学はろくに修得出来ず、英語の方が遥かに熱心であった。今となってみると、なぜ両方をよく勉強しておかなかったかと惜しまれてならぬ。なぜならそのために、東洋人でありながらろくに東洋の古典も読めぬ始末で、自分ながら変態的な教養なのを感ぜざるを得ぬ。
……
 しかし自分の教養が段々積んでくるにつれ、東洋人としての自覚が目ざまされ、自らの故国を顧み、その文化を想いみるようになった。そうして態々遠い廻り道をしていた自分を省みないわけにはゆかなかった。将来東洋人として世界に何を寄与すべきか、また寄与すべき何の持物が東洋にあるかについて、反省せざるを得なくなった。

なかなか考えさせられることが多い文章である。
おそらく、西洋の教養を勉強しなければ、そもそも、自分が「東洋人」だという自覚が目覚めることもなく、「自らの故国を顧み、その文化を想いみる」こともなかっただろう。もちろん、「東洋人として世界に何を寄与すべきか」といった発想が生まれるわけもない。柳宗悦が民芸の世界を築き上げるには、西洋の教養を習得したことは、決して、「遠い廻り道をしていた」わけではないだろう。
「日本」の伝統とは何か、ということは考えさせられる。現代の日本人にとって、日本の伝統を見る目に、エキゾチズムが混ざらないということはほとんどあり得ないだろう。