これからが本番
ふだんはサッカーはあまり見ることがないけれど、ワールドカップはついつい見てしまう。
どのようなエンターテイメントであっても、そのジャンルに親しみがない人は、そのジャンルの最高のもの、つまり、最高のメンバーが演ずる、いちばんオーソドックスな演目を見るべきだと思っている。そのジャンルに通暁している人は、最高のものでなくても、これまでの経験を踏まえて自分なりにおもしろみを見出すことができるけれど、親しみのない人はそうは行かない。逆に、そのジャンルの最高のものは、ジャンルに親しみのない人でも楽しむことができる。一見さんを楽しませる演目のないとしたら、そのジャンルは見込みがない、ということだと思う。
冒頭に書いたように、私はサッカーにはあまり親しみがないけれど、ワールドカップに出てくる最高の選手たちの最高のプレーは、楽しむことができる(Jリーグは、私にとっては難解すぎて楽しむことがむずかしい)。
予選リーグは、力の差があるチームの対戦があるから、強豪チームの突出した力量のお披露目という印象を持った。例えば、アルゼンチン対セルビア・モンテネグロ、ブラジル対日本。全力を出し切っている、というわけではないのだろうけれど、演舞を見ているような楽しさがあった。
格闘技の世界では、シャークと金魚といういい方をすることがある。強豪であるシャークと、シャークに食われることでその引き立て役になる金魚という意味である。アルゼンチンやブラジルはシャークで、セルビア・モンテネグロと日本は金魚である。
予選リーグのなかでは、イタリア対チェコの試合は、シャーク同士の試合で見応えがあった。特にスタミナがある前半は、コンパクトなスペースで、はげしくボールを奪い合っていた。日本は、実は、チェコがしていたような試合を目指しているのだろう。残念ながら、じっさいの日本の試合では、スペースは間延びしてしまい、ボールを奪うこともあまりできていなかった。
サッカー一見さんの私にとっては、シャークの試合は楽しく見ることができる。金魚であっても、なかには、共感できるチームがある。また、残念ながら、シャークの引き立て役になるだけの金魚のチームもある。正直言って、そのようなチームの試合は、あまり楽しむことができない。
私は、前回のワールドカップではアイルランドを応援していた。彼らは、けっして突出して優れた選手がいるわけではなく、サッカーも少々時代遅れだったけれど、心がひかれるところがあった。今回のワールドカップでは、トリニダード・トバゴがよかった。傍から見てもチームのまとまりが感じられ、最後まで試合を投げることがなかった。彼らは、自分たちの能力、特徴にあった自分なりのやり方があり、それに全力をかけて、最後まであきらめずに戦い続ける。その姿に共感できるのだと思う。
日本が金魚なのはしかたがないけれど、シャークの餌になるだけの金魚だったのは少々残念だった。スタジアムでは、ドイツの観客も、トリニダード・トバゴを応援していたという。しかし、ブラジル対日本戦で、日本を応援していたのは日本人だけだったろう。
そんな日本チームのなかで、中田英寿だけは違っていた。さすがにワールドカップのなかでは、中田も突出した才能があるわけではない、凡庸な選手に見える。それでも、自分なりに最高のコンディションを作りあげ、試合のなかでは最大限やれるだけのことをやろうとし、じっさいにやっているように見えた。日本のチーム全体が、中田のような意識を持っていたならば、日本人以外のサッカーファンにも共感を得ることができるチームになっただろうと思う。
ブラジル戦が終わった後、うなだれてインタビューを受けていた中村と違って、中田はしっかりと前を見て「これが自分たちの力だと受けとめたい」と語っていた。全力を出しつくしたからこそ言える言葉であり、すばらしい態度だった。
それにしても、これからがいよいよシャーク同士の喰い合いになる。これからが本番だ。