日中交流

少しずつ森鴎外伊沢蘭軒」を読み進めている。念のため、「伊沢蘭軒」とは何かを簡単に紹介したい。
鴎外は最晩年、史伝ものと呼ばれる長編の三部作「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」「北条霞亭」を書いている。それぞれ、江戸後期の無名であった医者、儒学者を対象にして、その行状を編年体でまとめたものである。小説的な潤色は行われていない。当時の日記、書簡、詩などの引用も多く、現代人の目からみると決して読みやすいものではない。また、鴎外自身も釈明の文章を書いているところからみても、鴎外同時代の人にとっても読みやすいものではなかったようだ。
それでも、読みづらさをがまんして読み進めていると、だんだん彼らの江戸時代の生活ぶりが伝わってくるし、意外なトリビアがあったりもする。
今、蘭軒が長崎奉行に従って、1年数か月長崎に赴任しているところを読んでいる。長崎といえば、オランダ人が連想されるが、蘭軒は儒学者でもあり、オランダ人ではなく、清人たちと交際をしている。蘭軒が交際していた清人のひとりが、次のように紹介されている。

 程霞生赤城、一字は相塘である。屡長崎に去来して国語を解しゲン(ゴンベンに彦)文を識っていた。(p153)

ゲン文とは、ハングルのことだという。この長崎にしばしばやってきた程赤城という清人は、日本語とハングルを理解していたという。江戸時代の知識人は、このような形で中国と結びついていたようである。

森鴎外全集〈7〉伊沢蘭軒 上 (ちくま文庫)

森鴎外全集〈7〉伊沢蘭軒 上 (ちくま文庫)