登場人物が勝手に動き出すこと

丸谷才一の「樹影譚」を読んでいて、次のような一節が目に留まった。小説に登場する小説家古屋逸平の独白である。

……作者と作中人物の関係について、古屋は普通とは違ふ見方をしているので、作中人物はしばしば、作者の意識に支配されず自在に行動し、語り、思索し、そして彼らの生き方によつて作者の心の奥をあばくといふのが、彼の若年の頃に発見し、長い経験ののちいよいよ強固なものになつた小説論なのである。

小説やマンガの作者が、登場人物が勝手に動き出すというのをたまに目にすることがある。丸谷才一もそのなかの一員らしい。
私自身は、小説もマンガも書いたことがないから、登場人物が勝手に動き出すという感覚はよくわからないけれど、文章を書いていると思いもよらぬ方向へ考えが進んでいくということは経験することがある。
ウェブログで文章を書くとき、頭の中で文章を組み立ててから書くこともあるけれど、たいていはぼんやりと考えのあらすじだけを考えて書き始めることが多い。書き始めると、あらすじから脱線した発想が生まれる。登場人物が勝手に動き出すというのも、登場人物の行動についてぼんやりとしたあらすじを考えて書き始めると、実際にはそのあらすじから脱線して、予想していない方向に発展するということなのだろう。
さっき、丸谷才一もそのなかの一員らしい、と書いた。丸谷才一のように考え抜いて小説を書いているように見える作家が、登場人物に自由を許しているというのは意外である。この「樹影譚」という小説は、企み深く構築された小説だから、この独白は、あくまでも古屋逸平の独白であって、丸谷才一の独白ではないから、丸谷才一の考えそのままと考えるわけにはいかないかもしれない。

樹影譚 (文春文庫)

樹影譚 (文春文庫)