インチキをインチキと言うこと
小谷野敦「日本文化論のインチキ」を読んだ。
小谷野敦は、博聞強記だと思うし、書いていることもおおむね的を射ていると思うので、彼の本はたまに手に取ることがある。ウェブログ(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/)を読むと、粘着質の人で個人的にはお近づきになりたいタイプではないけれど、粘着するところも学者としての資質のひとつかもしれない。
「日本文化論のインチキ」は、ややバランスが悪い本だという印象を受けた。前半は、有名な日本文化論を批判していくのだが、ツッコミが浅くものたりない。後半は、恋愛論とラフカディオ・ハーン論を扱っているが、ここは前半とは逆に、新書としては批判が詳細すぎる。小谷野敦の興味がその部分にあるということはわかるけれど、この表題はもう少し広くさまざまな日本文化論を批判しているという印象を与えると思う。
「日本文化論」というものは、大方インチキである。ひとくちに日本と言っても、地域、時代、社会階層のなかで多様である。広く目を配った「日本文化論」はあいまいな結論にならざるを得ないし、逆に、はっきりとした結論を持つ「日本文化論」は日本の限られた部分を切り取ったもの、多くは、作者の個人的な体験や関心の領域のなかでのお話になる。もちろん、あいまいな結論の「日本文化論」は受けない。人気がでるのは、はっきりとした結論の「日本文化論」である。だから、「日本文化論」と言っても、結局は、日本のごく一部分を切り取った表題を裏切る「インチキ」なものになってしまう。
このようなインチキな「日本文化論」を批判するのは簡単である。多少まじめに調べれば、いくらでも反証となる事実、事例が見つかるからである。一世を風靡した「日本文化論」をインチキだと指摘するのは、隠微な爽快感がある。私も、ずいぶん藤原正彦「国家の品格」の批判を書いた(http://tinyurl.com/2353kls)。
しかし、「日本文化論のインチキ」を読みながら、インチキをインチキだと言うことに意味があるのだろうかとと疑問を感じた。なかには真に受ける人もいるのかもしれないけれど、たいていの人は大方の「日本文化論」はインチキくさいということは感じているのだと思う(思いたい)。それならなぜ、大量の「日本文化論」が生産され、消費されているのかと反論されるかもしれないが、たいていの人はまじめに「日本文化論」を読みたいわけではなく、ひととき気持ちよくなったり、自分が偉くなったような気持ちになりたいだけなのだと思う(思いたい)。だから、それをまじめにインチキだと指摘しても不毛な作業という気がする。
それよりも、なぜ「日本文化論」が生産、消費されるのか、どのような「日本文化論」が流行し、その背景はなんなのか、といったメタ「日本文化論」を考察した方が興味深いし、生産的ではないかと思う。
あと、本書について二点疑問に思った点を指摘しておきたい。
メタ「日本文化論」的な考察として、青木保「「日本文化論」の変容」は取り上げられていたけれど、船曳建夫「「日本人論」再考」は触れられていなかったのはなぜだろうか。講談社学術文庫に収録されたこの本を博聞強記な小谷野敦が読み落としているとは思えないし、特に無視する理由があったのだろうか。
もう一つ気になったところを引用したい。
またノーム・チョムスキー(1928−)が創始した変形生成文法というものは、あらゆる言語は基本的に同じ構造に還元できるとするもので、今では脳科学とも結びついてますます有力な学説となりつつある(酒井邦嘉『言語の脳科学』中公新書に詳しい)。私は、文化もこれと同じように、根底に普遍的なものを持っており、ただその表れにおいて様々な変異を持つだけだと考えている。 (pp184-185)
浅学な私にとって、チョムスキーの生成文法を評価することはできないけれど、言語学において「ますます有力な学説となりつつある」とまで言えるのだろうか。これこそ、ポパー的に言えば反証不可能性がない非科学的な命題なのではないだろうか。
チョムスキーの生成文法を認めるとしても、それを安易に文化へ広げるのはどうだろうか。もちろん、あらゆる民族、社会が、言語を用い、婚姻の制度や親族組織を持っている。その意味では、文化には普遍的な側面はある。しかし、文化全般の背後に普遍的なものを見るというのは、これもまた、反証不可能な命題であるし、小谷野敦が批判するユングのアーキタイプと変わらないオカルト的な考え方のように思う。
渡部昇一の『知的生活の方法』には、師匠から、精読すれば、どんな偉い学者でもどこかでおかしなことを言っていることが分かるから、それを研究のとっかかりにするように言われたと書いている。(p83)
この言葉を、小谷野敦にも返したい、と言っては皮肉が過ぎるだろうか。
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