小川洋子のブリコラージュ

最近、江戸思想、現代小説、現代思想というローテーションを組んで本を読んでいる。
江戸思想に尊王思想の源泉を探った山本七平「現人神の創作者たち」を読み、次に小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」を読み、レヴィ=ストロースの「野生の思考」を読み始めている。
「野生の思考」の第一章「具体の科学」のなかに、有名な概念「ブリコラージュ」がでてくる。日本語には適切な訳語がないらしく、かっこ書きで「器用仕事」と訳されている。
ブリコラージュとは、専門家が計画設計し工具を作り材料を集めものを作るのではなく、素人が手近にあるありあわせの道具材料を用いてものを作ることを指すという。レヴィ=ストロースは、前者の方法を科学的思考に、後者の方法を神話的思考に対比している。神話的思考では、具体的に知覚されたできごとを組み合わせて、思考の成果を表現するという。
小川洋子の小説を読んでいると、ブリコラージュという方法で思索が深められているように感じられる。「猫を抱いて象と泳ぐ」では、チェス、デパートの屋上の象、ビルに挟まれた少女、太りすぎた男、精巧なからくり人形といった具体的な素材を組み合わせて、小川洋子独自の世界が創造されている。その小説は、神話のようでもある。
レヴィ=ストロースは「野生の思考」のなかで、美術は科学的思考と神話的思考の中間に位置すると言っている。完全に外的な出来事に支配されてしまうと美術とは言えない。しかし、外的な出来事の偶然性を作品に盛り込むことができなければ、感動を生むことができない。
文学の世界で考えると、完全に外的な出来事に支配されるとは、事実をそのまま記述したドキュメントということになるのだろう。外的な出来事の偶然性を盛り込めないものとは、作者の空想のみで作り上げられた、作り物のようなわざとらしい作品ということだろう。
小川洋子の小説は、幻想的で、事実とはかけ離れている。しかし、「つくりも」のという違和感はなく、「リアル」な感じがする。レヴィ=ストロース流に言えば、外的な出来事の偶然性を盛り込んだブリコラージュによって作り上げられた作品ということなのだろう。

現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈下〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈下〉 (ちくま文庫)

猫を抱いて象と泳ぐ

猫を抱いて象と泳ぐ

野生の思考

野生の思考