バラード、ギブスン、エフィンジャー、伊藤計劃
伊藤計劃(id:Projectitoh)「虐殺器官」を読み終わった。
今では純文学系の小説も読めるようになったけれど、30歳になるまで、特に、中学生から大学生の頃まではミステリとSFばかり読んでいた。ハヤカワ文庫と創元推理文庫にはずいぶんお世話になった(サンリオ文庫には恨みがあるけれど)。
しかし、ひと通り代表的なSFは読んでいたけれど、あまり正統的なSFファンではなかったかもしれない。好きだったのはJ.G.バラードとサイバーパンク、ウィリアム・ギブスン(http://goo.gl/9MJO, id:yagian:20050326:p3)とジョージ・アレック・エフィンジャー(はてなのキーワードに登録されていなかったので、キーワードをはじめて作ってしまった)で、いわゆるハードSFにはどこか馴染めないところがあった。
J.G.バラードは、もうSFという括りでは語れない作家だろうけれど、今でも新作がでると気になってチェックをしている。あの悪夢的世界にはどこか心惹かれてしまう。比較するのは適当ではないかもしれないけれど、ガルシア・マルケスたちのマジック・リアリズムの幻想的な世界も好きだけれども、あれはどこか遠くにある別の世界という印象がある。しかし、バラードの世界は、現代の先進資本主義社会のすぐそば、いや、その中にある世界のように感じられる。自分がその世界に紛れ込んでも不思議ではない、実際に巻き込まれているような、そんなリアルな感覚を感じる。
ウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」を読んだのは大学生の頃だった。その頃は、もちろんインターネットと携帯電話はなかったし、ようやく家庭用のビデオが本格的に普及し始めて、ファックスを操作したのも社会人になってからだった。そんな石器時代ような時代に「ニューロマンサー」を読めたのは幸せだったかもしれない。脳に直接アクセスするデバイスこそないけれど、ごく普通の人が手の中に収まる小さなデバイスでインターネットにいつでもアクセスできるようになり、「ニューロマンサー」の世界のかなりの部分が現実のものとなった現在、あの衝撃の読書体験ということは再現できないだろうと思う。J.G.バラードとP.K.ディックを別とすれば、普通のSFが描く世界は、どこかきれいごとという印象があった。しかし、「ニューロマンサー」は、テクノロジーの進化が社会の混沌をより加速させるという世界観が示されており、強くリアリティを感じた。そして、実際にインターネットの世界はギブスンの描くような混沌とした世界になっている。
小説の斬新さ、完成度の高さとは別に、好みという意味では、SF小説のなかではジョージ・アレック・エフィンジャーのブーダイーン三部作をいちばん愛していると思う。バラードやギブスンに比べればはるかにマイナーな作家だけれども、北アフリカのイスラム世界のなかでのサイバーパンクという意表をつく設定とマリード・オードラーンという主人公のけっしてスーパーマンではないピカレスクぶりがほんとうに魅力的だった。エフィンジャーは伊藤計劃よりは長命だったけれど、子どもの頃から腫瘍によって手術を重ねて、結局それで死を迎えてしまう。エフィンジャー自身もブーダイーンシリーズをまだまだ書き続けるつもりだったようだし、彼の死を聞いたときにはほんとうにショックだった。
そして、伊藤計劃である。「虐殺器官」の帯に「ゼロ年代最高のフィクション」という惹句が書いてあったが、さすがにそれは褒め過ぎだろうと思う。また、バラード、ギブスン、エフィンジャーと並べるのも少々厳しいかもしれない。しかし、日本のSFで、英語に翻訳した方がいいと思った作品はこれが始めてだった。インターナショナルなレベルに達したサイバーパンクだと思う。
SF、サイバーパンクのキモは、いまここの世界とは違っているが、しかし、リアルさを感じさせる世界観を提示するところにある。「虐殺器官」では、バラード、ギブスン、エフィンジャーに比べればオリジナル性には欠けるところがあるけれど、充分リアリティがある完成度の高い世界観が示されている。ボスニアでテロリストによる核爆発があった以降、核兵器の使用に対する禁忌がなくなり、インドとパキスタンで核戦争が起きるという設定は、ありうる将来だと思わせる。戦争も、大規模な軍隊の衝突ではなく、高度なテクノロジーを装備したアメリカの兵士がテロリズムによって混沌とした地域に派遣される戦闘の描写は説得力がある。
いくつか「虐殺器官」で印象に残った言葉を引用したい。
「ハイテク機器と規模の拡大、あとは単純に人件費の増大によって、近代の戦争のコストは極端に膨れ上がった。戦争をやっても単純に言えば儲からないのです。それでどんなに石油の利権が確保できても、ね。では、それでもアメリカが戦争しているのはなぜか。世界各地で、民間業者の手まで借りて火消しに走り回っているのはなぜか。正義の押しつけ、という人もいますが、コストを払っている以上、わたしはそれを、戦争をコミュニケーションとした啓蒙であると思っています」
「啓蒙……戦争が啓蒙」
「アメリカ人がそう意識しているかどうかにかかわらず、現代アメリカの軍事行動は啓蒙的な戦争なのです。それは、人道と利他行為を行動原理に置いた、ある意味献身的とも言える戦争です。もっとも、これはアメリカに限ったことではなく、現代の先進国が行う軍事的介入は、多かれ少なかれ啓蒙的であらざるを得ませんがね」
「それは褒めてもらっているんでしょうかね」
「いいえ」ルーシャスは正直に言った。「いいとか悪いとか、そういった価値判断は、いまの話のなかにはありません。啓蒙それ自体は、誰かの側からの独善的な啓蒙しかないのですから」(pp179-180)
この考察は、アメリカの戦争、そして、外交の本質を突いていると思う。私も、ある仕事でアメリカの官僚と議論したことがあるが、彼らの行動は実利的な側面からだけでは説明できない「理想」や「啓蒙」という側面があることを強く感じた。しかし、一方で、その「理想」を世界の中で客観視できていないという意味で、ひどく独善的だとも思った。彼らの戦争を石油利権といった陰謀論には還元できない。「理想」や「啓蒙」という美点もある、しかし、それらは独善的なのだ。
サラエボで核爆弾が炸裂した日、世界は変わった。
ヒロシマの神話は終わりを告げた。どういう意味かというと、世界の軍事関係者が薄々気づいていながら決しておくびにも出さなかったある事実を、おおっぴらにしてもいい、ということ。つまりそれは、核兵器は「使える」ということだ。
冷戦の時代、核は終末の象徴だった。ソ連とアメリカが互いに核を撃ちこみあって、放射能の雲が天蓋を覆い隠し、地球は永遠の冬に包まれ、人類は滅亡する。だからこそ、核戦争はおこしてはならなかったし、また実際に起きなかった。「核による終末」という神話を皆が信じ込んでいたからだ。
だが、そんな神話の時代はサラエボで永遠に終わりを告げた。
膨大な数の人間が死んだ。にもかかわらず、多くの軍人たちの目には、それが「よく管理された」爆発のように見えた。でたらめな被害が多く出たわけではない。手製の核爆弾が穿ったクレーターを目の当たりにして、軍事や政治家たちは核兵器が利用するに足る兵器であるという確信を得たのだった。(p270)
核の拡散が広がっている。テロリストの手にも核が渡っているかもしれない。9.11でこれだけ世界の様相が変わってしまったのに、もし、核によるテロがあったらどのように世界が変わってしまうのだろうかと想像することがある。
愛国心が戦争の動機の座に就いたのは、いつだろうか。
…
みんなのために戦う。国民国家の誕生までは、その動機は買い物列の最後尾だった。それまでの戦争は、利益のため、金儲けのために行われる一部の専門家の仕事だったから、利益集団に対する忠誠心はあっても、「お国のみんなのために」なんていうスケールのでかいことは誰も考えなかった。…
つまり、自分の国を守るために自らを犠牲にするという精神自体は、つい最近発生したものにすぎない。民間軍事請負業者(PMF)は、こと戦争の歴史においてはアメリカ軍よりもイギリス軍よりも由緒正しい存在だといえる。戦争という営為が変化したのは、つい最近のことなのだ。
そういうわけで、考えて見れば当たり前なのだが、一般市民にとって愛国心が戦場に行く動機になったのは、戦争が一般市民のものになった、言うなれば民主主義が誕生したからなのだった。(pp369-370)
20世紀の戦争は、ここに書かれたものだった。私個人は、日本におけるそのような戦争の発祥を、江戸時代にさかのぼって考えてみようとしている。しかし、21世紀に入って、戦争の形態はまた変わってきたと思う。テロリストの自爆攻撃は、国民国家への忠誠心では説明できないし、先進国の軍隊は、一般市民の集団から専門家集団に変貌しているように見える。
最後に、伊藤計劃の死について書こうと思う。エフィンジャーのように、伊藤計劃は癌の手術を重ねながらこの小説を書いていたという。死を身近に意識している状態、心理というものはリアルに想像することはできない。遺書のような、自分の生の証明といて小説を書いていたのではないかと、紋切り型の感想しか書けない。この小説の最後のページに書かれた「私の困難な時にあって支えてくれた両親、叔父母に。」という言葉が重い。
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