プレモダン、ポストモダン

学生時代に読んだ高橋源一郎優雅で感傷的な日本野球」(河出文庫 asin:4309408028)を読み直している。おもったよりおもしろく読むことができている。
考えてみれば、学生時代には、日本の近代文学の作品をほとんど読んでいなかったから、自分の頭のなかは近代以前、プレモダンの状態だった。そんな時にポストモダンの小説を読んでもよくわからなかったはずだ。だから、今の方がおもしろく読むことができても不思議はない。
それにしても、高橋源一郎は、「さようならギャングたち」(講談社文芸文庫 asin:4061975625)から「優雅で感傷的な日本野球」まではよかったけれど、その後の作品は、それまでがすばらしかっただけに、読むのがつらくなる。このつらさは、ウィリアム・ギブスンを連想する。彼も、「ニューロマンサー」(ハヤカワ文庫 asin:415010672X)から「モナリザオバードライブ」(ハヤカワ文庫 asin:4150108080)までは実にすばらしかったけれど、これ以降は読むのがつらい。簡単に言ってしまえば、時代の前衛だった人が、時代に追い抜かれてしまった哀れさに、読むのがつらくなるのだ。
彼らと比較するのが適当かどうかよくわからないけれど、J.G.バラードの作品は、今も昔もやり口は変わらないけれど、相変わらずつらさを感じさせずおもしろく読むことができる。どこが違うのだろうか。