幕末のロビンソン・クルーソーとしての吉田松陰

岩尾龍太郎「幕末のロビンソン―開国前後の太平洋漂流(ロビンソン・クルーソー・ゲーム)」を読んだ。同じ作者の「江戸時代のロビンソン―七つの漂流」の続編である。(id:yagian: 20101229:1293615566)
この本では、海外から外交関係を持つように強制されるようになった幕末期の漂流者について書いている。前作では、日本から漂流し、ある者は帰還し、ある者は帰還できなかった物語が語られていたが、今作ではそれにとどまらず、日本へ漂流しようとする外国人や日本から海外へ漂流しようとする日本人の物語も書かれている。
あいかわらずどの話もおもしろいのだが、吉田松陰の密航に関する話に特に興味を持った。
最近、幕末から明治初期にかけての日本の国民国家成立時期に関する本を読んでいる。吉田松陰は、その時代の矛盾を体現しているような人で、理解がしがたい行動も多く気になっており、いずれ彼に関する本をじっくり読もうと思っていた。
吉田松陰は、伝統的な儒学と山鹿流兵学の教育を受けて育った。しかし、西洋の軍事力の優秀性を知ると、これも儒学者であり西洋の兵学に関心を持っていた佐久間象山に弟子入りする。そして、佐久間象山の使嗾もあり、ペリー艦隊によってアメリカへ密航し、西洋の知識を学ぼうとする。一方で、尊皇攘夷思想の持ち主で、松下村塾長州藩による討幕の中心人物の大部分を育成する。しかし、彼らは、当初尊皇攘夷であったが、討幕を実現すると吉田松陰がそうであったように、西洋の知識の導入に邁進する。
この海外への一種のあこがれと反発、そして国家意識の萌芽、抜群の行動力と一見突飛に見える行動が興味をそそる。
「幕末のロビンソン」では、ペリー艦隊への密航事件に焦点をあてて取り上げている。これまで、私は、吉田松陰の密航の試みは、実現の可能性が低く突飛なものだと考えていた。そして、なぜ、彼がそのようなことを思いつき、実行しようとしたのか不思議に思っていた。
しかし、この本を読むと、確かに計画性に欠ける無謀な試みであることは確かだが、かならずしも突飛な行動とはいえないということが理解できた。その当時、アメリカの捕鯨船などに救助された日本からの漂流者はかなりの数にのぼり、ジョン・マンを代表として日本へ帰還した人も多かった。また、吉田松陰以外にも海外への密航を試みる人もおり、成功した人もいたようだ。そのような日本と海外の交流が始まっている時期に、密航の対象としてペリー艦隊を選んだことは誤りだったが、その試み自体は突飛なものではなかったようだ。
そして、あえて内容は伏せるけれども、あとがきに岩尾龍太郎自身について驚くべき内容が書かれている。そのことがこの本の感慨をより深いものにしている。

幕末のロビンソンー開国前後の太平洋漂流〈ロビンソン・クルーソー・ゲーム〉

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江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚

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