日本人は勤勉だったか
さすがに最近はあまりそのようなことは言われなくなったけれど、かつては「日本人は勤勉だ」というステレオタイプが根強かった。
実際に、高度成長期からバブル期までは就業者の労働時間は他の先進国に比較して長かった。ヨーロッパへの海外出張を計画するとき、夏はバカンスで担当者が休暇を取っているから仕事にならない、ということを経験した人も多いと思う。バカンスが取れるということが羨ましくもあり、また、怠惰だというステレオタイプもあると思う。
ただし、日本における労働時間は現在ではかなり減少し、先進国の中では平均的なレベルになっている。
http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2012/06/p187_6-1.pdf
最近、高橋是清「随想録」を読んだ。そのなかでイギリスの銀行員の働きぶりについて次にように描かれていた。
ロンドンに行つて、正金銀行あたりに勤めてゐる英国人を見ると、実によく働くと思ふ。朝は早くから出て来て、よりはおそくまで夜業し、帰りは大抵十二時過ぎである。
これは、その日になすべき仕事は、どんなことがあつても、必ずこれをなしとげ、明日に延ばすことをしない風があるからである。
…
では英国人は、こんな忙しい思ひをしながら、不平を洩らさず、どうして満足して働いてゐるのであらう?それは、仕事に対する観念が違ふからである。
即ち、日本人は時間に束縛されてゐるが、英国人は仕事に束縛されてゐるからである。時間に束縛されてゐる日本人は、規定の時間に出勤し、一定の時間を会社なり、銀行なり役所なりで過ごしさへすれば、それですむ。時間通りに出てゐれば、それで差し支へないのである。特別に大奮闘する必要もなければ、又これこれの仕事を、是非、今日中に仕上げねばならぬ、といふこともないわけだ。今日の仕事を、明日に延ばして顧みないのも、このゆえであり、時間さへ来れば、仕事の中途であらうが、なからうが、バタバタと退出してしまふのも、このためである。
(pp94-95)
この一節を読み、かつて書いたエントリー「資本主義的勤勉さ」(id:yagian:20060910:1157858771)を思い出した。このエントリーの中では、宮本常一(イザベラ・バード、渋沢敬三)、谷崎潤一郎、中谷宇吉郎が日本人の怠惰さ、能率の低さについて指摘している事例を引用した。
高橋是清在英中のイギリス人労働者のすべてがこのように勤勉だったとは思えないが、いわゆる「ホワイトカラー」を比較すると日本人に比べ、勤勉かつ効率的だったのだろうと思う。その原因は、他動的に仕事をするのではなく、仕事に対する規範を内面化して自律的に仕事をしていることの差だと思う。
「資本主義的勤勉さ」のエントリーの冒頭で、マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を引用しているが、再度引用しようと思う。
……職業義務(Berufsspflicht)という独自な思想がある。……労働力や物的財産(「資本」としての)を用いた単なる利潤の追求の営みに過ぎないにもかかわらず、各人は自分の「職業」活動の内容を義務と意識すべきだと考え、また事実意識している、そういう義務の観念がある。―こうした思想は、資本主義文化の「社会倫理」に特徴的なもの……
高橋是清の「仕事に対する観念が違ふ」という指摘は実に鋭いと思う。この「仕事に対する観念」とは、ウェーバー流に言えば「職業義務(Berufsspflicht)」の有無ということだろう。渋沢敬三、中谷宇吉郎も同様に日本人のホワイトカラーの怠惰さ、能率の低さを指摘しているが、同様に、この「職業義務」の無さということだと思う。
資本主義に親和性が高い社会はその成員が「職業義務」を内面化している。また、資本主義が進展するにしたがって国家による教育制度や市場での競争などを通じて「職業義務」の内面化が進む。少なくとも、高橋是清、渋沢敬三、中谷宇吉郎が資本主義化が進んだ西洋の国家と日本を比較した時には、日本の方がこの「職業義務」の内面化が遅れていたように見えたということだろう。
もっとも、マルクス的に言えば「職業義務」はブルジョアジーのイデオロギーの最たるものだろうし、それが内面化されているということはフーコー流に言えば「パノプティコン」が社会全体に広まっているということであり、必ずしもすばらしいことだとはいえないだろう。
一方、日本が他の非西洋国家に比較していちはやく資本主義に適応できたのは、江戸時代にすでに「勤勉」という概念が普及していたからだという説もある。石田梅岩の心学、二宮尊徳の報徳思想などの事例もある。特に、歴史人口学者である速水融が主張する「勤勉革命」は定量的な分析に基づくものであり、説得力がある。「歴史人口学で見た日本」から引用したいと思う。
…ヨーロパ型の農業発展とはまったく逆である。ヨーロッパは家畜をどんどん入れて、多大の外部エネルギーを導入する。これが工業で実現したのが産業革命である。日本はエネルギー源はマンパワーによるのであり、外部エネルギーではない。
…
…この時代に農民の生活水準は…むしろ上がっているのである。…
…
家畜は別名キャピタル、つまり資本である。経済学では生産要素としてふつう、資本と労働を考える。資本部分は大幅に増えて労働は節約する、つまり資本集約・労働節約というのが近代の産業革命、あるいは農業革命である。けれども日本の場合はそうはいかなくて、労働集約・資本節約、つまり資本が減り投下労働量は増えるという方向で生産量が増大することになる。視野を日本とヨーロッパというように広げた場合、これは日本型とヨーロッパ型の対照となる。…
問題は、それによって農業に携わる人々の労働時間や労働の強度が大きくなっていくことである。…日本人はそこに労働は美徳であるという道徳を持ち込んでしまった。もちろん、いわゆるプロテスタンティズムの倫理において、勤労によって得た利益は認められるという考え方が出てくるけれども、日本の場合は宗教ではなくて、実際の生活のなかで勤労は美徳であるという考え方ができあがる。…
…
私はこれを勤勉革命(industrious revolution)と呼んだ。つまりヨーロッパ型の発展は産業革命(industrial revolution)で、資本部分が大きくなって、労働資本比率において資本部分が増える形の変化、日本は労働部分が相対的に増える変化で、これを勤勉革命と呼んだわけである。
(pp95-99)
先に引用した高橋是清、渋沢敬三、中谷宇吉郎が指摘する西洋の「勤勉さ」は主としてホワイトカラーのものである。速水融が指摘する資本部分が大きくなる「産業革命」型の変化においては、より資本の利用効率を高めるためのマネジメントが重要であり、労働者よりマネージャーであるホワイトカラーの能力が重要になる。一方、「勤勉革命」型の変化においては、より多くの労働者が「勤勉」に働き、より多くの労働が投入されることが重要である。「勤勉」といいながらも、日本と西洋における「勤勉観」には差があるように思える。
今、日本軍の問題点を組織論的に分析した「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」を読んでいるが、ノモンハン事件の分析の中で次のような一節がある。
…日本軍を圧倒したソ連第一集団軍司令官ジェーコフはスターリンの問いに対して、日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である、と評価していた。
(p68)
現場の労働者は奮闘するが、マネージャーは無能であり、労働者の奮闘を効率的、効果的に目的達成に結びつけることができない、という姿は現代でもよく見かけることではないだろうか。
「事件は現場で起きている」「プロジェクトX」に見られるような現場の「勤勉」さは、高度成長期に適合的だったのだろうと思う。しかし、ジェーコフが指摘する「高級将校は無能である」という指摘は今にも通じるものではないだろうか。
日本企業ももはや下士官兵の頑強さでは戦えなくなりつつあるのである。
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