「グローバル人材」とは(なんじゃらほい?)

最近「グローバル人材」という言葉をよく目にするが、強い違和感を感じる。
なぜ「グローバル」がカタカナで、「人材」が漢字なんだろうか。「グローバル人材」に対応する英語があるのだろうか、それともよくある「和製英語」的な言葉なのだろうか。「グローバル」について論じるならば、少なくともkey wordや概念ぐらいはglobalに共有されているものを使うべきだろう。
"global human resources"とでも英訳するのだろうかと思い、Googleで検索してみたが(http://goo.gl/83nhv)、globalに定着している言葉のようには思えなかった。
政府では「グローバル人材育成」を推進しているようで、内閣官房に「グローバル人材育成推進会議」(http://goo.gl/knZEH)が設置され、経済産業省で「大学におけるグローバル人材育成のための指標調査」(http://goo.gl/ux8gi)という調査が実施されているようだ。どうやら、globalizationが進展しているにも関わらず、国内の教育はdomesticなままで、ろくに英語が使えるようにならず、海外留学者数も減少しているのが問題だ、ということらしい。
しかし、ほんとうに誰かが困っているのだろうか。
そもそも、「グローバル人材」をdomesticに育成し、調達しようという発想がよく理解できない。「グローバル人材」は、まさしくglobalに存在している。もし、国内の企業や官公庁、団体が「グローバル人材」を必要としているならば、globalに調達すればいい。もちろん、domesticな組織が「グローバル人材」を雇用とすればいろいろな問題が生じるだろうけれど、それは雇用する組織側の問題であって、「グローバル人材」側の問題ではない。もし、globalに「グローバル人材」が不足しているというのであれば、日本国内だけで「グローバル人材」の育成を議論しても意味はないだろう。
そもそも、「グローバル人材」へのニーズはどの程度あるのだろうか。
New York, London, Singapore, Genevaなどのある一定の地域には、globalな組織や「グローバル人材」が集中している。それらの組織、「グローバル人材」は、その立地している国とのつながりは薄く、その「薄さ」がglobalのglobalたる所以である。
Londonのglobalな金融機関が「グローバル人材」を雇用しようとする場合、United Kingdom出身者ということを考慮するとは思えない。the Bank of Englandの総裁すらカナダ人である。Singaporeでも、国内での教育育成も考えているけれど、真に優秀な「グローバル人材」はSingaporeを彼らにとって魅力的な都市とすることによってglobalに集めようとしている。
U.S.A.でもU.K.でもその他のEU諸国でもおそらくはSingaporeでも、いわゆる「グローバル人材」が人口の中で占める割合は微々たるもののはずだ。人口の大多数はdomesticに働き、暮らす「ドメスティック人材」である。
確かに「グローバル人材」を育成できるglobalな大学が日本にあってもよいと思う。しかし、1校か2校で十分ではないだろうか。現在、真剣にglobalizeすることを目指している大学は東大だけのように見えるし、potentialを考えても国内の大学でglobalizeできそうな大学は、あとは京大ぐらいのものではないだろうか。もちろん、一部の学部、学科、研究室がすでにglobalな大学は多いとは思うけれど。
「グローバル人材」を育成できるglobalな大学は、教員も学生もglobalに向かって開かれることになる。東大が9月入学を目指しているが、globalな学生の入学の都合を考えれば当然そうなる。自然と入試のあり方も日本の高校教育とは切り離されることになる。学生の日本人比率もかなり下がるはずで、逆に、下がらなかったらglobalizeが進んでいないということになるだろう。
大学生の英語力を高めるため、入試や卒業試験にTOEFLを導入するという議論がある。別に悪いことではないと思うけれど、教員、学生、カリキュラムもあわせて変えなければあまり意味がないように思う。卒業生の実践的な英語力を確保したければ、卒業論文を英語で書くことにして、英語で口頭試問をすれば十分なのではないかと思う。
P.S.
横書きをするなら「カタカナ言葉」は原語で表記した方がいいんじゃないかと思っていたので、これからそうすることにした。