夏目漱石「門」を読む:私の暗い時代と「文学」の癒やし

「文学」が足りない

最近、社会科学系の本だったり、会社での研修講師の準備のための実用書だったり、さもなければ語学学習のためのテキストだったり、そんな本ばかり(村上春樹騎士団長殺し」は例外だけど)を読んでいて、なんだか「文学」が足りないなぁと思い、夏目漱石「門」を手に取った。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 
門 (岩波文庫)

門 (岩波文庫)

 

 漱石の現代性

 夏目漱石の小説を読んでいると、特に「それから」以降の作品では、漱石が昔の人だという感じがしない。自分と同時代の人について描いている、という印象がしてしまう。

特に、遺作の「明暗」の津田とお延のカップルなどは、現代だったらこんな夫婦はザラにいそうだなと思う。一方、漱石の同時代の読者は、このカップルに対してどこまで共感できたのだろうかと不思議な感じがする。夫婦の普遍的なあり様を描いているからこそ現代の私も共感できるような気もするが、しかし、漱石の同時代の小説を読んでも津田とお延のようなカップルはでてこないから、漱石は現代を見通してこのような夫婦を書いたのかなとも思う。

漱石は当時の最先端のインテリだったから、周囲の人の理解を得られない悩み、大きく言えば西洋と東洋の相克による苦しみ(「それから」の代助が「もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。」と言っているように)、を抱えていた。彼の時代から100年経って、ようやく私のような人間も漱石と似たような悩みを抱くような時代になった。だから、今、漱石の小説を読むと、なんだか昔の人という感じがしないのかもしれない。

「門」は、サラリーマン(作中の言葉で言えば「腰弁」)の生活を描いている。永遠に続くようにも思えるサラリーマン生活の閉塞感が実にうまく表現されていて、とてもひとごととは思えない。漱石の時代、まだまだ「サラリーマン=腰弁」は社会のなかで少数派で、おそらくは恵まれた階層だったのではないかと思うが、現代は宗助のような人物がごくふつうになった。

明暗 (岩波文庫)

明暗 (岩波文庫)

 

私の暗い時代と「文学」の癒やし

世間的には漱石は「文豪」ということになっているけれど、私は彼をもっと親しい存在だと勝手に思っている。彼の小説を読むと、自分のことが描かれているような気がするのである。「門」は、彼の小説のなかではあまり名作と言われることがないけれど、私にとってはとても愛着がある小説だ。「腰弁」の閉塞感に共感できることもあるし、小説の舞台がいま自分が住んでいる地域である、という理由もある。

そんなわけで、久しぶりに「門」を手にとって読み始めた。すると、ずいぶん暗い小説だな、宗助の閉塞感もただごとではないなと思った。考えてみれば、私が「門」を好んで読んでいたのは、私自身が閉塞し暗い時代だった。そんな時代に、暗くて閉塞している「門」を読んで共感をして、ある種の癒やしを得ていたのだと思う。

最近あまり「文学」を摂取していないのは、「文学」からの癒やしを必要としていないからなんだろうと思う。冬から春になり、閉塞したトンネルから抜けた。しかし、また冬はやってくる。そんなとき、また、「門」からの癒やしが必要になるのだろうと思う。

Podcastの楽しみ

ESL Podcastが有料化されてしまったので

ヒアリングの練習を兼ねて、通勤の時間を使って英語学習者向けの"English As A Second Langage (ESL) Podcast"を聴いていた。特に、毎週"English Cafe"というアメリカの文化紹介の番組があり、ボキャブラリー制限がありつつも非常に興味深い内容で、もはや英語の練習を超えて聴きたいから聴いている、という状態になっていた。

player.fm

しかし、ESL Podcastが有料化されてしまい、お金を払ってまで聴くかなぁ、この際、学習者向けではないPodcastを聴いてみようかと思ってあれこれ探しはじめた。すると、興味深いPodcastがたくさんあるではないか!と、けっこう感動している。

映像を作る必要がないから低予算で製作できるのかもしれないけれど、よく企画が練られ、しっかりとした取材に基づき、聴き応えのあるPodcastが多い。もちろん、ネイティブ向けだから、すべてを聴き取れる訳ではないけれど、それでも十分おもしろいし、これを聴き取れるようになりたい、という気持ちが英語の学習のモティベーションにもつながっている。

私自身は聴き流しているので活用していないけれど、多くのPodcastではウェブサイトでスクリプトが提供されているので、有用だと思う。インタビュー番組だと、いろいろな英語を聴けるのもよい。キャスター、インタビューアーの英語は聴きやすいけれど、インタビュイーの英語は、なかにはほどんど聴き取れない人もいる。それはそれで練習になる。

それでは、定期的に聴いているPodcastを分野に分けて紹介していきたい。

経済学系

Freakonomics(スクリプトあり)

最初にはまったPodcastは"Freakonomics"である。これは「ヤバイ経済学」シリーズの著者の一人、スティーブン・J・ダブナーがホストをしている。たまに共著者の経済学者、スティーブン・D・レヴィットもゲスト出演することがある。

コンセプトは書籍版「ヤバイ経済学」シリーズと同様で、身近な事象を科学的に検証してみる、という内容。書籍版は、基本的にはレヴィットの研究成果が用いられているが、Podcast版はもう少し広く経済学に限らない研究成果を取材している。

比較的最近のPodcastのタイトルは"Are the Rich Really Less Generous Than the Poor?"で、金持ちになるほど世知辛くなるのか、というテーマについて心理学や経済学の研究成果に基いて迫っている。もちろん、「ヤバイ経済学」シリーズのユーモアは失われていない。

freakonomics.com

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 

 Planet Money(スクリプトあり)

 National Public Radio (NPR)は、短い時間にまとめたPodcastのニュースも提供していて、これもヒアリングの練習によいけれど、そのほか聴き応えのあるPodcastの番組をいろいろ放送している。

このPlanet Moneyは、"Freakonomics"と比べるとアカデミック色は薄く、ドキュメンタリーより。経済系といっても、いわゆる大企業の経営、のようなものを扱っているのではなく、もっと低い視線から現場の興味深いネタを拾ってくる。

しばらく前の放送だけど、高額紙幣が廃止されたインドについて、その政策のバックボーンになった思想を提唱している人へのインタビューと、インドの庶民にとってのこの政策の現状についてリポートした"When India's Cash Disappeared"が、ほかでは知ることができないレポートをしてくれていて、おもしろかった。

www.npr.org

 インタビュー系

This American Life(スクリプトあり)

 Podcastだと、いちおう目安の時間はあるけれど、ラジオやテレビの番組のようにきちんとした時間制約がないこともあって、長時間のインタビューを扱った番組がある。そのなかでも、有名人ではなく市井の人を対象としたインタビューを扱ったものも多く、この"This American Life"はそのなかの老舗らしい。

アメリカのジャーナリズムには、スタッズ・ターケルに代表されるように市井の人を対象にした厚みのあるインタビューの伝統がある。日本では、正直に言って一般人へのインタビューで興味深い本はあまりおもいつかない(村上春樹アンダーグラウンド」ぐらいか)が、アメリカの一般人の話は、内容も語り口もおもしろく、それがアメリカのインタビューの伝統に結びついていることがよくわかる。

www.thisamericanlife.org

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 

Death, Sex & Money  

これも一般人へのインタビューを扱ったPodcast。より「生活(=死、セックス、金)」の側面について深めている。有名人も出演することがあるけれど、それらも「有名人」としてではなく、ひとりの生活者としての顔についてインタビューしている。

 最近では"Two Wheelchairs and A Baby"という回が印象的だった。障害があり車椅子で生活しているカップルの子育てについての話。まさに、彼らの「生活(=死、セックス、金)」についてのインタビュー。

"The American Life"や"Death, Sex & Money"を聴いていると、アメリカっていろんな人がいて、一概にまとめることはできない、としみじみ思う。

www.wnyc.org

起業系

How I Built This

まだバイオグラフィは出版されていないけれど、どうやって起業したのは聴いてみたい、という起業家へのロングインタビュー。もし、起業や新規事業に関心があるなら必聴のPodcastだと思う。

Air BnB、Zappos、Instagramみたいな今風の起業家もいるし、リチャード・ブランソンのようなすでに功成り名を遂げた起業家もいるし、私は聞いたことがないアメリカのハンバーガーチェーンの起業家もいるし、バラエティに富んでいる。

インタビュアーが、毎回、「成功したのは、運ですか、努力ですか」と質問する。ほとんどの人が、「努力はしていた、でも、タイミングについては運だった」と答えるのが印象的。

www.npr.org

 Masters of Scale

これはLinkedinの創業者のレイド・ホフマンがホストをしているPodcast

"How I Built This"はあまり解釈をせず、創業者自身に語らせているけれど、こちらは起業家が会社規模を大きくする時に直面する問題を解決するための方法を、レイド・ホフマンが実例に基いて提示するというスタイルになっている。個人的な好みとしては "How I Built This"の方が気に入っているけれど、実際に起業をしている人にとってはこっちの方が実践的かもしれない。

この番組に登場する起業家たちも華麗である。

www.entrepreneur.com

 情報系

Global News Podcast BBC World Service

NHK BSのワールドニュースで世界の放送局のニュースを見ていると、客観性や取材の充実度などを考えるとBBCが突出して質が高いなぁと思う。

ワールドニュース - NHK

この"Global News Podcast"では、BBCの国際ニュースをまとめてくれており、世界の状況をザクッと理解するために便利である。

www.bbc.co.uk

スポーツ系

New York Yankees Podcasts

ここ20年来ヤンキース・ファンをやっているが、シーズン中はこのPodcastでジラルディ監督の試合後のインタビューをチェックしている。今年のヤンキースは絶好調だから、毎日楽しみである。

New York Yankees Podcasts | New York Yankees

 

旅と移動速度:徒歩、ジョグ、自転車、バス、自動車、鉄道、飛行機

ふらっと旅ランあの街へ

ザッピングしているとき、ふとNHK BSで見た「ふらっと旅ラン あの街へ」という番組が思いのほかおもしろかった。

www4.nhk.or.jp

最近いろいろな街歩き番組があるけれど、これは身近な街をジョギングしながら巡るという企画である。1回概ね10kmぐらいを目安としているようだ。

このエントリーに書いたように、最近、旅先でジョギングするようになっていたので、この番組が提示しようとしていることはちょっとわかるような気がする。軽く走るのは楽しいけれど、レースでだれかと競争したい訳じゃない、という人は多いのではないだろうか。いつものコースもいいけれど、行ったことのない街を迷いながらジョギングするのは楽しそうだ。

yagian.hatenablog.com

旅と移動速度

「暮らすように旅をする」と、移動速度がぐっと遅くなる。移動速度が遅くなると、同じところを訪れても見え方がずいぶん違ってくる。

バスに乗って観光地を効率的にめぐるのと、街をあてもなく歩くのでは、おなじ「旅行」と言っても体験の内容はまったく違う。また、自転車に乗ると、徒歩に比べるとスピードが上がって、行動範囲が広くなり、また、爽快感もあり、これもまた別の体験になる。もちろん、どの移動速度がすばらしい、ということではなく、それぞれの楽しさがある。飛行機に乗ってはじめて見える景色もある。ただ、私個人の最近の気分としては、速すぎない方がしっくりくる。

ジョギングをしながら街を巡るのは、徒歩と自転車の中間の移動速度で、これはこれでまた新しい体験ができそうないいスピードだと思い、ワクワクする。徒歩での街歩きで10kmはけっこう大変だけれども、ジョギングだった十分可能だ。自転車だと自転車の置き場を考えなければならないけれど、ジョギングだと身一つなので身軽である。

「ふらっと旅ラン あの街へ」の第一回目は鎌倉を巡っていたが、たしかにジョギングのスピードにちょうどあったサイズの街だと思う。ジョギングで霊場巡りをするのも楽しそうだ。

三回目のキャブス対ウォリアーズ

三回目のキャブス対ウォリアーズ

今シーズンのNBAファイナルが今週金曜日に始まる。三シーズン連続して、キャブス対ウォリアーズとなった。一昨年はウォリアーズが勝ち、昨年はキャブスが勝った。

今シーズンのはじめから(というより、昨シーズンのNBAファイナルが終わった瞬間から)この対決が期待されており、両チームともに圧倒的な力を見せつけてファイナル進出を決めた。

逆に言えば、ここまでは番狂わせがなくて、レギュラーシーズン、ポストシーズンともに盛り上がりを欠いていた。一年間、溜めに溜めたものをファイナルで一気に放出して、すばらしいファイナルになることを期待している。

奇跡のブロックショット

昨シーズンのNBAファイナルは、レブロン・ジェイムスのこの奇跡的なブロックショットが圧倒的に印象に残っている。

www.businessinsider.com 3勝3敗で迎えた最終戦、第4クォーターは膠着状態になり、両チームともなかなか得点が取れない状態だった。ウォリアーズがファーストブレイクで得点をとれば均衡が崩れそうな雰囲気もあったが、イグダーラがレイアップを決めようとした瞬間、レブロンが信じられない距離から飛び込んできてブロックショットを決めた。このプレーだけで試合の帰趨が決まった訳ではないけれど、一気に雰囲気が変わったことも確かである。

スーパースターだったレブロンが地元の弱小チームであるキャブスに入団し、孤軍奮闘しながらチームを牽引していたが、NBAファイナルに勝つことはできなかった。フリーエージェントになった時、チャンピオンになれるチームとしてマイアミ・ヒートに移籍した。この移籍は大きな議論を引き起こしたが、マイアミ・ヒートで二回NBAチャンピオンになり、いわば有言実行という形になった。

そして、二回目のフリーエージェントになり、地元のチームであるキャブスとふたたび契約した。彼は最終的な目標としてキャブスでのNBAチャンピオンとなることを選んだ。二回目のキャブスとしての最初の年が、一昨年、ウォリアーズとNBAファイナルを争うこととなる。最終的にキャブスの主力選手の怪我が相次ぎ、最後レブロンが孤軍奮闘となってしまい、力尽きる形でウォリアーズに負けることとなった。

ウォリアーズはステフィン・カリーを中心とした若いチームで、ベテランの域に達したキャブスよりは上り調子に見えた。その翌年、ウォリアーズはレギュラーシーズンで記録的な勝ち数を積み上げる。キャブスがチャンピオンになるには、その前年が最後のチャンスだったかもしれない、と思わせる強さだった。

NBAファイナルでは、ウォリアーズが3勝1敗とリードするが、そこからキャブスが盛り返し、そして最終戦の最終クォーターであのブロックショットが出て、レブロンの宿願が達成された。

ウォリアーズ有利と言われているけれど

今年のファイナルはもっぱらウォリアーズ有利と言われている。

去年、ウォリアーズはレギュラーシーズンの勝利数の記録がかかっていたこともあり、ポストシーズンには疲労がたまっていたように見えた。一方、キャブスはファイナルにコンディションのピークをあわせることに成功した。

一方、今年はウォリアーズにはあのケビン・デュラントが加わり、ポストシーズンにピークをあわせることに成功したように見える。キャブスも絶好調でファイナルを迎えているが、去年の状況で接戦だとしたら、そこから大きく積み上げたウォリアーズが有利という予想もうなずける。

しかし、しかしである。ポストシーズン、絶好調のレブロンを見ていると、もしかしてこの状況をひっくり返してくれるのではないかと期待してしまう。それに、今シーズンのウォリアーズは強すぎるけれど、冷静にキャブスをみれば戦力は充実している。

仮に勝てなかったとしても、去年のあのブロックショットのようなプレイを見せてくれるのではないか、と期待している。

 

「勝ってた負けてたはジャッジの仕事なんで、受け入れるしかありません」

先週の土曜日、村田諒太と アッサン・エンダムのWBA世界ミドル級タイトルマッチがあり、エンダムが判定勝ちをした。判定については物議を醸しているが、その当否については、私はよくわからない。ただ、判定を聞いたときの村田諒太の驚いた表情は印象的だった。

その村田諒太Facebookに次のように書き込んでいた。

多くの方に応援いただいたのに、勝つことが出来ず申し訳ございません。
勝ってた負けてたはジャッジの仕事なんで、受け入れるしかありません
それがアスリートの役目かと思っています
少し休んでこの先のことは考えます
応援ありがとうございました。
負けてすみません。
村田 諒太

村田諒太 Facebookより)

 村田諒太のプロ転向、世界挑戦までの道のりは、日本のプロボクシング界最大のプロジェクトである。資金力があり、非常に充実したトレーニング環境が提供されているようだ。一方で、スポンサーをはじめ関係者も多く、村田諒太にかかるプレッシャーも並大抵ではなかっただろう。

自分が勝つか負けるかで周囲にあまりに大きな影響を与える、そのような環境のなか、どのような態度に対応すればよいのだろうか?

自分の力の及ぶことはできうる限りする、そして、力の及ばないことは淡々と受け入れる、それしかないのだと思う。多くの場合、自分の力の及ぶところ、及ばないところを見定めることができず、心が乱れて、自分の力が及ぶことについてベストを尽くすことができないのだろう。

「勝ってた負けてたはジャッジの仕事」というのは、一見、無責任のようにもみえるけれど、自分の力の及ぶ範囲を厳しく見定める結果、こういう言葉になったのだろう。たしかに、判定で勝てるようなボクシングをすることは「選手の仕事」だけれども、最終的に判定するのは「ジャッジの仕事」だ。おそらく、ジャッジに抗議をするのは「ジムの仕事」だろう。

手垢の付いた言葉でいえば「人事を尽くして天命を待つ」ということだが、村田諒太のようにこれを突き詰めることは簡単ではない。

傲慢→否認→怒り→取引→抑鬱→受容(いまココ):TOEICと私

エリザベス・キューブラー=ロスの「死の受容のプロセス」

エリザベス・キューブラー=ロスという精神科医が、人間が自らの死期を悟ってから、死を受容するまでの感情の推移について、「キューブラー=ロスモデル」を提唱しているという。

  • 否認・隔離
    自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
  • 怒り
    なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
  • 取引
    なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
  • 抑うつ
    なにもできなくなる段階である。
  • 受容
    最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

( エリザベス・キューブラー=ロス - Wikipediaから引用)

実際にどれほどの人がこのようなプロセスを経るのかわからないけれど、死に限らず、自分が認めたくない現実に直面したとき、同じような心理的なプロセスを経ることがあるのは実体験として理解できる。

傲慢→否認→怒り→取引→抑鬱→受容(いまココ):TOEICと私

ひょんな理由で来週の日曜日にTOEICを受験することになった。

自分自身がぜひともTOEICのスコアを必要としている状況ではないので、わりと気軽に考えていたところがあった。また、前回、旧方式のTOEICを受験した時に、望外の好成績だったので、今回、新方式に変わったといってもそれほど成績は落ちないだろうと楽観していた。今思えば、かなり傲慢だった。

今回のゴールデン・ウィークは旅行をしなかったので、比較的余裕があった。そこで、TOEICの問題集を試しに解いてみることにした。そうしたら、リスニングの問題は不正解が多く、リーディングは時間内に最後までたどり着かなかった。冷静に考えれば、前回のような成績は取れるはずがない状態なのだが、その事実を心理的に否認しようとしていた。たしかに前回受験の時は英語のブログを書いていた時期だったから、英語のインプットとアウトプットの量はいまとは比較にならないけれど、Podcastで英語の番組は熱心に聞いているからヒアリングは悪くなっていないはずだと思った。だから、この問題集は実際のテストよりかなり難しくなっていて、実際にTOEICを受験すれば成績は変わらないはずではないか、と考えた。これが否認の段階である。

しかし、実際の試験より多少は難易度が高いとしても、そのときの自分の成績はボロボロだった事実は否定しようがない。次は、自分に対して腹が立った。いまは中国語を学習しているからといって、英語だって手を抜くべきではなかったのではないか。さすがに周囲に怒りをぶつけることまではしなかったけれど、これが怒りの段階である。

試験まであと二週間しかないが、少しでも対策をしようと思い、書店に行き、薄くて小さくて、通勤途中でも勉強ができるTOEICの対策本を買い、少しのヒマを見つけたら、すかさず問題を解くようにした。言ってみれば、その対策本にすがっている状況で、これが取引の段階である。

仕事も比較的忙しい時期で、中国語も中国語検定3級を受験しようとしていたから、TOEICに全力投球もできない。そもそも準備の時間も足りない。そもそも自分は今、TOEICのスコアを必要としている訳じゃないので、準備する意味があるのだろうかと疑念にとらわれるようになった。これが抑鬱の段階である。

そして今は、もう少し客観的に考えられるようになった。TOEICは、正確ではないところもあるだろうけれど、現在の自分の英語の実力を評価することができる。おそらく、自分の得意、不得意がはっきりするはずだ。今は今の自分の実力を受け止めて、今後の英語学習に活かせばよいではないか。そして、試験対策の勉強も英語そのものの実力向上にも役に立つはずで、ムダにはならないだろう。これが受容の段階である。現在はこの段階である。

そして再び「受容のプロセス」が

今はTOEICに向けて比較的落ち着いた気持ちになっている。

しかし、なかば予想はしているとはいえ、受験後に自分の得点が送られてきたら、失望するだろう。そのとき、また、否認→怒り→取引→受容のプロセスを繰り返すのだろうと思う。

語学学習に限らず、日常生活で自分が望まない状況を受け入れるために、この受容のプロセスを際限なく繰り返している。いきなり受容できればいいけれど、おそらく、このプロセスを経ないわけには行かないのだろう。

「受容のプロセス」それ自体を受容する、ことが必要なのだろう。

 

(近場の)巡礼の旅

鎌倉三十三観音霊場めぐり

五年かけて鎌倉に通い、去年の七月に鎌倉三十三観音霊場巡礼を結願した。

巡礼を始めた頃は、まだまだ知る人ぞ知る、という存在だったように思うが、年を追うごとに御朱印帳を持ってお参りする人に会うようになった。

鎌倉にこれだけいいお寺があることをはじめて知ったし、このような機会がなければ足を運ぶことがなかった場所に行くことになり、鎌倉の魅力をより広く、深く触れることができた。お参りをして、御朱印をいただき、境内の片隅で休憩するひとときは、なにか安心感があってリラックスすることができる。

鎌倉三十三観音霊場巡礼は結願した時、まだ巡礼の旅を続けたいと思った。

yagian.hatenablog.com

東京の近郊の巡礼

東京近郊にもいろいろな巡礼がある。

秩父三十四観音霊場巡礼は、ハイキングを兼ねて行くにはよさそうだ。これまで、あまり秩父に行ったことがないけれど、鎌倉と同じように新たな魅力を発見できると思う。ただ、わが家から秩父まで少々離れているので、始めるなら、やや覚悟と計画が必要になりそうだと思う。

東京都内には、昭和新撰江戸三十三観音霊場巡礼があるようだ。あまり知らない東京の町を歩くのにも惹かれる。秩父三十四観音霊場巡礼よりは、こちらの方が取り組みやすそうだ。

しかし、この昭和新撰江戸三十三観音霊場巡礼もそれなりに本格的だから、足慣らし(と言うと失礼だけれども)も兼ねて、東京十社めぐりを始めることにした。

東京十社めぐりの楽しみ

東京十社めぐりは、お寺ではなく、神社を巡るものだ。Wikipediaによると1975年に企画されたようで、歴史はやや浅く、観光要素も強い。鎌倉三十三観音に比べると宗教的な感じは乏しいけれど、逆に、それだけ気軽に回ることができるとも言える。

東京十社 - Wikipedia

私が勤める会社は赤坂にあり、まずは昼休みを利用して、日枝神社赤坂氷川神社からスタートした。日枝神社は毎年初出勤のときに初詣をしていてなじみがある。赤坂氷川神社は、会社からさほど離れていないけれど、今回はじめて参詣した。雑居ビルやマンションが立ち並ぶ地域のなかに丘があり、その丘の上だけが急にひっそりとした森になっている。こういう森のなかでほっと一息をついていると、南方熊楠の神社合祀への反対運動(南方熊楠 神社合祀に関する意見)は先見性があったと再確認する。東京はこういった神社によって緑の空間が守られている。

次に、休日を使って下町の神社を巡った。亀戸天神にお参りをして(このとき、中国語検定の試験前で「神授鉛筆」を買った。この後、めでたく中国語検定四級に合格できた。)、白河清澄に足を伸ばして清澄庭園ブルーボトルコーヒーに立ち寄り、深川不動富岡八幡宮にお参りをして、最後は門前仲町の居酒屋で仕上げた。下町に足を伸ばすことは少ないから、珍しさもあって楽しかった。

その次は、やはり休日を利用して、文京区の神社を中心に参拝した。神田神社からスタートして谷中まで歩き、Tokyo Bikeで自転車を借りた。そのあとは、森鴎外記念館、根津神社白山神社を巡り、谷中に戻って自転車を返し、谷中ビアホールで仕上げた。このエリアはなじみ深いけれど、森鴎外記念館は行きたいと思いながらなかなか機会がなかったので、いい機会になった。東京十社になっている神社に行くだけではなく、その近くのところをついでに寄るのも楽しい。

残りの三つの神社は散在しているので、それぞれ機会を作って参詣することにした。王子神社は自宅から片道約5kmなので、ジョギングと兼ねてお参りした。芝大神宮は、芝で食事会があったので、立ち寄ることができた。品川神社については次の節で書こうと思う。

東京十社めぐり結願と江戸五色不動、江戸三大鬼子母神巡礼へ

東京十社めぐりもあと品川神社だけになったので、このゴールデンウィーク中に結願して、新しい巡礼を始めることにした。

新しい巡礼として、まずは、わが家の地元にある目白不動雑司ヶ谷鬼子母神が含まれる江戸五色不動と江戸三大鬼子母神巡礼をしよう、そしてそれらが終わったら昭和新撰江戸三十三観音霊場巡礼に取り組もうと思った。五色不動は「虚無への供物」(いま、アマゾンで検索したら、Kindle版はあるものの、紙の本は品切れになっているようで、かなりショックを受けている)で印象深い。鬼子母神は、バリ島に旅行したときに、鬼子母神にあたる神が祀られているのを発見して、インドからかたや日本、かたやバリ島に受け継がれているのを知って、感動した記憶がある。

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

 
新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)

 

まず、ゴールデンウィークのある日、近所に散髪についでに、雑司が谷鬼子母神目白不動御朱印をいただいた。雑司が谷鬼子母神は、副都心線雑司が谷駅ができてから、特に休日はにぎわっているけれど、目白不動はひっそりとしたお寺という印象があった。しかし、ゴールデンウィーク中は、私以外にも御朱印をいただきに来ている人がいて、以前よりはずいぶん参詣する人が増えているようだった。

そして、十社めぐりの最後の品川神社に行くことにあわせて、まず、三軒茶屋にある目青不動にお参りをして、バスに乗って目黒不動に行き、さらにバス乗り品川神社にお参りをして、最後はTY Harborに行って結願を記念してビールで打ち上げをした。

三軒茶屋から目黒不動までの東急バスは、田園都市線東横線目黒線の間の住宅地をぐるぐると巡って、車窓からふだんは目にすることのない地域を眺めることができた。目黒不動ははじめてお参りをしたのだけれど、思ったより立派なお寺で、武蔵野の林を風が吹き抜け、木々の葉を鳴らす音を聴いていると、東京にいるのに日常を忘れることができる。品川神社は、かつての海岸沿いの崖の上にある。おそらく、江戸時代だったら江戸湾を一望できたのだと思う。今は、目の前には埋立地が広がっている。

鎌倉三十三観音霊場めぐりは、かなり観光化されているといえ、宗教的な雰囲気が濃厚に残されている。それに比べると、東京十社めぐりはかなり世俗化、観光化されている。しかし、「旅するように暮らす」楽しみは存分に味わうことができたように思う。

yagian.hatenablog.com