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時間の流れる方向

中国語検定(4級)講習会に参加した

大学時代に第二外国語で勉強をした中国語を久しぶりに勉強している。

自分に刺激を与えようと、中国語検定を受験することにした。といっても、独学なので自分のレベルがよくわからない。中国語検定協会のウェブサイトで、中国語検定の講習会を発見し、とりあえず中国語検定4級の講習会に参加してみることにした。

非常に有益だった。前回の検定の問題を一問ごと解説してくれる。4級は、今の自分の実力だと確実に合格できるとは言えないが、準備をすれば合格する可能性もある、というレベルだということがわかったし、試験対策のポイントも理解できた。次回、11月末に中国語検定の試験があるので、さっそく申し込んだ。

www.chuken.gr.jp

中国語での時間の流れの表現

講習会のなかで、時間の流れに関する表現の解説があった。

「先月ー今月ー来月」を「上个月-这个月-下个月」と表現する。この場合、時間は上から下へ流れていく。同じように「先週ー今週ー来週」は、「上个星期-这个星期-下个星期」という。以前、「上个月」って先月か来月か区別がついていなかったが、中国語では「時間は過去が上で、未来が下にある」と覚えればよい。

しかし、別の時間の流れの表現もある。「一昨日ー昨日ー今日ー明日ー明後日」は「前天-昨天-今天-明天-后天」と表現する。一昨日と明後日の部分を比較すると、「過去が前にあり、未来が後ろ」にある。

また、「朝ー夜」を「早上-晚上」、「朝食ー昼食ー夕食」を「早饭-午饭-晚饭」と表現する。この場合は、時間は「過去は早く、未来は遅い」という方向性である。

日本の中世の時間の流れ

この説明を聞きながら、世界の辺境、特に最近はソマリアのルポをしている高野秀行と、日本中世の研究者清水克行が、ソマリアと日本中世の共通点について語っている対談「世界の辺境とハードボイルド室町時代」を思い出していた。

この本の中で、時間の流れる方向に関する話題があった。現代では、未来は自分の前にあり、時間を前向きに前進して、自分の後ろに過去が流れ去っていく、という感覚が一般的だ。しかし、中世では、時間を後向きに進んでいき、未来が背後に、過去が前にある、という時間感覚もあったという。

中国語で「過去は前、未来は後ろ」という向きで表現する場合があるが、確かにこれは時間を後ろ向きに進んでいることになる。日本でも「あとで」というような表現があるが、これは未来を「後ろ」と捉えてるのだろう。

世界の辺境とハードボイルド室町時代

世界の辺境とハードボイルド室町時代

 

時間感覚と空間感覚の恣意的な置き換え

論理的には、時間の流れを空間に置き換えて表現するとき、どの方向を使ってもよいのだろう。前から後ろに流れてもよいし、後ろから前へ流れてもいい。上から下でもよいし、下から上でもよい。右から左でも、左から右でもよい。

私が「上个星期」が先週か来週かがわからなかったのは、中国語での時間感覚と空間感覚の置き換え方が普遍的なものではなく、中国語における恣意的なものだったからということだろう。

英語の"past-future"には、前後、上下の関係はなさそうだ。pastの語源には「過ぎ去る」という意味があり、futureの語源には「growやbecome」という意味があるらしい。

今日のエントリーは、ちょっと興味を惹かれたことのメモで、これ以上、特に結論はない。

ベンチャー・キャピタリストの目のつけどころ:菊池寛と芥川龍之介

スタンフォード大学留学帰国報告会で

先日、会社からスタンフォード大学に派遣されていた社員の社内での帰国報告会に参加してきた。

去年から1年間一人ずつスタンフォード大学に派遣されるようになり、今回は二人目の帰国報告会である。去年の報告会に比べて参加者が圧倒的に増え、会議室から人があふれていた。

社内でもイノベーションとかAIという言葉を聴くことが増えており、社員の関心が高まっていることを実感した。

ベンチャー・キャピタリストの目のつけどころ

報告会で、シリコンバレーベンチャーキャピタルインターンをしたときの話があった。

ベンチャー・キャピタリストが投資先を選ぶとき、特に初期の段階では、ビジネスプランも見るけれど、主として「人」に着目するという。どのような問題を解決しようとしているか、それをなぜその人が解決しなければならないと考えているのか、そして成功するまで粘り続けることができるのか。

スタートアップが成功するとき、ある時点で急激に成長するタイミングがやってくる。そのタイミングまで、3〜5年ぐらいかかるのが普通で、それまでは何をやってもうまくいかないように見える低迷の時期が続くという。その低迷の時期を抜けるまで粘り続けることができる「人」か、ということがキャピタリストの目のつけどころなのだという。

 実業家として成功した菊池寛

しばらく前、菊池寛芥川龍之介を比較したエントリーを書いたことがあった。

以前、菊池寛の小説は好きではなかったけれど、久しぶりに「恩讐の彼方に」を読んだら、優れた小説とは思わなかったけれど、村人のために岩山をくり抜こうとする主人公の了海に不覚にも感動してしまった。「芥川龍之介菊池寛と私」のエントリーのなかで「恩讐の彼方に」のあらすじをまとめているので、引用しておこう。

前非を悔いて出家した了海という僧が、難路に苦労している村人のために、岩山に独力でトンネルをくり抜こうとする話である。了海は一人で岩山にノミをふるう。村人はトンネルが実現することを誰一人信じず、彼を嘲笑する。しかし、一年経って了海がそれなりの長さのトンネルを掘っていることに気がつくと、村人たちはもしかしたら実現するかもしれないと思い直して石工を雇い了海に助力する。しかし、しばらくすると掘削の進展の遅さに諦め、石工を解雇してしまう。しかし、了海はまったく気にせず、ひたすらにノミをふるい続ける。するとまた村人は石工を雇い、また解雇し、ということを繰り返すが、了海はただ掘り続ける。村人はトンネルが半分ほどできあがっていることに気がつき、今度は本気で助力する。

芥川龍之介と菊池寛と私 - Everyday Life in Uptown Tokyo

考えてみれば、了海はベンチャー・キャピタリストが投資する際に着目する条件に合致している。解決したい問題は明確で、彼自身がその問題に取り組まなければならない理由もはっきりしておりパッションに満ちている。そして、周囲の環境の変化に左右されず、問題解決のために粘り強く取り組み続ける。

了海を、「善」を体現した人物として小説に取り上げた菊池寛は、文藝春秋の創業者として、小説家としてよりも実業家として成功した。彼自身にも了海のような資質があったのか、少なくともそのような人物を理想として目指すマインドセットがあり、それが彼の成功の要因の一部だったのだろう。

yagian.hatenablog.com  

牛のように超然と押していけなかった芥川龍之介

芥川龍之介の才気に溢れた短編小説を読んだ夏目漱石は、その小説を賞賛し、次のようなアドバイスをする。

あせって不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。 (1916年8月24日 芥川龍之介久米正雄宛)

「牛は超然として押していくのです。」 - Everyday Life in Uptown Tokyo

 残念ながら芥川龍之介は「超然として押していく」ことはできなかった。

芥川龍之介夏目漱石を崇拝しており、菊池寛はそれほどでもなかったという。しかし、皮肉なことに菊池寛こそが、夏目漱石の書簡の通りに「超然と押していく」了海を主人公とした「恩讐の彼方に」を書き、また、実業界で成功することができた。

yagian.hatenablog.com

祖父が語っていた「運鈍根」

生前、祖父が私たち孫に向かって「運鈍根」が大切だと語っていた。

夏目漱石の書簡を受け取った芥川龍之介の年齢に近かった私は、まあ、通俗的な道徳っぽい話だな、と軽く受け流していた。そして、その頃の私は、「恩讐の彼方に」は抹香臭い小説だと思い、芥川龍之介の才気にあこがれていた。

しかし、芥川龍之介に書簡を出した夏目漱石の歳になると、祖父の「運鈍根」の話の重みがわかるようになってきた。残念ながら、時間がたっぷりある若いうちにはその重みには気が付かず、気がついたときにはすでに人生の残り時間は限られている。

歳を取って見える景色がある。そして、若いうちにそれを知っていればよかったと後悔することもある。だから、若い人にそのことを伝えたいと思う。しかし、若い人はそれを理解することはできない。

おそらく、これまでも同じことはずっと繰り返されてきたし、また、これからも繰り返されるのだろう。

ポートランドあれこれ

ポートランドあれこれ

先日はポートランドの食と酒について書いたけれど、今回はそれ以外のあれこれについて書いてみようと思う。

yagian.hatenablog.com

 ポートランドまでのエアライン

デルタ航空が、成田発ポートランド(PDX)着の直行便を運行している。今回のポートランド旅行では、直行便の値段が高く混雑していたので、バンクーバーでトランジットするエアカナダを利用した。

城北地区に住んでいると、スカイライナーが便利になったので成田に行くことにストレスはない。むしろ羽田に行くほうがスーツケースを引きずって乗り換えをするのが面倒である。

バンクーバーからポートランドまではボンバルディアのプロペラ機に約1時間。晴れていたので、マウント・レーニアやマウント・フッドを眺めることができ、ほとんど遊覧飛行だった。

トラムと散歩

空港から市内へトラムで移動することができる。行きは街の様子がよくわからなかったこともあってタクシーでホテルまで行った。空港へ行くトラムの停留所はホテルから2ブロックほどだったので、帰りにはトラムに乗って空港まで行った。

トラムの停留所にはチケットの自動販売機があり、2時間半自由に乗り降りできるチケットと1日券を売っている。検札を見かけたことはないけれど、おそらくたまにチェックをしているのだと思う。低床式のトラムに乗り降りするには階段やエスカレーターに乗る必要がなくて、荷物を持っていても移動が楽でいい。

ポートランド中心市街地はさほど広くない。食事をするのもだいたいホテルから徒歩で15分ぐらいのエリアに収まっている。夕涼みの散歩を兼ねて歩くのも気持ちがいいし、トラムでひと駅かふた駅乗ることもあった。夕方、ホテルを出てビールを飲みに行き、ホテルに帰ってくるには2時間半のチケットがちょうどよかった。

アメリカに行くといつも感じるのだが、ドライバーの歩行者、自転車優先の意識が徹底していて、きちんと一時停止をしてくれるので歩いて危険を感じることがなかった。レンタカーで市内を走っているときは、ほとんど徐行だった。

ウィラメット川沿いでジョギング

ポートランドは、オレゴン州ワシントン州の州境を流れるコロンビア川の支流のウィラメット川を挟んで発展した町である。

 泊まったホテルはウィラメット川沿いにあったので、朝、川沿いを周回するジョギングコースを走っていた。自転車とジョガー専用の道になっていて、自動車を気にする必要がなく、横断歩道もない平坦なコースだから、ジョギングには最適だった。8月でも朝夕はかなり涼しくなるし、川面と橋を眺めながら走るのは気持ちがいい。

www.mapmyrun.com

 オレゴン歴史協会(Oregon Historical Society)

旅行したとき、なるべくその土地の歴史や文化に関する博物館に行くようにしている。ポートランドにはオレゴン歴史協会の博物館があり、展示は非常に充実していた。

今回のポートランド旅行は、クラフトビールを飲みまくる、ということが大きな目的だったけれど、それだけではなくアメリカの西部開拓史の現場を見てみるという目的もあった。

アメリカが西部開拓を進めた最大の原動力はゴールドラッシュだったけれど、それ以前は捕鯨と毛皮猟が西向かって進む動機となっていた。キャプテン・クックによるアメリカ太平洋岸を探検によって、ネイティブとの交易で得たラッコの毛皮が中国の広東で高値で売れることがわかった。その後、毛皮交易をめぐって、イギリス、アメリカ、ロシア、スペインの勢力がアメリカ太平洋岸で角逐することになる。

ルイス&クラークの探検隊がアメリカ人としてはじめて陸路を通って太平洋岸に到達する。その時、ロッキー山脈の分水嶺を越えた後、コロンビア川を下り、現在のオレゴン州を通る。そして、ゴールドラッシュ以降、西海岸へ移住するためオレゴン・トレイルと呼ばれる道を「幌馬車」で移動した。

このオレゴン歴史協会の博物館では、そういった歴史をたどり、「実物」たとえば、毛皮猟をしていたネイティブのカヌーやオレゴン・トレイルの旅をした「幌馬車」の実物やそれに積み込まれた道具を見ることができた。オレゴン・トレイルの歴史を本で読んではいたが、実物を見ることで、頭のなかのモノクロの映像にカラフルな色付けができたように思う。

www.ohs.org

コロンビア渓谷(Columbia River Gorge)トレッキング

ポートランドからレンタカーでコロンビア渓谷まで行き、トレッキングしてきた。

コロンビア川は、ロッキー山脈を越える太平洋岸に向けた主要な交通路になっている。コロンビア川に沿って、かつてはオレゴン・トレイルが通り、その後蒸気船が行き交い、現在ではインター・ステイト・ハイウェイ84号線が走っている。また、約100年前に自動車道としてはじめて開通したHistoric Columbia River Highwayがあり、今でも走ることができる。

columbiariverhighway.com

 その中ほどに、コロンビア渓谷を見渡せる場所にVista Houseという石造りの展望台がある。景色も雄大で、その展望台そのものも歴史的建造物になっている。

 コロンビア渓谷には、コロンビア川にむかって支流が注ぎ込んでいる。それらの多くは滝になっている。体力にあわせてさまざまなトレイルが整備されている。自動車を停めて滝壺まで数分歩いて写真を撮って帰ってくることもできるし、本格的な登山もできる。

トレッキングになれていないこともあり、今回はマルトノマ滝から初心者向きの3時間ほどのトレッキングをした。川はかなりの急流で、渓流に沿ったトレイルはかなり厳しい上り道だった。滝壺のすぐそばに近づくことができ、飛沫を浴びると涼しくて気持ちがよかった。

Columbia River Gorge Hikes - Hiking in Portland, Oregon and Washington

太平洋へ:アストリアからエコラ州立公園

翌日、レンタカーでコロンビア川を2時間ほど下って太平洋岸まで行ってみた。ポートランドからコロンビア渓谷は晴れていたが、太平洋岸は曇っており、薄暗く、冷え冷えとしていた。

コロンビア川の河口にアストリアという町がある。アメリカ毛皮会社を設立したジェイコブ・アスターによって交易所が作られ、町の名前はアスターの名前をとって付けられた。町はずれの丘の上から町、河口、太平洋が一望できる。 ここ数年、シンガポール、マラッカ、香港、マカオ、神戸と帆船時代に作られた交易港を旅行しているが、どこも同じような立地である。湾と島に囲まれ、平地は狭く、風をさえぎり見張りができる山と丘がある。このアスターも同じような地形だった。

 アストリアにはオレゴン海事博物館(Oregon Maritime Museum)があり、キャプテン・クックをはじめとする太平洋岸の探検、毛皮交易、コロンビア川の蒸気船、コロンビア川河口での海難事故、漁業の歴史、そして、311で日本から流れ着いた漁船などが展示されている。この博物館も想像以上に充実していた。

Oregon Maritime Museum

そのあと、太平洋岸にあるエコラ州立公園から太平洋を眺めた。雲におおわれ、色がない寒々とした水墨画のような景色だった。

旅先で本を買う

旅先で本を買う

昔から旅行をしているとその土地の本屋、古本屋、大学生協が気になってよくのぞいていた。旅先で本を買うと荷物になるのでがまんするけれど、品揃えがよい本屋に出会うと抑制できなくなることもある。京都の恵文社恵文社一乗寺店)とか。

"Mark Twain's Letters from Hawaii":ホノルル国際空港

カウアイ島に旅行した時、トランジットをしたオアフ島のホノルル国際空港の書店で"Mark Twain's Letter from Hawaii"という本が平積みされているのをつれあいが見つけてくれて、興味を惹かれて衝動買いをした。

この本は、ハワイ王国がアメリカに併合される前の1966年にマーク・トウェインが新聞に寄稿したハワイ紀行をまとめたものである。単なる紀行にとどまらず、ハワイの文化、社会、経済、政治、時事などを同時代の目で報告した本である。

マーク・トウェインが書いているから当然おもしろい。その上、ハワイを旅行しながらこの本を読んでいると、臨場感があって引きこまれた。

これ以来、旅先でその旅行のテーマに合った本を探すようになった。

Mark Twain's Letters from Hawaii

Mark Twain's Letters from Hawaii

 

William Gwee "A Baba Boyhood" プラナカン・ミュージアムシンガポール

シンガポールへ旅行した時、プラナカン・ミュージアムミュージアム・ショップで見つけ、直感的に読まなければならない本だと思い、すぐに買った。

プラナカンとは、主に中国から東南アジアに商人として移り住み、現地の女性と結婚した人の子孫を指す言葉だ。中国とも東南アジアの現地とも違う独特の文化、コミュニティを形成している。シンガポールにはプラナカンたちが多く住んでおり、最近ではプラナカンとしてのアイデンティティが積極的に主張されるようになっているようだ。

peranakanmuseum.org.sg

この本は、シンガポールが日本軍に占領された時代に少年時代を送ったプラナカン(「ババ」とはプラナカンの少年を指す言葉)の回想録である。またいずれ別のエントリーで詳しく書こうと思うが、少年の目からシンガポールの日本軍がどのように映ったのか詳細に書かれている。

あくまでも「少年の目」から政治的に中立な立場から書かれている。イギリス人やプラナカン、それ以外の華人に対しても厳しいエピソードもある。しかし、そうであったとしても、シンガポールの日本軍はとても誇りを持てるような存在ではなかったことはよく理解できる。

この本を読んでから、特に太平洋戦争のことについては、日本語で書かれていた本だけを読むのでは偏った見方しかできないと痛感した。

Rana Mitter "China's War with Japan 1937-1945 The Struggle for Survival":香港大学書店

香港に旅行した時、香港大学の書店で香港の歴史をコンパクトにまとめた本を探していて目についた。

日本語の本では日中戦争の通史はそもそも少ないし、政治的に中立なものになるとずいぶん限られてしまう。この本の著者はオックスフォード大学で中国近代史を研究するインド人で、日中戦争のキーパーソンとして蒋介石毛沢東汪兆銘を公平に扱っていることに表わされるように、おおむね客観的な歴史書だと思う。

南京事件については、組織的な虐殺略奪はあったが、人数は正確なデータがないという認識である。南京事件が起きた時、国民党政府はすでに撤退していて、虐殺略奪についての統計資料は残されていないという。この本では、南京事件当時、南京で学校を経営していた西洋人の記録を引用して、組織的な虐殺略奪があったこと自体は立証している。

日本軍の残虐行為が免罪される訳ではないけれど、この本を読むと、国民党政府もかなりひどいことがわかる。アメリカ政府内部で腐敗している国民党政府を支援することが正当化しうるか議論があったという記述があり、興味深かった。現代のアメリカでも、安定を優先して専制的な政府を支援すべきか、人権を優先すべきか議論になっている。同じ議論はすでに第二次世界大戦当時にすでにあったということだ。

 

China's War with Japan, 1937-1945: The Struggle for Survival

China's War with Japan, 1937-1945: The Struggle for Survival

 

Kevin Kwan "Crazy Rich Asian" Peter Stark "Astoria":パウエルズ・ブックス・ポートランド

今回のポートランド旅行で、ポートランドの有名書店パウエルズ・ブックスに行ってきた。

yagian.hatenablog.com

パウエルズ・ブックスは、チェーンの書店ではなく、ポートランドの地元の大型書店である。中心市街地ではパウエルズ以外にまともな書店は見かけなかったから「書店」に行きたいポートランドの本好きはパウエルズに集まっているのだろう、かなり繁盛していた。

最近の書店にしては、物販の比率は低く、本の販売に注力している。書店員の推薦図書のコーナーが充実している。おもしろいのは、ジャンル別に著者のABC順に整理された棚に、新刊本と古本が混在していることである。たしかに、絶版本については古本が並んでいると便利かもしれない。

Powell’s Books | The World’s Largest Independent Bookstore

ここでは、書店員が推薦している本を二冊購入した。

一冊目はKevin Kwan "Crazy Rich Asian"。ウルトラ・リッチな華人たちの家族のラブ・コメディ。シンガポール、香港、上海、クアラルンプール、ニューヨーク、ロンドン、パリと舞台はめまぐるしく変わる。現代のウルトラ・リッチな華人コミュニティの実態を垣間見ることができる(まあ、小説だから誇張はあると思うけれど)。今、1/4ぐらい読み進めたところ。大陸の中国人に比べ、華人(中国の外に住む中華系の人たち)の方が伝統的だ、とうセリフがあり、なるほどそうかも、と納得した。 

Crazy Rich Asians

Crazy Rich Asians

 

二冊目はPeter Stark "Astoria"。ポートランドからコロンビア川を下った河口部にアストリアという港町がある。Jacob Astorという毛皮商人がネイティブ・アメリカンから毛皮を購入するための交易所を設置したことが町の起源になっている。この本は、Astorの野望と挫折の歴史を扱っている。旅行ではポートランドからアストリアまでドライブをして、太平洋岸の荒涼とした風景を眺めてきた。これから読むのが楽しみだ。

 

筒井康隆「モナドの領域」を読んで:妬み恨み嫉みという感情

筒井康隆モナドの領域」

しばらく前に図書館で予約を入れた筒井康隆モナドの領域」の順番が回ってきた。

 最後に筒井康隆を読んだのは「虚航船団」や「文学部唯野教授」だから、もう20年以上前になる。

ずいぶん久しぶりに読んだ「モナドの領域」は、予想以上の楽しめた。筒井康隆の文体はあまり好きではないので、読み始めは違和感があったけれど、第3章にあたる「大法廷」でのGODの陳述のあたりからは引き込まれて、最後まで一気に読んでしまった。

 あらゆる事象は真善美、一切皆苦

この小説には、時空に偏在している世界の創造者(GODと呼ばれている)が登場する。

人間にとっては、世界は、悲劇的で不条理な出来事であったり、罪と思われる行為に満ちている。しかし、世界を創造したGODにとっては真と偽、善と悪、美と醜の区別がなく、すべては真善美なのだという。巨大な災害、戦争、そして、人類の絶滅それ自体も美であると。

このような創造者の捉え方は、一神教の信者にとっては涜神的に見えるかもしれないが、私のような一神教の信者ではないものが、時空を超えて世界のあらゆる事象を創造し、認識する存在について想像すると、筒井康隆が書いたような認識を持つということは納得できる。

仏教では、世界のすべては苦である「一切皆苦」という考え方がある。これは、すべての事象が真善美とするGODの認識と対立しているようであるが、真偽、善悪、美醜の区別をせず、世界をそのまま認識し受け入れるという意味では同じことをコインの両面から表現しているように思う。

妬み恨み嫉みという感情

私は、外からは淡々としているように見えるようで、あまり妬み恨み嫉みという感情にとらわれていないように思われることがある。しかし、当然ながら、人並みか、人並み以上にそのような感情に囚われてしまうことがある。

過去の行為の積み重ねで現在の自分があり、過去は変えられない以上、現在の自分も変えようがない。一方、未来はこれからの自分の行為で変えうるのだから、過去や現在の自分はそのまま受け入れ、これからの行為に集中すればよい。

と理屈では思う。

妬み恨み嫉みという感情は、こうあって当然と思う自分と現実の自分の落差から生じる。その感情がうまく未来の行為に向けられればよいが、実際には過去の自分や他人に対して向けられてしまうことが多い。そして、そのような感情に囚われているとき、苦しくなってしまう。

歳を取ればいろいろなことに諦めがついて妬み恨み嫉みから解放されるようになるのかと思うと、むしろ逆に、自分の未来の可能性が狭まっていくため、そのような感情から解放されることはない。

GODの視点から自分を俯瞰する

自分が解脱することはないだろうから、妬み恨み嫉みという感情から解放されることはない。しかし、自分が不条理だと不満に思うことも、GODの視点から俯瞰すれば、すべては真善美なんだろうな、そう思えば妬み恨み嫉みから離れられるだろう。常にGODの視点から考えるということはできないけれど、そういう視点もありうるのだ、ということを意識することには意味があると思う。

モナドの領域」を読んで、そんなことを考えていた。

モナドの領域

モナドの領域

 

 

ポートランドはおいしい

アメリカの食の新しい潮流

今年の夏休み、オレゴン州ポートランドに一週間滞在した。

アメリカというと、食事がおいしいというイメージは乏しいと思う。しかし、最近、アメリカの食事情は大きく変化しつつあり、その変化の最先端、中心となっているポートランドで新しい食の潮流を味わってきた。

Tugboat Brewing Company★★★★☆

ポートランドの空港からホテルに着き、シャワーを浴びてひとやすみをしたあと、さっそくクラフトビールを飲みにビアバーに繰り出した。

西海岸を中心として、アメリカではクラフトビールを作るマイクロブリューワリーが増え、今ではブームを超えてすっかり定着している。ポートランドは、そんなマイクロブリューワリーが集まっている都市のひとつだ。

クラフトビールに限らず、同じブランドのビールでも違う味に感じらることが多い。たまにごくふつうのビール(例えば、「一番搾り」の生ビール)がやけにうまく感じられることがある。逆にやけに水っぽく気が抜けているように感じる時もある。もちろん、気候や体調の影響もあるのだろうけれど、ビールはナマモノだから、品質が不安定なのだろう。日本でもアメリカのクラフトビールを飲める店が増えてきたけれど、ブリューワリーのすぐ近くで飲むビールは新鮮で品質が保たれているためか、おいしく感じる。

この店は、腕にタトゥーが入ったおばさんが仕切る素朴な雰囲気で、地元の常連さんが集っている様子。10ぐらいタップがあって、Tugboat Brewing Companyで作っているビールと、そのほかオレゴンとカリフォルニアのいくつかのブリューワリーのビールが飲める。

チーズと黒豆がたっぷり乗ったナチョスをつまみに、Tugboatのビールを2杯ほどサクッといただく。想像していたよりずいぶん安くて、近所にこんなお店があったら、常連になりそうだ。

The Portland Farmers Market at Portland State University★★★★★

翌朝、朝食を食べるために、ポートランド州立大学で開催されているファーマーズマーケットに行った。

アメリカの新しい食の潮流は、「オーガニック」と「地産地消」がキーコンセプトになっている。ポートランドでは、曜日ごとに場所を変えてファーマーズマーケットが開催されていて、この「オーガニック」と「地産地消」運動の核となっている。ポートランド州立大学のファーマーズマーケットは、毎週土曜日に開催され、ポートランドでは最大規模のようだ。

最近、鎌倉でも「鎌倉野菜」をブランド化して、地産地消を進めている。鎌倉駅からほど近くに鎌倉市農協連即売所があり、そんな野菜を農家から直接買うことができる。しかし、このポートランドファーマーズマーケットは、規模、品揃えが圧倒的に違う。

今はベリー類が旬らしく、いろいろなベリーを並べた屋台がたくさんあった。おいしそうに見えたので、小粒のイチゴを買ってみた。完熟したイチゴはおどろくほど甘く、やわらかく、口のなかですぐとろけた。

大きなバッグを肩にかけて買い出しをしている人をたくさん見かけた。たしかに、ポートランドに住んでいたら、毎週末通ってしまうかもしれない。

ポートランドにも、オーガニック食品を扱うスーパーマーケット「ホールフーズマーケット」があるけれど、このファーマーズマーケットはかなり強力なライバルだと思う。

Higgins Restaulant & Bar★★★★☆

夕食には、地元のオーガニック農産物を活かした料理を作る老舗のレストラン、Higginsに行った。

ポートランドの町自体がいい意味で素朴な田舎風ということもあり、この町のレストランやバーもいい意味でおしゃれ過ぎないところがいい。この店も気張っておらず、落ち着いた雰囲気だった。ウェイターもベテランな人が多く、客層の平均年齢も高い。

オレゴン産のワイン、泡、白、赤を一杯ずついただきなから、ごくふつうだけど、おいしいアメリカ料理を堪能した。

Heart Coffee★★★★☆

郊外にドライブするとチェーンのファーフトフードの店舗は見かけるけれど、ポートランドの中心市街地ではほとんど見かけなかった。マクドナルドがまるでない都市、というのも珍しいかもしれない。その代わり、スターバックスは石を投げれば当たりそうなぐらいどこにでもある。

ブルーボトルコーヒーが日本に出店して以来、東京でもサードウェーブコーヒーのカフェが増えてきた。ポートランドでは、ブルーボトルコーヒーはないけれど、さまざまなサードウェーブのカフェがあり、スターバックスよりおいしいコーヒーを手頃な値段で提供しているから、競争は厳しいのかもしれない。

シンプルな内装の小さなカフェだけど、ポートランドを代表するカフェの一つで、行列ができている。ハウスブレンドのコーヒーを頼んだけれど、複雑な、いままで飲んだことがない味わいだった。

考えてみれば、ボストンで紅茶を海に捨てて以来、アメリカ人はコーヒーを大量に飲み続けてきたんだからそろそろおいしいコーヒーを飲んだっていい頃かもしれない。

Pallo Bravo at Pine Street Market★★★★☆

この日は、まだ時差の調整ができていなくて、昼食の時間に食欲がわかず、午後の早い時間に昼食兼夕食をかんたんに食べられるお店を探した。倉庫をリノベーションして作った新しいフードコートを試してみることにした。

フードコートと言っても、ふつうのモールにあるようなファーフトフードと屋台が集まったものではなく、現代アメリカの「おいしい」料理を出すお店が集まっている。

ハッピーアワーで、なんとクラフトビールが(小さいグラスだけど)一杯1ドル。ホットサンドウィッチに挟んであるグラスフェッドの牛肉がしっかりとした肉の香りがする。

半端な時間だったけれど、にぎわっていた。たしかに、フードコートでこれだけの料理が食べられれば、何も言うことはない。

Stumptown Coffee Roasters★★★★★

ポートランドのカフェのコーヒーはどこもハズレはなかったけれど、このお店のコーヒーがいちばんおいしく感じた。

比較する意味もあり、カフェに行くと、その店でいちばん標準的なハウスブレンドのコーヒーを頼むことにしていた。このカフェは非常に気に入って二回行ったので、一回目はハウスブレンド、二度目はカプチーノを飲んだけれど、どちらもとてもおいしかった。

サードウェーブのカフェでは、苦味や酸味よりはフルーティなあじわいのコーヒーが出てくることが多い。考えてみれば、コーヒー豆は果実だからフルーティなのが当然でもある。

Trifecta Tavern★★★★☆

この日は、コロンビア・リバー・ジョージ(コロンビア渓谷)にトレッキングに行ってきた。レンタカーを返してホテルでシャワーを浴びた後、ホテルからバスに乗ってこのレストランに行った。

この旅行中、モバイwifiをレンタルしてGoogle Mapを見ながら歩き、ドライブをしていたけれど、ガイドブック、地図、カーナビはもう不要だと思った。

旅行者として知らない都市のバスは、路線がわかりにくくて使いにくい。しかし、Google Mapで行き方を検索すれば、停留所の位置や時間も含めてわかりやすく教えてくれるから不安がなく利用できるようになった。

レンタカーにはカーナビは付いていなかったけれど、Google Mapのナビで、精度、情報量ともまったく不足がなかった。

このレストランは中心市街地から少し外れたところにあり、倉庫をリノベーションして、ダイナー風のしつらえにしてある。薪の窯でグリルする料理が中心で、ピザの一種のような料理(flatbreadという名前になっていた)とエビのグリルを頼み、やはりタップのクラフトビールをいただく。

アメリカのクラフトビールというとIPAが中心だけど、今回はあえてIPA以外のビールを飲んでいる。このお店の一杯目は、トレッキングで渇いた喉をピルスナーでうるおした。しみた。

Hair of Doc Brewing Company★★★★★

翌日、またレンタカーを借りて、今度はオレゴン州の太平洋岸までドライブをした。ポートランドからコロンビア川河口にあるアスターという町まで2時間弱ほどかかる。

滞在していた一週間、ポートランドはずっと天気がよく、快適だった。日中は30度を超えるけれど、乾燥しているので、風が日陰に入るとさわやかで、夜には20度を下回り寝苦しさはまったくない。太平洋岸は天候が悪く、日中でも20度を超えず、寒いほどだった。

日本を含め、夏、湿度が高くて暑い地域のビールは、やはり一気に飲み干せるようなタイプの味が多いように思う。

一方、アメリカのクラフトビールに多いIPAは独特の苦味と濃さがあって、蒸し暑いビアガーデンで一気に飲み干すには適さない。この気候にして、このビールの味があるんだと納得した。

このお店は、Hair of Dog Brewery Companyの直営店で、このブリューワリーで作っているビールをタップで提供している。

ここもかつての倉庫をリノベーションした店舗で、店内はシンプルなしつらえになっており、料理は手のかからないものが中心で、ビールを主役にしたお店だ。

注文したビールがすべて衝撃を受けるほどおいしく感じられた。ここのビールを飲めただけで、ポートランドに来た甲斐があったと思う。

おいしいコーヒーは、濃く淹れればコクと香り楽しむことができ、薄く淹れるとむしろ味の成分が繊細に感じられるようになる。それと同じで、このブリューワリーのビールは、スタウトはコクと深みがあり、ラガーは味を構成する要素のそれぞれが粒立っているようだった。

ツマミは、ハム、サラミ、チーズ、オリーブ、ドライフルーツの盛り合わせだったけれど、このブリューワリーのビールによく合っていて、このお店の人はビールをおいしく飲むということが実によくわかっている。

Mother's Bistro & Bar★★★★☆

アメリカのふつうの朝食、卵とベーコン(もしくはハムかソーセージ)とトーストとコーヒーの組み合わせ、が好きだ。旅行中、ここまではカフェでペストリーとコーヒーという朝食を食べていたけれど(おいしいから満足している)、アメリカに来たからには一回はがっつりとした朝食を食べたいと思い、ホテルの近くの朝食のメニューがあるレストランに行った。

ランチの時間の少し前の時間だったけれど、ほぼ満席で、素朴なダイナーを予想していたけれど、ずっと洗練されたレストランだった。

メニューふつうのアメリカ料理で、期待通りのアメリカンな朝食を食べることができた。付け合わせのソーセージとベイクドポテトが手作り感があっておいしかった。

アメリカンコーヒーを注文したので、大きめのマグカップに薄いコーヒーが出てきた。少し飲むとどんどん注いでくれる。日本の水とほとんど同じ感覚で飲んでいるのだろう。

ポートランドは、西部開拓時代に農民たちが幌馬車(馬ではなく、牛が引いていた)で移住した道、オレゴントレイルのほぼ終着点にあたる。移動中、きれいな水を得ることが難しく、消毒と味をごまかすために、コーヒーを淹れて水代わりに飲んでいたという。

どんどん注ぎ足されるアメリカンコーヒーは、オレゴントレイルで農民たちが飲んでいたコーヒーの伝統を引き継いだものかもしれない。

Case Study Coffee Roasters★★★★☆

不思議な名前のコーヒー店。

ここのお店でハウスコーヒーを頼んだら、エチオピアのウォッシュドだと説明してくれた。薄めだけど味わいがある、最近飲み慣れている系統のコーヒーで飲みやすかった。

ようやく時差も調整できて、ポートランドの町にも慣れたところで、もうこの旅行も終わろうとしているのが寂しい。

コーヒーをすすりながら、ポートランドで食べたもの、飲んだものに思いをめぐらし、ブログを書いていた。

 Bamboo Sushi★★★★☆

最近、海外旅行に行くと、一回はスシを食べるようにしている。世界各国で、スシはすっかり地元向けの食べ物として定着して、日本人の手から離れてさまざまに現地化している。どんな風にアレンジされたスシを食べられるか楽しみにしている。

海外のスシ屋では、東アジア系の風貌の店員を揃えているケースもあるけれど、この店はそんなこともない。より現地化の程度は高く、かつ、店のしつらえも、料理も洗練されていた。

最近では日本のスシ屋でもカリフォルニアロールが食べられることも多いけれど、ここはオリジナルのロールが充実している。地元で獲れた海産物を中心とした"The Local"というロールを食べた。ビンチョウマグロが入っていて、なかなかいける。

締めに"Okonomiyaki"を頼んでみた。薄くクリスピーに焼いたピザに近いものの上にキャベツが乗っていて、ちょっと辛めのマヨネーズベースのソースがかかっている。食べたことのない旅行中だけど、これはこれでおいしかった。

ポートランドはおいしい

ポートランドで食べ、飲んだものは、みなリーズナブルでおいしかった。お店は気取りなく素直においしいものを作り、それを好む地元の客が支えている、という好循環ができているようだった。

ポートランドの人口は約60万人。日本だと、静岡、岡山、鹿児島、松山などとほぼ同じ規模である。日本にも、ポートランドのような「おいしい」町はあるのだろうか。

 

Twitterにはファーガソン事件、Facebookにはアイスバケットチャレンジが並ぶ

中絶合法化が犯罪率を減らした?:「ヤバい経済学」と「エビデンス・ベースド・アプローチ」

「ヤバい経済学」は、これまであまり「エビデンス・ベースド・アプローチ」(実験や調査によるデータの定量的分析に基づく手法)が適用されてこなかったさまざまな社会的事象に対して、定量的な分析、実証をすることによって、通説、常識を覆し、思いもよらない(そして興味深い)原因を提示している。

本書を特に有名にしたのは、アメリカにおける犯罪率の低下の要因として、中絶合法化が進んだことにより犯罪者となるリスクが高い子供の出産が減ったことを統計的に示したことである(しばらく前の大相撲の「八百長」に関する定量的分析もある)。

この本で提示されている結論、仮説のすべてが正しいとは思わないけれど、データに基づいた分析だから追試、検証をすることができる。それまでの「専門家」による定量的分析に基づかない「理論」「説明」は、検証することができないから、「ヤバい経済学」の仮説は、はるかに開かれたものだ。

そして、なによりも対象とする社会的事象を選択するセンスがすばらしく、この本を魅力的なものにしている。

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 

Podcast版「ヤバい経済学」:"Freakonomics Radio"

 この本は、経済学者であるスティーブン・ダブナーとノンフィクション・ライターのスティーブン・レヴィットの共著になっている。このうち、スティーブン・レヴィットがPodcast版「ヤバい経済学」である"Freakonomics Radio"を制作している。週1回更新されるこのPodcastも、毎回テーマの設定がすばらしく、毎回心待ちにしている。

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Twitterにはファーガソン事件、Facebookにはアイスバケットチャレンジが並ぶ:インターネットと自由

しばらく前のFreakonomics Radioで、インターネットと自由をテーマとする回があり、その冒頭で興味深いエピソードが紹介されていた。

ある日、自分のTwitterのタイムラインを見ると、ファーガソン事件に対する抗議行動の話題でうめつくされていて、これは大事件だと驚いたという。しかし、Facebookのタイムラインではファーガソン事件の話題はまったくなく、アイスバケットチャレンジ(流行った時期がありましたね)の投稿が並んでいた。これは、Facebookファーガソン事件の投稿を「検閲」して削除していた訳ではなく、Facebookは過去のアクセスデータを解析して閲覧時間を最大化するようにタイムラインを調整していたためだからという。

この話を聴いて、さまざまな感想が思い浮かんだ。

単純に文字通り時系列にタイムラインを表示するTwitterは、利用者の立場から見ると存在意義があると思うけれど、企業としてみればFacebookに完敗しているのは当然だよなと思う。

Facebookは非常に洗練した方法でタイムラインを調整して、いわば「見たいものを見せている」いるのだろう。だから、Facebookだけを見ていると、情報が偏ってしまう。もっともテレビも視聴率を指標にして「見たいものを見せる」競争をしているのだから、同じように情報が偏っている。書店も棚の量には限界があるから、売れる本や雑誌、つまりは「見せたいものを見せる」競争をしている。

インターネットによって広く安く情報を集めることができるようになったけれど、かなり意図的にさまざまなメディアで情報を探すようにしないと、「自分の見たいもの」だけの狭い世界に閉じ込められてしまうのだろうと思う。政府がある一定の価値観を押し付けるための「検閲」ではないけれど、「自分の見たいもの」の世界に閉じ込められるのもやはり自由ではない。

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