全部聴く:ビートルズとソロ活動

ストリーミングサービスの楽しみ

音楽のストリーミングサービスが本格的に始まった時、Apple MusicとGoogle Play Musicのどちらに加入するかかなり迷ったけれど、結局、Appleの生態系に取り込まれすぎるのも嫌だなと思い、Google Play Musicを選んだ。

ストリーミングサービスに加入する前は、自分が持っているすべての音源データをiPod Classicに入れて持ち歩いていた(余談だけど、iPod Classicはジョブスの愛情も感じられるし、はじめて買ったApple製品ということもあり、思い入れがある)。どうしても自分の音源は自分好みに偏ってしまうけれど、ストリーミングサービスに加入してからは、聴く音楽の幅も広がってきたし、音楽を聴く時間も増えた。

全集を読むことで深まる理解

去年のクリスマス・イブに、Google Play Musicでビートルズの楽曲が公開され、ストリーミングサービスで聴ける範囲でビートルズとソロ活動の曲を全部聴いてみようと思い立った。

ある作家の代表作だけを読むのと、全集を読み通してみるのでは格段に理解の深さが違う。若書きや実験作、失敗作を読み、その作家の試行錯誤のプロセスを知ったうえで代表作を読むと、印象も変わってくる。

例えば、夏目漱石は、代表的な小説だけではなく、朝日新聞主催の講演(「私の個人主義」など)や書簡(特に、正岡子規宛や芥川龍之介宛が有名)が「おいしい」ということは広く知られていると思うが、それらに加え、彼の初期の小説群が非常に興味深く、漱石を理解するには非常に重要だと思っている。

「三四郎」 以降、朝日新聞の連載することを前提とした一定のスタイルができあがるが、それ以前の小説は一作一作、文体もストーリーも小説の構造も大胆な実験を繰り返していて、その多様さと潜在的な可能性の豊かさには目を見張るばかりだ。

第一作目の「吾輩は猫である」は、猫の視点から書くという意味でも、そして、ストーリーがあるようなないようなという意味でも、そうとう風変わりな小説である。第二作目の「坊っちゃん」は、前作から文体もテーマも大きく異なっている。

漱石の小説のなかではいちばん読まれていないかもしれない「薤露行」はアーサー王伝説をテーマにし、文体に凝りに凝っている小説である(だから、現代人にとってはかなり読みづらい)。ジェイムス・ジョイスばりの「意識の流れ」の手法を使った「坑夫」が、ふつうに新聞小説として連載されいたということも驚きである。「薤露行」や「坑夫」は成功作とは言えないと思うけれど、これらの小説を読んだ上で「こころ」や「明暗」を読むと、また違った理解ができる。

実際、ビートルズとソロ活動を全部聴いてみると、作家の全集を読むようなもので、彼らへの印象が変わり、自分なりの理解が深まったと思う。

 

漱石文明論集 (岩波文庫)

漱石文明論集 (岩波文庫)

 

 

漱石書簡集 (岩波文庫)

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三四郎 (岩波文庫)

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吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)

 

 

坊っちゃん (岩波文庫)

坊っちゃん (岩波文庫)

 

 

倫敦塔・幻影の盾 他五篇 (岩波文庫)
 

 

坑夫 (岩波文庫)

坑夫 (岩波文庫)

 

 

こころ (岩波文庫)

こころ (岩波文庫)

 

 

ビートルズ

ビートルズの全アルバムを聴いて、ハズレがまったくないことが印象的だった。ずいぶん前衛的なことに挑戦しつつ、失敗作になってしまったアルバムはないし、ムダだと思える収録曲もない。

もちろん、人によって好みはあると思う。私は"Rubber Soul"と"Abbey Road"が気に入っている。しかし、他のアルバムも悪くない。このあとソロ活動のアルバムを聴くと、正直、飽きてしまうアルバムもあるし、試行錯誤の跡が歴然とした曲もある。しかし、ビートルズ時代はそのような緩みはなく、奇跡的だ。

ジョージ・ハリスンは、ビートルズ解散後、それまで作り溜めてきたであろう曲を一気に収録した"All Things Must Pass"という二枚組のアルバムを出す。おそらく、ビートルズのアルバムの収録曲の背後には多くの曲があって、厳選されていることもその要因の一つなんだろうと思う。実際、ビートルズ時代のジョージ・ハリスンの曲は名曲ぞろいだ。

"White Album"と"Abbey Road"を聴いていると、そのことが解散の原因になってしまったんだろうなと感じる。この二つのアルバムでは、もはやバンドとしてのまとまりはなく、メンバー(リンゴを除いて)が自分の曲を持ち寄って並べたようになっている。おそらく、少しでも多くの自分の曲を入れたかったんだろうけれど、収録曲数には限界がある("White Album"は二枚組になってしまっている)。それだったら、ビートルズよりソロで活動したくなるのも当然だろう。

 

Rubber Soul

Rubber Soul

 

 

Abbey Road

Abbey Road

 

 

All Things Must Pass

All Things Must Pass

 

 

White Album (Dig)

White Album (Dig)

 

 

ポール・マッカートニー

 これまで、ポール・マッカトニーのソロは、ヒット曲は聴いていたけれど、アルバムをしっかり聴くのはほぼはじめてだった。

ウィングス時代が想像以上に充実していることと、80年代以降非常に幅広い音楽に挑戦していることが印象的だった。クラシックのアルバムを出していることは知っていたが(実際に聴いたのははじめてだったし、一枚ではないことははじめてい知った)、テクノやアンビエントのアルバムがあることには驚いた。その一方で、

 80年代後半から90年代前半まではかなり試行錯誤の時期だったように思う。正直、退屈するアルバムも多かった。しかし、その時期を抜けてからは、好きな音楽を思うように作るようになった感じで、聴いていても安心できる。

2009年のライブ盤"Good Evening New York City"は、まさしくビートルズからはじまるポール・マッカトニーの音楽の集大成で、感慨深いものがある。

 

Good Evening New York City (W/Dvd) (Dig) (Ocrd)(2 CD + 1 DVD)

Good Evening New York City (W/Dvd) (Dig) (Ocrd)(2 CD + 1 DVD)

 

 

ジョン・レノン

ジョン・レノンのソロはベスト盤でしか聴いたことがなかったので、突然はじまるオノ・ヨーコの叫び声の驚愕した。正直に言ってかなり不快だったが、その不快感こそがオノ・ヨーコのアートなんだろうなとも思った。

ジョン・レノンのアルバムにオノ・ヨーコの曲を入れることには、おそらく、ジョンとヨーコの二人以外は大反対だったんだろうと思う。いまでこそ曲をスキップするのは楽だけれども、ビニールのレコードではオノ・ヨーコの曲だけを飛ばすことは難しい。今回も「全部聴く」がコンセプトだったから、オノ・ヨーコの曲も飛ばさずに全部聴いて、レコード時代の感覚を味わった。

不快だけれども、強烈な印象が残ったのも事実である。アートの目的は、心地よい感情を引き起こすことだけではいから、これもひとつのアートなんだろうな思う。それにしても、あらゆる反対、反発を押しのけてオノ・ヨーコの叫び声をレコードに入れた二人の意志には(やや呆れつつも)感心した(もう、オノ・ヨーコの曲は聴くことはないと思うけれど)。

ジョージ・ハリソン

ジョージ・ハリスンビートルズ解散後に出した"All Things Must Pass"はCDを持っていた。久しぶりに全曲聴き直したけれど、これは傑作だと思う。ビートルズのメンバーのソロアルバムのなかでもいちばんいいかもしれない。

Wikipediaでそれぞれのアルバムの批評を読みながら聴いていたのだけれども、ジョージ・ハリスンのアルバムへの批評には、必ず、"All Things Must Pass"以来の、という決まり文句がついていて、一世一代の傑作が彼にとって重荷になっていたのかもしれないと思った。

彼のソロ・アルバムは聴いていてリラックスできて気持ちがいい。しかし、今ひとつ引っかかりがなくて、曲と曲、アルバムとアルバムの区別がつかない感じである。エリック・クラプトンと共演した"Live in Japan"では、二人が楽しそうに演奏をしていて、彼の気持ちのいい音がよく表現されている。

 

Live in Japan (Hybr)

Live in Japan (Hybr)

 

 

リンゴ・スター

リンゴ・スターのソロアルバムを聴いたのがはじめてだったし、こんなに多くのアルバムを発表していたとは失礼ながらまったく知らなかった。

ビートルズ解散直後に発表された"Sentimental Journey"は、スタンダード・ナンバーのカバー集で、発表当時はまったく評価されていなかったらしいけれど、現在聴くとこれはこれでなかなか心地いい音楽だと思う。

"Ringo Starr & His All-Starr Band"としての活動は、一種、リンゴがプロデュースしたフェスのようなもので、現代を先取りしているところもあったかもしれない。しかし、突然、シーラEが出てきたのには驚いたけれど。

 

Sentimental Journey

Sentimental Journey

 

 

ドナルド・トランプの対日政策

定期的にブログを更新することにしたことをきっかけとして、「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移行しみた。さすがに同じ会社のサービスだから移行はかんたんでトラブルもなかったけれど、画面は多少なりとも読みやすくなっただろうか。

さて、ここからが今日の本題。

しばらく前、ニューヨーク・タイムズドナルド・トランプ外交政策に関するインタビューをした。そのインタビューをまとめた記事から日本に関する部分を抜粋して和訳してみる。

"Highlights From Our Interview With Donald Trump on Foreign Policy" By THE NEW YORK TIMES MARCH 26, 2016

On whether to allow Japan and South Korea to build their own nuclear arsenal:

問:日本と韓国が自ら核武装することを許容するか。

“It’s a position that at some point is something that we have to talk about, and if the United States keeps on its path, its current path of weakness, they’re going to want to have that anyway with or without me discussing it, because I don’t think they feel very secure in what’s going on with our country.”

答:アメリカと日本、韓国は、いずれ核武装に対する立場について話し合わなければならない。もし、アメリカが現在の弱腰の方針を続けるなら、日本と韓国は私と話しあったとしても、話しあわななくても、核武装を望むだろう。なぜなら、彼らは、わが国に起きていることに安心できないからだ。 

On whether he would withdraw United States forces from Japan and South Korea if those countries do not increase their payments to cover the costs of those troops:

問:日本と韓国が駐留米軍に関する費用負担を増やさないかぎり、米軍を撤退させるか。

“Yes, I would. I would not do so happily, but I would be willing to do it... We cannot afford to be losing vast amounts of billions of dollars on all of this... And I have a feeling that they’d up the ante very much. I think they would, and if they wouldn’t I would really have to say yes.”

答:そうだ。私はよろこんで米軍を駐留させているのではなく、撤退させることもためらわないだろう。われわれは駐留のための巨額の費用負担には耐えられない。日本、韓国は、費用負担を大幅に増やすべきだと考えている。日本と韓国は負担を増やすだろうし、もししなければ撤退に関して「イエス」と言わなければならない。 

On summing up his worldview as ‘America First’:

まとめると彼の世界観は「アメリカ最優先」である。

“I’m not isolationist, but I am ‘America First.’ So I like the expression... We have been disrespected, mocked, and ripped off for many, many years by people that were smarter, shrewder, tougher. We were the big bully, but we were not smartly led... The big stupid bully, and we were systematically ripped off by everybody. From China to Japan to South Korea to the Middle East... protecting Saudi Arabia and not being properly reimbursed... I mean they were making a billion dollars a day before the oil went down... The whole thing is preposterous... We will not be ripped off anymore, we’re going to be friendly with everybody, but we’re not going to be taken advantage of by anybody.”

 私は孤立主義者ではないが、「アメリカ最優先」の立場だ。「アメリカ最優先」という表現を気に入っている…われわれは、ずる賢いタフな人たちに、ずっと軽視され、嘲笑され、搾取されてきた。われわれは大きないじめっ子だった、賢いリーダーではなく…大きな愚かないじめっ子で、みなからシステマティックに搾取されてきた。中国から日本、韓国、中東…サウジアラビアを防衛し、それにふさわしく報われてこなかった…原油価格が下がる前、彼らは毎日百億ドルも稼いできた。これらすべては不合理だ…われわれはもう搾取されないし、誰に対してもいい顔をすることはしない。誰にも利用されたりはしない。

 いまはあまり耳にしなくなった言葉だけれども、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代の外交政策の立場、いわゆる「ネオコン」と、ドナルド・トランプの「アメリカ最優先」の立場は対照的だ。「ネオコン」はアメリカ流の民主主義を世界に広めることを目指す、アメリカ的な理想主義的な立場だった。もちろん、アメリカ流の民主主義を「押し付けられる」側からの反発もあったし、また、目的のために手段を選ばないことも多かったから、他国からは「理想主義」には見えないことも多かったけれど。

一方、 オバマ大統領は、核廃絶などの高邁な理想を掲げ、グアンタナモ収容所での拷問を否定するなど目的のために手段を選ばないことは正当化しない。しかし、実際の外交政策は「ネオコン」に比べると現実的に見える。イラクアフガニスタンから撤退し、シリアに深入りすることを避ける。ロシアを非難し、経済制裁をしつつも、妥協するところは妥協する。

アメリカにとって中東の重要な同盟国だったサウジアラビアの反対、反発にもかかわらず、長年敵国とみなしてきたイランと接近した。アメリカ軍の庇護下にあったサウジアラビアは、これまで自ら軍事力を行使することはなかった。しかし、アメリカにイランへの接近と同時期に、国境を接するイエメンでイランに支援されている勢力に対して自ら空爆を実施した。これを東アジアに置き換えると、日本の頭越しにアメリカと中国が接近するようなことを想像すればよいだろう。尖閣諸島で紛争が発生し、日本が自ら軍事力を行使する状況に似ているかもしれない。

ドナルド・トランプの主張は、世界にとって必ずしも望ましいものではないが、一貫性はある。「ネオコン」と比べて、むしろオバマ大統領の外交政策に近いように思う。オバマ大統領は大きな理想を掲げているが、実際の行動は「アメリカ最優先」に近い。ドナルド・トランプは、大きな理想を掲げず、ストレートに「アメリカ最優先」と主張するところが異なるが、方向性は似ている。少なくとも、中東政策については、オバマ大統領とあまり変わらないのではないか。

アメリカの庇護のもとにあった日本にとって、ドナルド・トランプの指摘は厳しいものである。中国にとっても、日本から米軍が撤退し、独自の核武装をするのは悪夢だろう。そのような厳しい主張をぶつけ、日本から駐留経費負担増額を引き出す、というのは、交渉の手段として賢いとは思う。

ドナルド・トランプが大統領になるとしても、ならないとしても、アメリカの外交政策の大きな流れとしては、アメリカはより「アメリカ最優先」的になり、日本に負担を求める方向になるだろう。ドナルド・トランプの主張は極端だけれども、リスクマネジメントのためには、米軍撤退、日本核武装という想定も必要だと思う。

40歳代から50歳代へ

最近はblogから離れていたけれど、久しぶりに書いてみようという気持ちになった。以前のように毎日書くということはないけれど、週に1回ぐらい更新できればよいかな、と思う。
しばらく前、「夏目漱石記念施設整備基金」(http://www.city.shinjuku.lg.jp/kanko/bunka02_0010501.html)に寄付をした。忘れかけた頃に、領収書とパンフレットが送られてきた。
漱石が亡くなった家(漱石山房)の跡地に新宿区が記念館(仮称「漱石山房」記念館)を建設する計画があり、寄付金を募っている。ウェブサイトに「漱石生誕150周年にあたる平成29年(2017)9月の開館をめざし」と書いてあるが、本来は漱石没後100周年の今年の開館をめざしていたが、寄付金の集まりが悪いなどの理由で遅延したのではないだろうか。
漱石は1867年に生まれ、1916年に亡くなっている。私は漱石が生まれたちょうど100年後の1967年に生まれた。折にふれて100年前の今頃漱石は何をしていたのだろうかと考えることがある。
自分と同じ年頃の漱石は、ロンドンに留学して暗い気持ちで部屋に閉じこもって本を読みふけっていたんだな、とか、「猫」を書いて小説家としてデビューしたんだ、とか、そろそろ「それから」を書く頃だ、とか。そして、今は「明暗」執筆していて、死期が迫ってきている。
漱石の書いたものを読んでいると、彼が時代をはるかに先取りをしいて、まるで現代人ようだと感じる。そして、自分は100年遅れでようやく漱石の感覚に追いついている、だから彼に共感することができる。
「明暗」の津田とお延の関係を見ていると、現代のどこにでもいるような夫婦のすれ違い方をしていて、とても100年前に書かれた小説とは思えない。逆に言えば、100年前の当時、どれだけの人がこの小説を理解できたのか疑問に思う。
幕末から明治の「偉人」たちの話を読むと、現代と比べるとはるかに早熟な人が多いと感じる。しかし、漱石は才能はあるけれど、モラトリアム期間が長く、それも現代的である。小説家として活動したのはほぼ40歳代の10年間に限られている。人生に迷っていた時期に溜めたものを一気に吐き出して49歳で亡くなった。
49歳になった今、自分の40歳代を振り返ってみると、心身ともに調子が悪く、辛く、思うようにならないことが多い10年間だった。
夏休みの海外旅行に備えてパスポートをチェックすると、有効期限が来年になっていた。つまり、このパスポートを取得したのは9年前ということだ。手続きのためにパスポートセンターに行った時のことはよく覚えている。調子がどん底で、家から歩いて15分ほどのパスポートセンターにたどり着くのでやっとの思いだった。パスポートの証明写真もまるで生気のない表情をしている。
それから立ち直るまでにはずいぶん時間がかかったけれど、今は40歳代でいちばん調子がいい。50歳代を元気に過ごすため、身体を鍛え、安定した生活習慣を作り、語学を学んでいる。
漱石は40歳代の10年間に花開き、それまでの人生の蓄積を社会に還元して、そして、亡くなった。
私の40歳代は受け取るばかりで与えることができなかったけれど、50歳代には少しは社会に還元できるようになると期待している。漱石ほど多くを還元することはできないとしても。

吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)

それから (岩波文庫)

それから (岩波文庫)

明暗 (岩波文庫)

明暗 (岩波文庫)

Immanuel Wallerstein「近代世界システムI 農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立」の要約

Immanuel Wallerstein「近代世界システムI」を読み始めた。それなりに、事前の準備の読書はしたつもりだったけれど、Europeの歴史に関する予備知識が不足してうまく理解できないところも多い。今は、ざっくり大筋を押さえて、細部の歴史について理解できるようになってから再読しようと思う。
第7章が総括になっているので、序章を読んだ後、第7章に目を通し、そのあと第1章に戻って読み進めると理解しやすいかもしれない。
簡単に要約をしておこうと思う。
第1章 近代への序曲

  • 1450年頃以降のEuropeにおいて、資本主義的な「世界経済」(「世界帝国」と異なり政治的統一はなされていないが、一体的な経済システム)の生まれる素地が成立した。それは「世界」的な規模での分業体制と、いくつかの官僚制国家である。
  • 15世紀における中国は、大規模な国家官僚制、貨幣経済、技術もあり、資本主義の素地がそろっているように見える。しかし、統一的な「帝国」を持たないEuropeが「世界経済」を成立させたのに対し、中国の「世界帝国」としての政治構造を維持するための負担が対外進出や資本主義の成立を妨げた。

第2章 新たなヨーロッパ分業体制の確立

  • 16世紀のEuropeの特徴は以下の四点にまとめられる。
  • 新世界に進出し、Europeに大量の金銀が流入した。
  • 金銀の流入の結果、Europeでは本来の資力を超えた投資が可能になった。
  • Europeの中核地域では「ヨーマン=農業企業家」が勃興し、周辺地域では「換金作物栽培のための強制労働制」が成立した。
  • Europeを中心とする「世界システム」の支配関係は複雑で容易に識別できない。例えば、Spainの帝国主義がNorthern Italyを飲み込んだのか、Northern Italy都市国家の商人、銀行家がSpainを利用したのか、判然としない。

第3章 絶対王政と国家機構の強化

  • 「近代世界システム」においては、世界的な規模での分業体制を基礎として「世界経済」が成立した。
  • 「世界経済」を構成する各地域、中核、半周辺、周辺は、それぞれ固有の経済的役割を持ち、異なった階級構造、独自の労働管理の方式、国家の構造に差が生じた。中核地域の国家において中央集権化が最も進んだ。

第4章 セビーリャからアムステルダム

  • 「16世紀第2期」に、Nederlandは「バルト海貿易」の中心となり、East Europeからの穀物輸入を支配し、木材貿易の中心市場となることで造船のための原材料を安価に入手し、技術革新を進めることができた。この結果、Nederlandは、Europe「世界経済」の商品市場、海運、資本市場という三重の意味での中心となった。また、政治的対立にもかかわらず、Spainとの経済関係を維持することで新世界の銀を得ることができた。
  • 16世紀以前の先進地域であったNorthern Italyは、人口の増加と穀物輸入がNetherlandに支配されたことによる農産物価格の騰貴、輸入原材料価格を低く抑える政治的・経済的能力が劣っていた結果、中核地域の市場での価格競争力を失い、半周辺地域へ転落した。このことが、統一国家形成の遅れにもつながった。

第5章 強力な中核国家

  • EnglandとFranceの王権の役割の相違が、「ヨーロッパ世界経済」での地位に対する決定的要因となった。
  • Englandでは、Bourgeoisの利害が中央政府と結びついていた。絶対王政の成立により中央政府は地方に優越した結果、Bourgeoisが主導権を握った。Bourgeoisが市民権を得て、貴族はBourgeoisに同化する必要があった。両国とも地主階級が復活したが、Englandの地主階級は非貴族のgentryが中心だった。
  • Franceでは、Bourgeoisの利害が辺境地域と結びついており、絶対王政の成立、中央政府の優越の結果、Bourgeoisが挫折することになった。FranceのBourgeoisと国家の利害が一致するようになったのは1789年のFrench Revolution以降であり、すでに発展していた「世界経済」での覇権を握るのは困難だった。

第6章 「ヨーロッパ世界経済」

  • 「世界経済」の周辺地域では労働の報酬が低い商品、重要な日常消費財を生産し、分業体制の重要な一環をなしている。
  • 一方、「世界経済」の範囲外とは、主として「豊かな貿易」と呼ばれる奢侈品の交易を行われる。
  • 「16世紀」において、East Europeは「ヨーロッパ世界経済」の周辺地域であり、Rusiaは独自の「世界帝国」を目指した「ヨーロッパ世界経済」の外部だった。
  • 新世界では植民地が作られEuropianの監督下低廉な労働力を使役し精算が行われるようになり、「ヨーロッパ世界経済」の辺境地域として分業体制の一環をなし、現地の社会構造が変化した。
  • 一方、Asiaは、Europeから遠く、その中枢部を征服することができず、商館を中心としたnetworkによる奢侈品交易に限定されており、「ヨーロッパ世界経済」の外部にとどまった。
  • 新世界やEast Europeではわずかな力で巨額な余剰を収奪するシステムができたが、Asiaでは各地の支配者たちが大きな分前を要求したためわずかな余剰を獲得するためにも大きな力を必要とした。

第7章 理論的総括

  • 「社会システム」とは自立的(内部での生活が自給的で、主として内発的に発展する)な単位だとすると、部族、共同体、国民国家はこの条件に合致しない。「社会システム」といえるのは小規模で自給的な経済と「世界システム」である。
  • 「世界システム」には、領域全体に単一の「政治システム」が作用している「世界帝国」と、単一の「政治システム」が欠けている「世界経済」の二種類しか存在してこなかった。
  • 過去の「世界経済」は不安定で「世界帝国」に転化するか、解体してしまうかのいずれかだった。ひとつの「世界経済」が500年存続したことが「近代世界システム」の特性である。
  • 「世界経済」は分業体制を含むsystemであり、中核、半周辺、周辺に区分される。中核部では国家機構が比較的強く、周辺では比較的弱い。より高度な技術と資本を要する職種は高位に位置づけられた地域が占め、不均等性が拡大される。
  • 中央の政治機構がないため、不均等な配分が是正されない。国際的には不均質だか、国内的には均質というのが「世界経済」の特質である。

「わたし」を見失わないために:ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」を読んで

ヴィクトール・E・フランクル夜と霧」を読んだ。
心理学者である著者は、第二次世界大戦中、ナチスによる強制収容所に収容された。この本は、その経験を心理学の立場から記録しようとしたものである。
強制収容所での生活は、苦痛と飢餓と暴力と死に満ちている。そしてなによりも、自分の将来を自分でコントロールする力を完全に奪われてしまう。そのような状況が続くことで、被収容者には、自分の心を守るために「感情の消滅や鈍麻、内面の冷淡さと無関心」という心理的反応が生じるという。
「収容所で被収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルにまで突き落とし、被収容者を意志などもたない、運命や監視兵の気まぐれの餌食とし、ついにはみずから運命をその手つかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る」という。そして、「自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。」
以下、破綻してしまった人たちに関するフランクルの叙述を引用しよう。

 ふつう、それはこのように始まった。ある日、居住棟で、被収容者が横たわったまま動こうとしなくなる。着替えることも、洗面に行くことも、点呼場に出ることもしない。どう働きかけても効果はない。彼はもうなにも恐れない。頼んでも、脅しても、叩いても、すべては徒労だ。ただもう横たわったきり、ぴくりとも動かない。この「発症」を引き起こしたのがなんらかの病気である場合は、彼は診療棟につれて行かれることや処置されることを拒否する。彼は自分を放棄したのだ。

たしかに強制収容所の環境、そこでの経験は極端なものである。しかし、本質的なことは日常生活にも起こりうるように見える。自分のうつ病での経験を振り返ってみると、「自分の未来をもはや信じることができな」い状態になり、まさに、「感情の消滅や鈍麻、内面の冷淡さと無関心」という心理的反応が生じていた。ある種自分を放棄した状態に陥り、世界は苦痛に満ちているように感じられていた。強制収容所の環境に耐えた人たちと比べれば私は弱すぎるけれど、うつ病になった瞬間は、私の主観では、この日常が強制収容所のように苦痛に満ちた世界に見えていた。
しかし、そのような強制収容所のなかでも「感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつ見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあったのだ。」
その分かれ目は「人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に弄ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の力の前にひざまずいて堕落に甘んずるか、あるいは拒否するか、という決断だ。」
フランクルは、強制収容所という環境のなかでそのような決断を維持し続けるためには、次にように考えていたという。

 具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識まで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
 強制収容所にいたわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。わたしたちにとってこのように考えることは、たったひとつ残された頼みの綱だった。それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。

一見、哲学的で「高尚」な考えのようにも思えるけれど、強制収容所のなかでは「けっして現実離れした思弁ではなかった」という。
おそらく、このような考えは、強制収容所のなかだけではなく、日常生活においても「けっして現実離れした思弁ではな」い。ブッダはこの世界の本質を「一切皆苦」と言っている。本質的には、この強制収容所の中と日常生活は同じだと指摘しているのだと思う。そして、「一切皆苦」である世界のなかで生きるためにも、このような思弁は「たったひとつ残された頼みの綱」なのだろう。
この本の末尾の近くで、フランクルは「収容所監視者の心理」についても触れている。
「収容所の監視兵のなかには、厳密に臨床的な意味で強度のサディストがいた…収容所の監視者の多くが、収容所内で繰り広げられるありとあらゆる嗜虐行為を長年、見慣れてしまったために…すっかり鈍感になってた…進んでサディズムに加担はしなかった。しかし、それがすべてだ。彼らはほかの連中のサディズムになんら口をはさまなかった」という。
その一方で「収容所の監視者のなかにも役割から逸脱するものはいた」という。「収容所監視者だということ、あるいは逆に被収容者だということだけでは、ひとりの人間についてなにも語ったことにはならないということだ。人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。」
もし、私自身が強制収容所に入れらたら「人間らしく」いられるのだろうかと考える。そして、また、収容所監視者になったとしたら、やはり「人間らしく」いられるのだろうかと考える。
うつ病の経験を語る時、あたかも自分が被害者であると主張しているように見えるかもしれない。しかし、告白すると、かつて私がプロジェクトリーダーとして働いていたときうつ病になってしまったメンバーがおり、今思い返せば彼に対して「人間らしく」接することをしていなかったことを告白しなければならない。「進んでサディズムに加担はしなかった。しかし、それがすべてだ」ったと思う。
程度の差はあるけれど、日常生活のさまざまなところに強制収容所はあり、あるときは収容者になり、あるときは監視者になっているのだと思う。強制収容所のなかで「人間らしか」った人たちは、極端な環境のなかで急に「人間らしく」なったわけではないだろう。おそらくは、日常生活のなかから、めだたない形で「人間らしく」に生きて、それが強制収容所の中で宝石のように輝きだしたのだろう。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

気持ちのいい音:細野晴臣「分福茶釜」を読む

図書館から借りてきた細野晴臣分福茶釜」を読んだ。
細野さんの音楽はもちろん大好きだけど、彼の言葉もなかなか味わい深い。まずは、気になった箇所をいくつか引用したい。

 これは誇りでもなんでもなくって、むしろ劣等感なんだけど―自己表現がヒネくれてるわけだ。たとえば今の社会は、音楽がストレートでしょ?真摯なメッセージを聴いて泣く人がいるわけじゃない。そういうのを見ると、あ、自分は仲間はずれなんだなって思う。あの仲間には入れない。(p50)

 音楽におけるコンセプトなんていうものは、これはもう後付けだから。単なる言い訳。屁理屈。とにかく音楽の神髄はその場で楽しいことだよ。リラックスしてやる、と。そういうときに「考え」ってのは不要なんだ。だから楽しいわけだ。考えちゃうとダメで、だからぼくは音楽を「恋愛」に喩えるわけだ。
 高田純次が言っているんだけど、女性の胸を夢中で触っているとき、「アレ?自分は今何をやってるんだろう」ってふと考えちゃうと、とたんにシラけた気持ちになるって(笑)。(p45)

細野さんの音楽をずっと聴いていると、「ああ、気持ちいいなぁ」と感じる。彼が気持ちのいい音を追い求めていることがよくわかる。
もちろん、「真摯なメッセージ」を載せた音楽があってもいいし、それを聴いて泣く人がいてもいい。でも、細野さんの「あ、自分は仲間はずれなんだな」という気持ちもよくわかる。最近は、混じりけなしのただ「気持ちのいい音」を聴いていたいことが多い。
これは自分のただの趣味だけれども、rock musicでは、くだらない歌詞にかっこいい音という組み合わせこそが最高にかっこいい。「真摯なメッセージ」を載せた瞬間に、もう、かっこよくないよな、と思う。

 今はね、そんなに自己表現したいっていう欲求はなくて、むしろミディアム、つまり媒介だっていう意識の方が強い。もちろん、昔は違ってたよ。「自分はスゴイ」「いや最低だ」って、いつも大揺れに揺れていた。でも思い知らされたんだね。過去の音楽を知れば知るほど。圧倒されちゃって。もはや謙虚にならざるを得ない。あらゆることに必ず誰かの印が先についてるから。自分にできることは、そこにちょっと自分の印をつけ加えるくらいのことだ。(p172)

 一般的には、年をとればとるほど頭も心も堅くなっていくように思われてたりするかもしれないけど、本当は逆なんだ。年齢と戦っているとそうなるかもしれない。年をとるってことはいいことなんだよ、本来は。ものの見方が広がっていくんだから。…なかには頑固な人や偏狭な人もいるけど、そういう人は年のとり方を間違えたってことで、本来は自然に年をとれば知恵もつく。(p56)

私も年をとるほど頭も心も柔らかくなるという感覚はある。
若い頃は経験も知恵も乏しいから、どうしても既成の理屈に頼ってしまう。そうすると自由がない。
いろいろなことを経験して、感覚の蓄積の厚みが増してくると、既成の理屈、世間の見方からどんどん自由になってくる。自分自身の感覚で判断ができるようになってくる。これはかなり楽しいことだ。
既成の理屈に頼っている頃は、自己表現したい欲求だけがあり、いくらあがいていても、世間の見方にしばられたものしかoutputできなかった。あえて人と違ったことをしようと思っても「痛い」表現になってしまう。
しかし、自分自身の感覚の蓄積ができると、人と違ったことをしようと思っても、たいていのことは先人がすでにやっているということに気がつく。一方で、わざわざ自己表現したいと思わなくても、自分自身の感覚の蓄積に基づいてしたことは、自然と自分らしくなってしまう。
自己表現しよう、「真摯なメッセージ」を伝えよう、とか思わず、ただ自分にとって「気持ちのいい音」を追求することで、結局、知らず知らずのうちに自分らしさにたどり着いてしまうのだろう。

細野晴臣 分福茶釜 (平凡社ライブラリー)

細野晴臣 分福茶釜 (平凡社ライブラリー)

DataからSoccer日本代表について考えてみる:「サッカーデータ革命 ロングボールは時代遅れか」を読む

クリス・アンダーセン(Chris Anderson)、デビット・サリー(David Sally)「サッカーデータ革命 ロングボールは時代遅れか」("The Number Game Why Everything You Know About Football Is Wrong")を読んだ。
SportsへのData Analysisの適用を扱った本としては"Money Ball"が著名だが、これに比べると新鮮味に欠き、叙述が冗長だと思う。しかし、Soccerに関するData Analysisの成果を紹介してくれており、興味深い点もある。
かんたんにこの本で紹介されている分析結果をまとめてみよう。

  • Soccerの勝敗にteamの実力が与える影響は50%程度であり、残りの50%は偶然性。Baseball、Basketballなどと比較すると番狂わせが起こりやすいSportsである。
  • 得点の増加、失点の減少のいずれも勝ち点の増加に影響を与える。ただし、得点1点の増加に比べ、失点1点の減少は、勝ち点の増加に与える影響は1.5倍である。
  • Possessionの多いteamほど勝率が高い。ただし、Possessionが低くとも勝率を高める「弱者の戦略」もありうる(Premier leagueのStoke Cityが代表例)。
  • teamのなかの最も優れた選手の水準を高めるより、最も劣った選手の底上げをした方が効果が大きい。
  • 監督のteamへの影響力は15%程度である。拮抗したprofessional leagueにおいては最終的なteamの成績に大きな影響を与えうる。

さて、この分析結果を踏まえ、FIFA World Cupでの日本代表の結果について考えてみよう。
2010年South Africa大会のgroup leagueの成績は2勝1敗(対Cameroon 1-0、対Netherlands 0-1、対Denmark 3-1)であり、今回の2014年Brazil大会では1敗2分(Cote d'Ivoir 1対2、Greek 0対0、Colombia 1対4)だった。
明らかに実力差があったNetherlandsとColombiaに負けるのはしかたないとして、その他の試合については実力が拮抗していたから結果はかなりの程度偶然性によると思われる。確かにBrazil大会の結果は満足できるものではないけれど、South Africa大会の日本代表の方が優れていたとは簡単に結論づけられない。おそらく今後とも日本がWorld Cup本選に出場した時は、傑出したteamになることは難しいから、偶然性に支配され、ある大会では幸運にもgroup leagueを突破し、また別の大会ではgroup leagueで敗退するということを繰り返すのではないだろうか。そして、偶然に支配された結果だけを分析してもなかなか有効な対策は見いだせないかもしれない。
今回の大会での日本代表は、center backとgoal keeperが弱点だったと思う。他のpositionではEuropeのbig leagueで活躍している日本人選手がいるが、この二つのpositionでは苦戦している。失点を減らすこと、最も劣った選手の底上げの重要性を考えれば、本田や香川に着目するよりは、center backとgoal keeperの強化の方が効果的だろう。
とはいえ、club teamであれば補強は容易だが、国の代表であるとその国に優れた選手がいない場合には短期的な底上げは難しい。中期的にはこれらのpositionの選手の育成に力を入れるべきだが、短期的には力が劣る選手を戦略、戦術で補う必要がある。
Zaccheroniがpossessionを重視した戦術を採用したことは理解できる。center backとgoal keeperを補うために、team全体でpossessionを高めて相手teamのchanceを減らそうとしたのではないだろうか。また、data analysisの結果も、possessionを高めることで勝率を高めることを示している。
日本より実力の劣るteamと対戦するとき、特に、Asiaでの予選を戦う時は、possessionを高める戦術は有効だったと思える。しかし、日本より実力で優るteamと対戦するときは、思うようにpossessionを高めることができず、破綻することも多かった。Zaccheroniが率いた日本代表は、格下のteamには確実に勝ち、格上のteamには点を取り合って負けてしまうという印象があった。
Confederation Cupが典型的な事例だと思う。実力に優るteam相手では、possessionを高めることで守備の弱さを補うことができず、得点を取りつつも大量失点をしてしまう。しかも、今回のWorld Cupでは、Spain対Netherlands戦に象徴されるようにpossessionが高いteamに対する「弱者の戦略」がより洗練されたように思える。
日本代表の選手たちは「自分たちの戦い方」に固執していたように見えるが、Asia予選とWorld Cup本戦では違う戦略、戦術で戦う必要があったのかもしれない。その意味では、World Cup本戦で戦略、positionを入れ替えたSouth Africa大会での岡田監督の選択は現実的だったと思う。
"Money Ball"は、予算の制約が厳しいOakland Athleticsがdataを活用して「弱者の戦略」を導き出す物語だった。「サッカーデータ革命 ロングボールは時代遅れか」の最終章で「弱小チームからデータ革命が起きる」と予測している。
日本代表にもdata analysisを徹底的に活用して独創的な「弱者の戦略」を提示して欲しいと思う。

サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか

サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか