記者会見

小泉首相の訪朝について致被害者家族会が記者会見で批判したことに対し、批判の声があがっているという。おそらく、誰もが、イラクで誘拐された最初の3人の家族のことを連想したと思う。
拉致被害家族会が記者会見で語った内容の是非については、よくわからない。
あれほどきびしく小泉首相を非難する理由がよくわからない、というのが正直な感想だった。確かに、拉致被害家族会から見れば訪朝の成果は期待はずれであったろうし、小泉首相もこの問題を自分の政治に利用しているのも確かだろう。しかし、結局のところ、北朝鮮こそが問題の中心なのではないか。北朝鮮を批判するならば理解しやすいが、あれほどまで小泉首相をきびしく批判するところを見ると、拉致被害家族会は自分が知らないなにかを知っており、憤慨しているのだろうかと邪推したくなる。
しかし、拉致被害家族会の人たちは、少々、マスメディアに対して、無防備すぎたのではないかと思う。
記者会見は、広報の場である。拉致被害者家族会は、自分の家族を取り戻すために活動している。だから、記者会見では、その目的を達成するために、もう少し戦略的にやるべきではないかと思う。自分たちの気持ちを率直に吐露することで成功することもあるだろうけれど、今回の記者会見はそれがうまく行っていなかったように見える。
小泉首相や外務省に不満はいろいろあるとしても、交渉という観点から見れば、日本国内が分裂しているという印象を与えるのは得策ではないだろう。拉致被害者家族会は、記者会見で、拉致の問題を交渉の道具としている北朝鮮を非難すれば、こうはなっていなかったのではないだろうか。拉致被害家族会への同情も高まり、北朝鮮や日本政府への圧力も強くなったのではないだろうか。
イラクで誘拐された三人のことも、いろいろな角度から考えることができるけれど、広報という観点から見れば、家族と支援者たちの記者会見は問題があったということになるのだろう。いや、支援者たちの目的は、自衛隊の撤退を訴えることだとしたら、それは成功したということになるのかもしれない。しかし、拉致された三人を守る、という意味では、明らかに失敗だろう。
マスコミへの露出、記者会見は、ほんとうに危険なものだと思う。そこへ、ふつうであればそのような場に出るはずもない人たちが、十分な準備なしに出て行くということはなるべく避けた方がよいのではないか。拉致被害家族会は決して素人とはいえないけれども、それでも失敗してしまう。
久しぶりに、高木徹『戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』(amazon:4062108607)を読み返し、こんな事を考えた。