総理大臣の仕事

浜岡原子力発電所への運転停止要請について次のようなツィートがあった。


菅首相は本当に適切に「風穴」を開けたのだろうか。昨日のウェブログでも書いたが(id:yagian:20110507:1304720222)、菅首相の決定の内容より、その方法について大いに疑問を持っている。
自民党政権の時には、密室での根回しで意思決定がなされ、情報公開が不十分だったという印象を持っている(小泉政権のときは、経済財政諮問会議という場で議論することで、情報公開が進んだように思う)。一方、民主党政権になってからは、密室での根回しが減ったけれど、必要な根回しが行われず、情報公開は依然として不十分なように見える。
今回の福島第一原子力発電所の事故で、原子力発電所には大きなリスクがあることが改めて明らかになった。安全性を重視するならば、すべての原子炉を運転停止し、廃炉にすればよい(福島第一原子力発電所の第四号機の状況を見ると、安全確保のためには運転停止だけでは不十分で、廃炉しなければならない)。しかし、短期、中期においては、原子力発電所をすべて停止することは大幅な電力不足を招く。現実的には、原子力発電所のなかで、特にリスクが高い発電所を選び、運転停止、廃炉にすることが適切だろう。
どこまでの原子力発電所を運転停止、廃炉するのか、そのリスクとコストのバランスの判断は客観的、科学的な情報だけではできず、政治的な判断が必要である。その意味では、菅首相浜岡原子力発電所の運転停止という判断をしたことは理解できるし、首相として必要な仕事である。
実際、素人考えで浜岡原子力発電所地震の危険性が高く、事故のリスクも高いような印象がある。しかし、菅首相がどのような根拠に基づき、どのようなプロセスで浜岡原子力発電所だけを選び、そして、廃炉ではなく、津波対策ができるまでの運転停止という選択をしたのかが情報公開されていないため、菅首相の判断が正しいのか私の立場からは判断しようがない。
今回の福島第一原子力発電所の事故の原因は津波だった(これも、津波だけが原因なのか、地震による揺れも原因だったのか、初動の対応に問題がなかったのか明らかではないが)から、津波というリスクを中心に考慮して浜岡原子力発電所を運転停止の対象として選んだように見える。しかし、浜岡原子力発電所が本当に最もリスクが高い原子力発電所なのかよくわからない。もんじゅも運転停止、廃炉すべき(それができないところが最大のリスクかもしれないが)かもしれないし、MOX燃料の使用が問題かもしれないし、また、古い設計思想で作られた旧式の原子炉が危険なのかもしれない。このあたりが明確でないところが、場当たり的な対策をしているような印象を与えるのだと思う。
原子力安全委員会原子力安全・保安院原子力発電所の事故防止のために機能していなかったのは事実だが、それでは菅首相はどのような情報に基づいて判断したのだろうか。原子力発電所の是非を広く議論するためには、その情報を公開することがきわめて重要である。情報公開できないのは、薄弱な根拠、印象論で決断しているのではないかと邪推してしまう。
また、菅首相は、組織の運営という観点が不十分のように見える。以前、野党時代に諫早湾干拓事業の現場の建設事務所の所長に、事業の中止を迫る様子が報道されていた。現場の建設事務所の所長に事業中止の権限がないことは明らかだから、いやな政治的パフォーマンスをする人だという印象を持った。しかし、今回の行動を見ていると、もしかしたら、組織のマネジメント、運営の原理ということを基本的に理解していないのではないかという気がしてくる。
政府という組織の長としての仕事という意味では、短期的には機能していなかった原子力安全委員会原子力安全・保安院をとにもかくにも機能させるようにすること、中長期的にはその体制の抜本的な改革ということになるだろう。首相としては、浜岡原子力発電所の運転停止という個別の問題よりは、これまでは原子力発電所の運転継続を前提としていた原子力安全委員会原子力安全・保安院に対して、運転停止、廃炉も現実的な選択肢に含めて検討することを公開の場で指示すべきではないか。また、原子力安全委員会の委員については、必要なメンバーの交代、補充する。
そして、その前提で原子力安全委員会原子力安全・保安院によって検討された情報に基づき、菅首相が最終的な政治的判断を下せばよい。現実問題として、原子力発電所について最も情報を持っているのは原子力安全委員会原子力安全・保安院なのだから、ここでの情報を活用すべきことは明らかである。これから個々の原子力発電所の運転、廃炉の是非について菅首相が自ら入手した情報(外部からはどこから入手した情報かわからない)に基づき個別に判断を下すつもりなのだろうか。
また、中部電力への浜岡原子力発電所運転停止の「要請」の方法にも疑問がある。本当に浜岡原子力発電所の運転停止が重要なのであれば、これこそ中部電力が確実に運転停止する、できるように政治的な根回しをすべきだろう。
中部電力側から見れば「首相からの要請」という形はきわめて対応が難しいと思われる。浜岡原子力発電所を運転停止すれば、経営に大きな影響がある。コーポレートガバナンスという観点からは、法的根拠がない「要請」に対して経営に大きな悪影響がある判断を下さなければならず、株主から訴訟される可能性もあるだろう。中部電力が確実に運転停止できるようにするためには、政府は、法的根拠に基づく「命令、指示」という形式を整えるべきだろう。そのために、早急に国会で審議すればよい。
また、菅首相が運転停止要請を記者会見で発表する前に、中部電力とどれだけ交渉があったのだろうか。少なくとも、事前に火力発電所の燃料確保の可能性の調査をする程度の余裕を与えるべきだったのではないか。逆に言えば、政府側が中部電力が経営面はともかく、技術的に運転停止と電力の安定供給をどの程度両立しうるか、その可能性について十分な情報なしに運転停止要請をしたことになる。政治的なプロセスとしては拙劣だと思う。冒頭にも書いたけれども、政治である以上、必要な水面下の交渉はすべきであり、必要な情報公開はすべきである。
尖閣諸島をめぐる中国漁船の拿捕の問題でも、中国と水面下で適切な交渉を行うパイプがあったのか疑問を感じた。交渉が合意に至らないにしても情報交換をするパイプがあれば、日本、中国ともあれほどのトラブルに拡大せずに収束させることができたように思う。
政府という大組織を運営するためには、それぞれの部署のミッションと権限、指揮命令系統を明確にして、きちんと機能しているのか監視する必要がある。また、その一方で、必要な水面下での政治的な交渉、調整も必要になる。クライアントである国民、その他の重要なステイクホルダーである海外の諸国、国際機関などには情報公開、説明責任を果たす必要がある。
菅内閣では、さまざまな会議体の設立、さまざまな対策が全体の体系、スケジュールが不明確なまま場当たり的に行われているように見える(もちろん、私自身は、マスメディアで情報を得るだけだから、内実はわからないので印象論にとどまるけれど)。やはり菅首相には、大組織の長としての資質に問題があると思う。
また、メディアには、ボブ・ウッドワードホワイトハウス内部の意思決定プロセスを明らかにしたノンフィクションのような仕事をぜひしてほしいと思う。日本のメディアには無理かもしれないけれど。
ブッシュの戦争

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