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宮本常一「忘れられた日本人」(岩波文庫)(ISBN:400331641X)
寒くて過酷な土地で生活をしている東北の人は、寡黙で陰気だという固定概念がある。自分も、ばくぜんとそんなイメージを持っていた。
以前、仕事で下北半島の突端にある漁師町に通ったことがある。冬は、風が強く、地吹雪で粉雪が舞い上がり、芯から冷えた。しかし、その町の漁師たちは、とにかく陽気で、よくしゃべる。
鉄道もない地の果ての様な町に不似合いなほどの数の飲み屋がある。海が荒れると、漁に出られない漁師たちにつれられて、昼間から一緒に飲むことになる。ふだんから、彼らの下北の言葉は半分ぐらいしか聞き取れないが、酒が入るとますます早口になって、さっぱり理解できないようになる。それでも、漁師たちは、豪快に笑いながら、切れ目なく大声で話し続ける。こちらは、わからないながらも、一緒に笑いながら相づちを打っている。気がつくと、カラオケで、一度も聴いたことがない演歌を、酔っぱらった漁師と肩を組み、メロディを適当に想像しながら歌っている。
そうして、東北の人に関する固定概念は、いい加減なものだったことがわかった。
「忘れられた日本人」は、民俗学者宮本常一が、調査の旅の中で出会った古老たちのライフヒストリーをまとめたものである。1958年に創刊された「民話」という雑誌に、「年よりたち」と題されて連載され、1960年に一冊の本としてまとめられて出版された。
この本の「世間師(一)」と題されている章の冒頭で、宮本常一は次のように書いている。

 日本の村々を歩いて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師だといっている。旧藩時代の後期にはもうそういう傾向が強く出ていたようであるが、明治に入ってはさらにはなはだしくなったのではなかろうか。村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年よりたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている。

私も、昔の農村の生活は、村と家に縛られて、百年一日のように農作業と年中行事を繰り返しいるという印象を持っていた。しかし、「忘れられた日本人」のなかで語られている人たちは、いとも簡単に村や家から飛び出し、型にはまらない人生を送っている。彼らひとり一人の人生を読むと、驚きの連続で、自分が農村に抱いていた固定概念を打ち砕かれる。
この本のなかでもっとも有名な章である「土佐源氏」では、高知県の山村の橋の下で盲目の乞食として暮らしている老人が、若い頃、博労(牛の仲買人)をしながら村から村へ歩きながら、農家の後家たちと寝ていたという「助平話」を語る。

・・・それに村の中へはいれば村には村のおきてがあって、それにしたがわねばならん。村のおきてはきびしいもんで、目に余ることをすれば八分(村八分)になる。
 しかしのう、わしのように村へはいらんものは村のつきあいはしなくてもええ。そのかわり、世間もまともな者には見てくれん。またまともなこともしておならんで……。それでけっく(結局)だれにもめいわくをかけん後家相手にあそぶようになるのよ。・・・
・・・
・・・わしは何一つろくな事はしなかった。男ちう男はわしを信用していなかったがのう。どういうもんか女だけはわしのいいなりになった。
 わしのもようわからん。男がみな女を粗末にするんじゃろうのう。それでも少しやさしうすると、女はついて来る気になるんじゃろう。
 そういえば、わしは女の気に入らんような事はしなかった。女のいう通りに、女の喜ぶようにしてやったのう。

「忘れられた日本人」に取りあげられているのは、このようなアウトローの話だけではない。村の人々から尊敬されている篤農家の話もある。山口県周防大島から対馬に移住した漁師、大工となって腕一本で熊本、東京、台湾、韓国と放浪した男、隠居した後に易者ととも放浪する男の話もある。男の話だけではなく、嫁入り前に家出する女たちの話もある。
宮本常一は、そのすべての人たちの人生を、相手の立場にたって語る。
土佐源氏」の博労の話を通じて、博労や女たちを疎外する村の社会の封建制を批判的に語るようなことはない。ただ、その博労の人生を、博労の立場にたってありのままに語るだけである。篤農家のことは、敬意を持って語っている。しかし、篤農家の立場から、村の社会からはずれて放浪の人生を送るアウトローたちを批判することはない。もちろん、安易な現代社会批判などはしない。
かつての農村には、現在とは違った文化や社会規範があった。しかし、宮本常一の筆を通じて、その中で生きている人たちは、現在の私と同じように、与えられた環境のなかで、ある時は自由に、ある時は楽しみ、また、ある時は苦しんで生きていることがわかる。だから、いまの自分とは異なった環境に生きている人たちの話であっても、共感することができる。
初対面の乞食から信頼されて、これだけの話を聞き出すことは並大抵ではない。そして、乞食と同じように、篤農家から信頼されることも並大抵ではない。これだけの人々に信頼される人格を持った宮本常一という人が、民俗学者としての使命感と、これだけの筆力を兼ね備えていたことは、じつに幸運なことだと思う。
この「忘れられた日本人」には、読み手の経験に応じて、さまざまに解釈できる豊富な素材が詰まっている。しばらく間をおいて読み返すたびに、私の知識、経験に応じて、新しい気付きがある。これからも、一生かけて、折に触れて読み返すだろう。そして、そのたびごとに、何か新しい発見を与えてくれるだろう。