機会は禿げ坊主である

いま、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」という番組を見ている。この番組は、毎週一つ、ごくふつうの街を取り上げて、その街の名所、名店、名物を紹介する。その名所、名店、名物は、あくまでもその街なりのもので、それほどたいしたものではない。どうということもない番組ではないけれど、結局、毎週、楽しんで見ている。
このウェブログのタイトルに「山の手」という言葉が入っているように、私は生まれ、育ち、そして、いまも暮らしつづけているこの山の手界隈には、ずいぶん思い入れがある。しかし、この界隈が、客観的に見て、特に素晴らしい土地と思っているわけでもない。このあたりで気に入っているところはたくさんあるけれど、それらも、「出没!アド街ック天国」にでてくる名所、名物のようなもので、あくまでも地元にとっての名所、名物である。
昨日の日記で書いたミュージカルバトン(id:yagian:20050616#p3)でも、土地の香りがする曲というテーマで選曲をした。この「土地の香り」も、なんということもない道を歩いているときに感じるような空気、雰囲気といったものである。自分では理由はよくわからないけれど、それぞれの土地の、どうということもないものに興味、関心がそそられるのである。
最近、泉麻人「バスで田舎へ行く」(ちくま文庫)(ISBN:4480420797)、「東京ディープな宿」(中公文庫)(ISBN:41220451510)を読んだ。泉麻人の「土地」に対する感覚が、自分の関心と似ていている上、泉麻人は、下落合で生まれ育ち、いまは成田東に住んでいるというから、「地元」もずいぶん重なっており、そうだよな、そうだよなと、膝を打ちながら読むことができた。
「バスで田舎へ行く」は、泉麻人が、なんでもない田舎のバスに乗る、という、ほんとうに題名そのままのエッセイである。このなかで、めずらしく有名な奈良県天川村を訪ねる話がでてくる。天川村には、細野晴臣松任谷由実も通っており、精神世界ファンが集うという天河弁財天がある。しかし、泉麻人は、その方向にはあまり関心をそそられない。

・・・なんとなく「雑誌『ムー』系の精神世界愛好者を刺激させる場所」といった感じは伝わるか、と思う。・・・来る人が来れば、この吉野の山奥の紀伊半島のヘソのようなポイントで、宇宙につながる独特の気のようなものを感じとったりするのかもしれないが、僕は残念ながらその種の感覚がまるでない。全く、来ないのである。・・・季節はずれの天河弁財天は、僕にとっては単なる山奥ののどかな神社、でしかなかった。
<アイロンパーマ>と記したアナクロな絵看板とか、<マッサージ>の木札を掲げた、寂れた店がぽつぽつとある門前の小路を歩く。僕は神社よりもむしろ、こういった田舎町の路地の風情の方が好きである。しかし、神秘的な弁財天の門前に「アイロンパーマ」(裏面はデザインパーマ)とは、超俗物な感じがおかしい。・・・

(裏面はデザインパーマ)というところがいい。無用なところの細部に目が向いてしまう感覚はよくわかる。自分も、天河弁財天に行っても、精神世界方面のことは、何も感じないのだろうなぁ。
「東京ディープな宿」は、東京の中にあるとは思えないような宿に、小旅行気分で泊まりに行くという内容のエッセイである。池袋西口にある中国人経営の外国人向けの小ホテルに泊まりに行く話のなかで、「下落合で生まれ育った僕にとって、池袋は家から一番近い都会、という存在だった」と書いてある。泉麻人は、子供だったころの池袋の印象をこんなふうに書いている。

 一方西口の方は、どことなく暗く寂しい印象があった。東武が出来る前は、傍らにうらぶれた東横デパートがあって、いまの東武デパートの一帯は闇市の名残りのバラック建てのマーケットが広がっていた。尤も、マーケット時代の記憶はハッキリとはないが、昭和37年まで残っていたというから、何度か通り抜けたことはあるに違いない。
 駅前のロータリーに出ると、ふだん馴染みのない、くすんだ緑色をした国際興業バスがイモ虫の群れのように数珠つなぎに停まっていて、方向幕に掲げられた「大山町」とか「中丸町」とかの、わけのわからない地名が不気味さにいっそう拍車をかけていた。そして、家の方に行くバスの乗り場のすぐ前に、ショーケースのなかで生きたマムシがとぐろを巻いている、奇妙なヘビ屋があったはずだ。

私にとっても、実家からいちばん近い都会は池袋だったし、いまでも池袋のごく近くに住んでいて、日常的な買い物に通っているので、この部分は身近に感じた。さすがに東横デパートや闇市のことは覚えていないけれど、池袋西口のうらぶれたような、すさんだような雰囲気は印象に残っている。特に、城北地区だけに走っている、あの、緑色を主体にした不思議なデザインの国際興業バスは、たしかに、イモ虫の群れのようにも見え、都会の中のあか抜けない田舎じみたものを象徴しているようだった。そんな雰囲気の池袋西口には、奇妙なヘビ屋があっても不思議はない。
高校生の頃、西口の雑居ビルに入っていた、中国人のおばちゃんが経営するあやしい雀荘に何度か行ったことがある。その当時でも、もう少し感じのいい雀荘があったのではないかと思うけれど、なんで、わざわざ西口に行っていたのか、その理由については記憶がない。とても人に胸をはって紹介できるような場所ではないけれど、自分なりには思い入れはなくはない。
「バスで田舎へ行く」のなかで、田舎のバスを待合小屋で街ながら、内田百けんを読む話がでてくる。久しぶりに百けんを読んでみたくなって、「第一阿房列車」(新潮文庫)(ID:4101356335)を読み返してみた。電車のなかで、おもわず吹き出してしまい、困ってしまう。内田百けんは、ドイツ語の先生をしていたけれど、ドイツ語で西洋人の女性と話す場面がある。ドイツ語直訳調の会話の部分が、抱腹絶倒ものである。

 一番年上らしい、品のある婦人が、日光の話をし出した。景色のいい事をぺちゃくちゃ饒舌りたてて、私の賛成をもとめた。
「私はまだ日光に行った事がない」
「思考し難き事である」
「いつか行ってみたいと思っている」と私はお世辞を云った。
「最も近き機会に、あなたは訪れなければならない」
 その婦人は、私に忠告を与えておいて、瞼を二三度ぱちぱちと瞬いて、それきり黙ってしまった。今度は、若い綺麗な婦人が云った。私達は昨日江ノ島に遊んだ。美しく可愛らしい景色である。あなたはそう思わぬか。
「私はまだ江ノ島へ言った事がない」
「おお」と若い婦人は大袈裟な顔をした。
「何故あなたは、そう云う美しい景色を訪ねないか。景色を見る事を好まぬか」
「景色を見る事は好むけれども、まだ機会が私に幸いしない」
「機会は禿げ坊主である。その一房しかない髪の毛を、お掴みなさい」と六ずかしい事を云い出した。
 幸いその文句を知っていたので、
「そうです、そうです。しかし手が辷って、私には中中掴めないから、走り去る」と胡麻化して、ほっとしかけたら、またさっきの婦人が、
「函根について貴君はどう思うか」と云い出した。
 フンチケル夫婦もその話しに這入って、函根をほめ出した。丁度私の知らない所ばかり見物して廻ったと見えて、その感想を地元の私に質すつもりらしかった。
「遺憾ながら、函根についても、私は知らない」
「おお」
 その婦人は苦い顔をした。
「旅行のきっかけが、私を恵まないのである」

読み返しながらおもしろかったので、ついつい長い引用になってしまった。読み手の読みやすさより、自分の引用したいという気持ちの方を優先。
百けん先生も、どうということもない細部に目がいってしまう質だから、日光や江ノ島などという観光地には言ったことがない。
それにしても、百けん先生はうまいなぁ。無目的な旅行のぽっかりとあいてしまった乗り換え時間に、プラットフォームで読むというのがいいな。