清国、柏戸

期待されていた兄には、神童伝説のようなものが伝わっている。
まだ言葉もよくしゃべれない幼児だったころ、神戸製鋼のカレンダーを見て、「おんも、おんも」と叫んだいう。「おんも」とは、お相撲のことだった。しかし、なぜ、神戸製鋼のカレンダーを見て、お相撲と言ったのだろうかと誰もが不思議に思った。そして、神戸製鋼の「戸」の字と、そのころ横綱だった柏戸の「戸」字が同じだからではないか、ということになった。言葉もよくしゃべれない兄が、漢字を読んでいた、というのだ。
実際、冷静に考えれば、「神戸製鋼」の「戸」と、「柏戸」の「戸」の字がおなじなどという話は、牽強付会もはなはだしいのだが、そういった話が家族のなかでまじめに語られてしまうような雰囲気があったのは確かだろう。
さて、それはともかく、山口瞳山口瞳「男性自身」傑作選中年篇」(新潮文庫 ISBN4101111332)に、その柏戸についてこんな話が書いてあった。

 銀座の小料理屋のお内儀さんが相撲を見に行った。
「お相撲、どうでした?」
 私は彼女にきいてみた。彼女は七十歳という齢恰好である。
「今日のソラマメは、ちょっと固うござんした」
 五月場所へ行くときは、ソラマメとヤキトリが楽しみなのである。冷凍のエダマメはあるが、冷凍のソラマメはない。私は、近頃は、相撲は先生の御席を頂戴するので、相撲場のソラマメを食べたことがない。先生の御席は砂っかぶりで、酒はおろか煙草も吸えない。お茶も飲めない。茶碗や灰皿があると相撲取りが落ちてきて怪我をするからである。
「そうじゃないんだ。相撲は、どうだった。清国は勝った?」
「清国はよごさんじたけれど、柏戸がねえ……柏戸がどうも……」
 それだけで涙ぐんでしまう。東京の年をとった女性は、柏戸が負けるとがっかりしてしまう。彼女は柏戸のことを、カシャードと発音する。

私自身は、柏戸の現役時代は記憶にない。清国はかろうじて覚えている。江戸時代風のいい男で、いかにも玄人筋の女性に人気がでそうな力士だった。柏戸も、そんな粋な力士だったのだろう。
これまでの日記で、貴乃花を同情しているという話を書いてきた。そのことには変わりはない。彼の悲劇性には心を惹かれる。しかし、力士として見た場合、あまり好みではない。
柏戸、清国、北の富士、二代目若乃花の若三杉といった、昔風で粋な感じで、ギスギスしていない鷹揚な雰囲気の美男力士というのは、今のスポーツ化した大相撲からは出てきそうにないが、ちょっと懐かしい。
最近の歌舞伎界は、毎年、海老蔵勘三郎、翫次郎と、大きな名跡の襲名披露で話題を作って、集客が好調である。大相撲も、なまじスポーツ化するよりは、伝統芸能としてやっていった方がよいのかもしれない。少なくとも、東京の年をとった女性の人気を保つためには。