明治維新と朝廷の終わり
佐々木克「幕末の天皇・明治の天皇」(講談社学術文庫 ISBN:4061597345)の以下の文章を読んでいて、明治維新の意外な意味に気がついた。
こうして慶応3(1867)年12月9日、王政復古の政変となった。摂政・関白、三大臣、議奏、武家伝奏など、朝廷の政治組織が廃絶となった。当然、征夷大将軍職も廃止され、幕府も廃止となった。古代から続いた朝廷の政治組織がなくなり、儀礼などを行う天皇の私的空間を支える組織だけが残された。なおこの後も朝廷という言葉は残り、明治期になっても用いられるが、その場合は、政府の意味で使用されていることに注意されたい。また天皇の私的空間には一般に宮中・宮廷が用いられる。
こうして新政府が成立した。いわゆる王政復古の大号令には「神武創業のはじめに原づき」とあるが、これは古代の王政に復古するのではなく、神武天皇が初めて国家を治めたように、何もかも新しく、創業の精神に基づいて誠次を行うということを宣言していたのである。若い天皇も新国家の元首として、新たに出発していゆく。明治の天皇は、近世の天子の衣を剥いで、装いを新たに新生明治国家のシンボルとして創造されてゆくのである。
明治維新といえば、天皇を中心とした勢力に、幕府が倒されたと理解していた。しかし、上の文章に書かれているとおり、なくなったのは幕府だけではなく、というより、朝廷が廃止され、その官職であった征夷大将軍職も廃止されたのであった。天皇は引き継がれたけれど、言い換えれば、引き継がれたのは天皇だけであった。まさしく伝統破壊である。
現在、天皇制について語られることの多くは、明治以降か、そうでなければ古代であるため、この本は非常に興味深かった。明治以前、現代の天皇制の基礎となりつつも断絶がある近世の天皇制についても知りたいと思う。
明治政府は、公式には古代から由来する天皇制の伝統に基礎を置いていることで正統性を担保しようとしていたから、実際には伝統破壊を行っていることはあまり知られたくないことだろう。だから、彼らが廃止した近世の天皇制や朝廷は、あまり語ってほしくない話題だったと思う。今も近世の天皇制についてあまり語られないのは、もしかしたら、この明治政府の意向と関係があるのかもしれない。
このことについて、いずれ、また書いてみたいと思う。