浅薄さ

昨日、自民党の総裁選挙が告示され、安倍晋三谷垣禎一麻生太郎の三人が正式に立候補した。テレビのニュース番組では、三人がセットで呼ばれ、インタビューされていた。自民党のいいPRになっている。
自民党国会議員の大多数は安倍晋三支持でまとまっているようだが、これは、世論調査にあらわれた安倍晋三の支持率が高いからだ。小選挙区制度になってから、党首が選挙の結果に与える影響が大きくなった。だから、国会議員は、結局、人気がある党首を選ぼうとする。いわゆる「派閥の論理」で党首が決まるのではなく、ある意味、民意が反映されるようになったといえるだろう。
だから、今回の総裁選挙は、安倍晋三でほぼ決まりだけれども、逆転の可能性がまったくないわけではない。安倍晋三を支持している国会議員は、安倍晋三を強く支持している人たちと、勝ち馬に乗ろうとしている人たちがいる。小泉純一郎が総裁選挙に勝ったときのように、一般党員の投票が、谷垣禎一麻生太郎に集中するようなことがあれば、勝ち馬に乗ろうとしている人たちは鞍替えするから、逆転の可能性がないわけではない。しかし、特に自民党員のなかでは、安倍晋三への支持が圧倒的のようだから、じっさいには、よほどのスキャンダルでもないかぎり、逆転はないだろう。
それにしても、なぜ、安倍晋三への支持がこれほど高いのだろうか。その理由が私には判然としない。
寺田寅彦随筆集第二巻」(岩波文庫 ISBN:4003103726)の備忘録という随筆のなかにある向日葵という一節に、安倍晋三を思い起こさせる文章があった。

 中庭の籐椅子に寝て夕ばえの空にかがやく向日葵の花を見る。勢いよく咲き盛る花のかたわらにはもうしなびかかってまっ黒な大きな芯の周囲に干からびた花弁をわずかにとどめたのがある。……そういう不ぞろいなものを引っくるめたすべてが生きたリアルな向日葵の姿である。しおれた花、虫ばみ枯れかかった葉を故意にあさはなか了簡で除いて写した向日葵の絵は到底リアルな向日葵の絵ではあり得ない。
 精巧をきわめたガラス細工の花と真実の花との本質的な相違はこういう点にある。……
 物理学上の文献の中でも浅薄な理論物理学者の理論的論文ほど自分にとってつまらないものはない。論理に五分のすきはなく、数学の運算に一点の誤謬はなくても、そこに取り扱われている「天然」はしんこ細工の「天然」である。……底の知れない「真」の本体はかえってこのためにおおわれ隠される。こういう、たとえば花を包んだ千代紙のような論文がドイツあたりのドクトル論文にはおりおり見受けられる。

安倍晋三の政権構想や記者会見でのやりとりを見ていると、寺田寅彦がいう「浅薄さ」を感じる。見た目はこぎれいで、それなりに論理は通っているけれど、「「真」の本体はおおわれ隠される」ような。
三人の政権構想*1を読み比べると、麻生太郎がいちばん当を得ているように思う。
安倍晋三麻生太郎の政権構想は、おなじような要素が並べられているけれど、その優先順位が違っている。麻生太郎は、安定した経済成長の実現に重点を置いている。少子高齢化福祉の問題、財政の問題、格差の問題も、安定した経済成長なくして解決、解消するのはきわめて困難であり、逆に、ある程度の経済成長があれば、その対処もずいぶん楽になる。福祉、財政の問題は、財源の確保が最も大きな障害であり、経済成長によって税収が増えれば解決の方向が見えてくるだろう。また、格差については、失業、特に、若年層の失業が最も大きな問題だと思うが、これも、経済成長によって雇用が増加することが、根本的な解決策である。
谷垣禎一は、麻生太郎と違い、経済成長をあてにすることはできないと考えている。だから、財源の確保のために、消費税の増税を主張している。これはこれでひとつのリアリズムだと思うけれど、麻生太郎に比べれば、明らかに茨の道を選択している。景気が好転している現時点では、谷垣禎一よりは麻生太郎の主張の方が説得力があると思う。
彼らに比べると、安倍晋三の政権構想は、美辞麗句が並んでいるけれども、地に足がついたリアリズムにかける印象がある。例えば、安倍晋三は、格差の問題に対して、「再チャレンジできる社会の実現」を訴えている。たしかに、実現すればいいことだと思う。しかし、政府の力で、どこまで「再チャレンジできる社会の実現」できるのだろうか。疑問である。それよりは、経済政策を誤らず、安定した経済成長を実現するように注力するという麻生太郎の主張の方が、実現しうる政策だと思う。