美しい文章とは おまけ
「美しい文章とは」シリーズのエントリー(id:yagian:20080121, id:yagian:20080122, id:yagian:20080125)は、いちおう完結させたつもりだったのだけれども、稲本のウェブログの「日本詩歌の伝統〜俳句の詩学〈3〉」(id:yinamoto:20080131)を読んで、補足をしたくなった。
前回のエントリー(id:yagian:20080125)では、言葉の働きを「美的機能」「意味機能」に分類しした。「美的機能」は音韻、リズム、文字などによるシニフィアンそのものの美しくする働き、「意味機能」は表現対象、シニフィエを正確に意味する、表現する働きを想定していた。言葉がこなれていなかったので、ここでは、「美的機能」を「美化機能」、「意味機能」を「表意機能」と呼び直ししたい。
「日本詩歌の伝統〜俳句の詩学〈3〉」では、俳句が言葉の組み合わせによって「表意機能」で表現できる以上のイメージを喚起することについて書かれている。このような働きを「含意機能」と呼びたい。
法律の世界においては、その意味の多様な解釈を許さず、できるだけ文字通りの意味のみに限定する必要がある。そのため、法律における特殊な用語法がある(実際は、完全に一意な解釈に限定することは難しいのだろうけれど)。このような法律などは、限りなく「表意機能」に純化した文章ということができるだろう。
一方、俳句は、より少ない言葉で、より多様な解釈、イメージを喚起することを目指している。これは、シニフィアンの美しさを求めた「美化機能」とはことなるし、表現対象を正確に再現することを目指した「表意機能」とも異なる。詩、散文に限らず、文芸の世界の言葉は、これまでの表現されてきたイメージとは違った新しいイメージを表現しようとする。その時に、この「含意機能」を最大限に発揮している。
と、一応、これでまとめということにしておきたい。これ以上話を進めると、言葉の世界だけではなく、表現者や読者の主体間のコミュニケーションの問題も扱う必要がありそうなので、深入りはやめておこうと思う。