精巧な小説

以前、丸谷才一のコラムについて、「うまい」けれども不誠実な印象があるということを書いたことがある(id:yagian:20050703:p3)。
彼の長編小説「笹まくら」を読み、その「うまさ」に感嘆した。全体の構成から細部まで考え抜かれて書かれており、手が抜かれているところがない。精巧な小説という印象を受けた。
小津安二郎の映画、例えば「東京物語」を見ると、しばらくの間、どんなテレビドラマを見ても粗雑に見えてしまう。それと同じように、「笹まくら」を読んだ後は、普通の小説が粗雑に見えてしかたないと思う。
しかし、丸谷才一のコラムを「うまい」と思いながらも不満足を感じたように、「笹まくら」もとびきり「うまい」小説だけれども不満足を感じた。
「笹まくら」は考え抜かれて書かれているから破綻がない。登場人物の心理や行動も、小説のなかに示されている情報から合理的に納得することができるように書かれている。そこが逆にものたりなく感じた。
私がひいきにしている小島信夫村上春樹の小説では、なぜそうなるのか一見不可解な心理、行動、展開がある。しかし、しばしば、小説が破綻しているかのような不可解な部分によって大きく心を揺さぶられる。「笹まくら」では、そういった大きな感動は得られなかった。
このような感想は、ないものねだりをしているのかもしれない。精巧な小説である「笹まくら」がマスターピースであることは間違いない。それだけで、充分満足すべきなのかもしれない。

笹まくら (新潮文庫)

笹まくら (新潮文庫)