伝統と革新:沖縄の音楽、文楽、歌舞伎
この前の日曜日、つれあいと琉球フェスティバルに行き、ライブで登川誠仁を見て心から感動した。
英語の方のウェブログ("Everyday Life in Uptown Tokyo" (http://goo.gl/EuVns))に、その感想を書いたので("Tradition and Progress: Contemporary Okinawan Folk Music" (http://goo.gl/6CZ5p))、和訳を転載しようと思う。
この前の日曜日につれあいと琉球フェスティバル2012に行ってきた。
琉球は、日本列島の最南端にある沖縄の古い名前である。1872年に沖縄が日本政府によって併合されるまでは、沖縄は琉球王国という独立国家だった(そして、1945年から1972年までアメリカに占領されていた)。
沖縄は日本の内地と違う独自の文化を持っている。彼らのことばは日本語の方言だけれども、私はまったく理解することができない。彼らは自分たちのことばを「ウチナーグチ」(自分たちのことばという意味)と呼び、内地のことばを「ヤマトグチ」と呼んでいる。「ヤマト」は日本の古い呼び名である。
バリはガムランなどの芸能で有名だが、沖縄も同じように芸能、特に音楽の島である。
琉球フェスティバルには、沖縄の伝統的な民謡からロックバンドまで六つのグループが出演した。彼らの音楽は非常に多様だった。
フェスティバルの終わりに、登川誠仁がステージに現れた。彼については「「ウマク」やんちゃな誠小の歌と人生」というエントリーに書いたことがある。彼は沖縄民謡の生ける伝説である。ジェイムス・ブラウンのライブ・パフォーマンスを見た時と同じぐらいうれしかった。
彼は沖縄の偉大なミュージシャンなのだが、彼の態度はほんとうに自然で気取りがない。ステージに現れた時、三線(ギターのような沖縄の楽器)を方にかつぎ、スタスタと歩いてきた。彼は小柄な老人だけど、存在感がすごい。そして、彼はかわいらしく、見る人すべてがハッピーになってしまう。
彼は主として島唄と呼ばれる沖縄の民謡を演奏する。彼は、沖縄のミュージシャンは「本式」で沖縄の民謡を演奏しなければならないと言っている。しかし、沖縄の民謡は必ずしも伝統的なわけではない、とも言っている。
彼は沖縄の古い民謡を研究し、それを「本式」に演奏している。その意味で、彼は伝統主義者である。しかし、彼の長い音楽生活のなかで、さまざまな新しいスタイルの音楽を創造している。その意味では、彼は進歩主義者だ。彼の音楽のなかで、伝統と進歩は矛盾せず、さらにいえば、進歩は伝統を基盤としている。
先に書いたように、 琉球フェスティバルでは非常に多様な音楽が演奏された。その一方で、彼らの音楽の核には、沖縄の民謡の伝統が共有されている。フェスティバルの終わりに、ミュージシャン全員がステージに登場し、沖縄の古典的な民謡を歌い、踊った。
沖縄の民謡の資産を「本式」に継承することはきわめて重要だが、伝統を守っているだけでは、沖縄の音楽は死んでしまう。新しいものを創造できなくなり、死んでしまった「伝統芸能」はたくさんある。
しかし、琉球フェスティバルで沖縄の音楽がまだ生きていることがわかった。登川誠仁亡き後も、沖縄の音楽は生き延び続けるに違いない。
私は人形浄瑠璃のファンだ。橋下徹大阪市長が文楽協会への補助金の削減を進めようとしており、今の「文楽」の批判をしている(http://goo.gl/FSyeh)。
橋下市長の「文楽」批判には事実誤認もあるけれど、正鵠を得ているところもある。
登川誠仁は波乱の多い人生をおくってきたけれど「伝統芸能」としての「沖縄民謡」に対する「補助金」で生活をしたことはない。だからこそ自由な活動ができる。彼が他の歌手に対して「本式」に演奏するよう苦言を呈することがあるが、それは彼が国や自治体をバックにして権威づけられているからではなく、彼の芸を皆が認めているから説得力を持つ。登川誠仁は破天荒である。しかし、自立しているからこそ、国や自治体、政治家に文句を言われることもない。それゆえ、沖縄の音楽は生き続けている。
人形浄瑠璃という芸能はもう既に死んでいる。もともと人形浄瑠璃の全盛期は元禄時代の上方であり、江戸時代後期の江戸では歌舞伎の方が圧倒的に人気があった。近松門左衛門をはじめとして優れた脚本が書かれたから、歌舞伎では人形浄瑠璃を翻案した舞台(丸本とよぶ)がたくさんある。しかし、人形浄瑠璃そのもの人気は低迷し、明治、大正、昭和とほそぼそと続けられていたという状態だった。
戦後、松竹が人形浄瑠璃の興行を手がけたこともあったけれど、結局、大阪府、大阪市、文部省、NHKが後援した財団法人文楽協会が作られ興行を行うことになった。現在、大阪の国立文楽劇場、東京の国立劇場で定期的に公演している。政府、自治体の支援のもと文楽協会ができた時点で、人形浄瑠璃は「伝統芸能」となり、「死んだ」のだと思う。
その一方で、公的な支援を受けるようになったメリットもある。歌舞伎は興行として自立している。自立しているからこそ、自立し続けなければならない。大名跡を世襲制にしているが、子供の頃から歌舞伎役者として育てられることが大名跡になる条件と思われているけれど、あれは興行上のスターシステムである。文楽協会になってからの人形浄瑠璃は研修制度を持ち、実力主義になった。それでレベルが低下したかというと反対である。丸本歌舞伎の浄瑠璃を聴いていると、太棹も義太夫も明らかに文楽の方がレベルが断然高い。もちろん、文楽では浄瑠璃が中心で、歌舞伎の浄瑠璃は役者の添え物だという違いはある。しかし、文楽が実力主義になり、レベルが高まったということは事実だと思う。今の団十郎や海老蔵が名優といえるだろうか?
最近、あまり物欲はないけれど、こういうことを考えだすとつくづく大金持ちになりたいと思う。そして、住大夫のタニマチになり、欲しいというだけのお金を何も言わずに渡したいと。ああ、大金持ちになりたい。