なぜ日本人はこんなに英語が下手なのか

インターネットで"Why are Japanese so bad at English?"(http://goo.gl/X52V9)という記事を見つけた。冗談交じりに書かれているが、論旨には概ね賛成できるので、翻訳してみようと思う(ジョークはうまく翻訳できなかった…)。あと、英語版ウェブログに、この記事に関連したエントリー"Meaning of Learning a Foreign Language"(http://goo.gl/o5mEg)を書いた。

なぜ日本人はこんなに英語が下手なのか

東京―みなさんご存知のように、6年間も英語教育を受けているのに、日本人は英語を話す時「宇宙のマスター」っていう訳にはいかない。6年間だって?冗談だろ?自分の手で巨大なピラミッドを建築するのだってそんなに時間はかからない。石灰岩を切り出して積み上げればいい。たぶん、頑張れば2年ぐらいでできるはず。

まあそれはともかく、日本人が英語を話せないのにははっきりした理由がある。日本語を勉強するなら、同じ罠にはまらないようにしなきゃいけない。

海外から来た英語教師に聞くと、みんな「文法と翻訳という方法がだめなんだ」と言うだろう。確かに。でも、寝ているときに蜘蛛を飲み込んだとか、アポロの月着陸は単なるよくできたイカサマだと言う人だっている。外国人は日本について、他の人が同じこと言ってるからほんとうだろうって理由で同じこと言う傾向がある。しかし、文法と翻訳は実際には役にたっている。最速の方法じゃないだろうけれど、でも、効果はある。まあ、たいていはね。

この週末、田舎の軽食屋に行ってきた。薪を燃やすストーブの周りに座り、手打ちそばとなんとも形容のしようがない緑色のものを食べた。私のまわりの人たちは、年齡の話をするなら、そう、1000歳ぐらいになっているだろう。妙ななりゆきから、彼らが知っている英単語をリストアップすることになった。数とか、色とか、動物とか、食べ物とか、自動車とか、家電製品とか、その他もろもろの単語「ストレート」「カーブ」「ホット」「コールド」「ビッグ」「スモール」などなど。日本の農民は、「マニア」とか「ファンタスティック」みたいなことすら知っていた。

多くの英単語が日本語の語彙に入っているので、鋤を使っているような老人ですら、ことばをつぎはぎしてなんとか意味を推測できる文章を言葉をつぎはぎして作ることができる。若い人の語彙の広さは驚くほどだ。高校を卒業した子供は、約2,000語の英単語を知っているし、会話をするにはそれで十分だ。もし、語彙のテストをしたら彼らは合格する。それじゃあ、なんで話せないのか?

あきらかに文法がその理由という訳じゃない。確かに、彼らはジョージアを巡回するシャーマンのように不必要な冠詞をつけたりするけれど、それがどうしたってこと?ケンは文法がめちゃくちゃな文を作るけれど、みんなそれを理解している。文法がない?それって、問題じゃない。

恥ずかしがり?それもよく聞く言い訳だけど、私の日本人の上司(妻の上司のことじゃないよ)から、そうしたいときには日本人は怖いぐらいに積極的になるってことを知らされた。怠け者と思われることへの恐れ?たしかに、でも、日本が他の国より特にひどいってことはない。服従の文化?こいつは、しょっちゅう耳にする日本に関する呪文だ。なんで話したがらないだろうか?多くの要因があるけれど、そのなかでいちばん確実な5つの要因を示そう。

日本人が英語を話せないカリキュラムの問題

1. 文法と翻訳をきちんと補う学習をしていない

文法と翻訳が役に立たっていない訳じゃない。それ以外に、それを補うような学習をしていないことが問題だ。学生は、運が良ければ、週に1回1時間以下の授業を受けることができる。その授業では、文法が説明され、語彙が教えられる。そして、それからは、うーん、シベリア送りと大差がない。日本の子供は山のような語彙と生かじりの文法を知っているけれど、実際に使うための実例を知らない。彼らにはそれを補う学習が必要だ。実際に単語が使われている方法を示す実社会の教材を与えなきゃいけない。読書のプログラムがなく、会話やプレゼンテーションの機会を与えるプログラムがなく、映画を見るスケジュールがない。文法の説明が問題な訳ではなく、その先の学習で仕上げられていないことが問題だ。

2. 教室のコントロール

もしあなたが教師だとしたら、この問題と関わりがあるはずだ。伝統的な講義中心の教育法では、生徒は静かにしてあなたに集中していなきゃいけない。教室をコントロールすることと、教室を小さな監獄にすることの間にははっきりした一線がある。もし、必要以上に生徒を黙らせていたら、彼らは学習をしない。

生徒の側にも、不適切なことを避けようとする傾向がある。生徒だった頃を覚えているかい?僕は覚えている。ぜったいに嫌だったことといえば、そう、全部。G.I.ジョーのマンガを読んだり、窓から飛び出す白昼夢をみたりすることができるように、先生には自分を放っておいて欲しいと思ってた。そして、大学ではそんな感じだった。

両者の力が組み合わさって、先生が話し、生徒は行儀よく静かにしていて、しかし、誰も聞いていないという状況ができあがる。メッセージは伝わらず、ほとんど学習が行われない。1週間に1回の水泳の講義で泳ぎ方を教えようとしているようなものだ。残念なことに学校を取り巻く世界には、生徒に英語を話すという行為を準備させる状況がない。それは、日本に限られたことではない。一部の先生は、アメよりムチを使いすぎる。教室のコントロールを失うリスクがあっても、生徒を椅子から立たせ、実際にお互いに話し合わせること。あなたが殺されるようなことはおきない。

3. 不適切な練習

生徒は学習はするが、知識を実践に活用しない。自称言語学者のK.セイモアオブマイスタッフの「流暢な日本語を話す方法」によれば、話すことは技術であって、単なる情報ではない。私が片手でリモコンを扱い、もう片手でビールのカンを扱うバスケットボールの達人みたいなものだ。何をすべきか知っていることと、実際にできるということは大違いである。他の人間とフェイス・トゥ・フェイスの状況に放り込めば、頭の中であらゆることが起きる。汗をかき、瞬きをし、パンツにおしっこを漏らす。いつもうまくいくわけじゃない。練習が必要だ。

日本人が英語を話せない二つの文化的理由

1. 日本では沈黙が了承の返答を意味すること

日本人は、しゃべらないでいることを許されている。実際、むしろ話さないことが奨励されている。日本は、厳しく統制された社会である。だれも自分の本心を話すようなバカなことをしようとしない。日本人にとって考えるということは、すぐに酒屋に泥棒に入るようなものだ。仮に日本人に自由意志を実践しようと奨励したらそうなる(まあ、ある程度は事実である)。子供の頃から、みな、両親や教師から、からだと言葉によるあらゆる方法を使って、列を守るようにしつけられている。

数回小学校で教えたことがあるが、コーチが生徒の頭を野球のバットでこづいているのを見たことがあるし、歴史の教師は生徒の胸にパンチを入れていて、特殊学級の先生は髪を切ってこない生徒にボディスラムをかましていた。その学校は、いい学区にあった。そのことがばれて以来、私は監視されているようだった。日本人は、ひとたびムチをもったら、ぜんぜんシャイじゃない。生徒は、虐待によってそれを受け入れさせられている。彼らは、間違った時にジョークを言ったり、やりすぎたりしたら、天罰を受けるということを学ぶ。何年もそんな扱いを受けていたら、なにかを招くようなことを避けるようにしつけられてしまう。

2. 日本人は英語が避けられないものだということを理解していない

どこを見ても、書かれているものはたいてい日本語だし、大部分の人は日本人のように見える。テレビを別とすると、世界の残りの部分が存在しないみたいだ。日本人にとって英語を使うことが必要な機会は、そろばんを使わなきゃいけない時と同じぐらいだ。だから、学校では英語には美術や体育と同じように扱われる。大した問題じゃない。最近、大学の英語専攻のクラスで、英語を使う機会を作るためにどうしているかって聞いてみたら、答えは「なにもしていない」から「外国人の友だちを作りたい」の間だった。ちょっとおもしろい趣味ぐらいな感じ。

しかし、日本はもはや帆船で訪問する島国じゃない。格安航空やインターネットがあるし、国と国との間の距離はなくなった。そして、インターネットでの将来の言語はなになるだろうか。日本語ではないことだけは確かだ。特定の領域ではネットは重要になっている―貿易、医療や科学に関する知識の共有、サービスの提供―そして、英語がネットを支える言語になる。あなたが現金を引き出す銀行は、あなたがコミュニケートできると想定している。国際的に、大金をもたらす言語は、近い将来英語になる。

日本という国家は、英語を気に入っているだろうか?いやいや。英語に適応している企業はほとんどないし、日本人の大部分も、また、日常的なビジネスもそうだ。英語を学ぶためにアイリッシュバーで過ごす日本人はほとんどいないという外国人にとっての自明な事実は、かたんに見過ごされている。日本人の大多数にとって、英語が重要ではないということが英語を話さない理由の一つである。毎日洗濯をしなくちゃ。それが先決。英語は、えーと、後にしとこうか。

日本語学習者にとっての教訓

もし日本語を学習しているのなら、 この5つの要因を肝に銘じなきゃならない。同じ順番で書こう。

1. 本物の教材で補う

読書、映画、会話、どれでもいい。文法、文章、漢字を学ぶのは重要だが、同時に本物の世界に大量に触れる必要がある。学習したことを補い、活用すべし。

2. 授業は最悪って思わないようにする

私が知っている日本語が上手な人は100%たくさんの授業をとっている。ただ、話す練習ができるレッスンをとること。退屈な講義形式のクラスはとらないように。8人以下のレッスンか、チューターがいるクラスを取れば、たくさん学ぶことができる。でも、授業は1週間に数時間しかない。だから、残りの時間はあなた自身の責任だ。「1年間日本語のクラスを取ったけれど、ぜんぜん勉強にならない」とか「1学期で30文字の漢字しか勉強しなかった」とか言っている人がいる。ちょっとまて、授業は週に2時間しかないけれど、残りの166時間を勉強させないようにしているわけじゃない。だれも漢字を勉強するのを辞めさせようとなんかしてない。おのれの姿を見れば、授業を責められないだろう?

3. スピーキングの練習をする

紙の上で正しいことが、現場で正しいとは限らない。日本語を話す機会を作ろう。もし、生身の日本人を捕まえられなかったとしても、インターネット上で捕まえることができるはず。The Mixxerみたいなランゲージ・エクスチェンジ・サイトを使ってみよう。

4. 間違ったことで自分を責めない

敬語のレベルを勉強したり、語彙を直したりしなきゃいけないけれど、実際に話しをするときにはぜんぶ忘れて、話すことだけに集中しよう。できる限りのことをすれば、みんな間違いには寛容になってくれる。たくさん話せば話すほど、上達する。

5. 日本語を最優先にする

「したほうがいい」こと、例えば皿洗いとか、は放置される。日常生活のなかで、日本語を不可欠なものにすべし。つまり、皿洗いとか。日本語はあなた自身の問題だから。

暮らしの半分では、ちゃんとしたことをしよう。残りの半分は、やっちゃいけないことをやめよう。古い日本のことわざを忘れないように。「軍隊に入ったんだ、鋤を持ってるわけじゃない」(訳者注:意味がよくわからなかったです…)さあ、立ち上がって、やれることをやろう。