喫煙に厳しく飲酒に寛容な国

日本は「禁煙ファシズム」の国か

禁煙ファシズム」という言葉がある。

私自身は非喫煙、飲酒者であるけれど、日本は喫煙に厳しく飲酒に寛容な国だという印象はある。だから、喫煙者が「禁煙ファシズム」という言葉で、喫煙への抑圧を表現したい、という気持ちはわからなくもない。

たしかに、自分自身がヘビースモーカーだったり、ヘビースモーカーから恒常的に受動喫煙を受ける環境に生活していれば、タバコの健康への影響は大きいだろう。しかし、ごくまれに同席した人が喫煙者で、その受動喫煙を受けるぐらいであれば、その健康被害については、私自身はあまり気にしない。世の中には健康に害を与えるものは、他にもいくらでもある。

私は喉が弱く、タバコの煙を吸い込むと咳き込んでしまう。また、タバコの香りを嗅ぐことが少ないから、匂いについては気になる。食事をする場でタバコを吸われると、食べ物の香りがわからなくなることもあり、それはかんべんしてほしいなと思う。お酒を飲む場では、こちらも酩酊して嗅覚味覚が半ば麻痺しているから、あまり気にならない(咳き込んではしまうけれど)。

喫煙の害

喫煙の害は、喫煙者自身の健康被害受動喫煙による健康被害、これらの健康被害による社会的負担、火による危険性(火事ややけどなど)、非喫煙者にとっての煙や香りの不快感といったところだろうか。

喫煙者自身の健康被害は、いわば自業自得であって、特に他人が指図することでもないように思う。「愚行権」という言葉があり、自由には自らにとってネガティブな行動を取る権利もある、という考え方を指す。私自身は、この愚行権の考え方に賛同するし、喫煙の権利もこの範疇に入ると思う。

いや、健康被害によって社会的負担が高まるため、本人の問題とは割り切れないという指摘がある。しかし、喫煙による健康被害によって、病気の治療のための負担は増加するが、平均寿命が短くなり高齢者福祉の負担は軽減され、プラスマイナスでは社会保障の負担はむしろ軽くなるという研究もあるようだ。

非喫煙者にとって、受動喫煙による健康被害、煙や香りの不快感の問題は、喫煙できる場所が特定され、分離されれば大きな問題にならないように思う。私自身、おいしそうな飲み屋が喫煙可だと、諦めることがある。これは残念なことではあるが、そのお店の経営方針が私と合わなかったということで、それ以上とやかく言うことではない。

火の危険性については、たしかに問題だと思う。東京消防庁平成27年の出火原因別火事による死亡者数は、タバコは16人(23%)、特に寝タバコのケースが危険だという。

東京消防庁<広報テーマ(2016年10月号)>

飲酒の害

一方、飲酒の害はどのようなものがあるだろうか。飲酒者の健康被害、これには肝臓病などの身体的なものもあり、アルコール依存症による精神的なものもある。また、飲酒にまつわる事故、トラブルも多い。飲酒運転は運転者自身も傷つけるし、他者へ危害を加えるケースも多い。また、酩酊した状態で歩行する際の事故も多く、電車のホームから落ちる事故も発生している。

平成26年では飲酒運転による死亡事故は227件発生している。

平成26年中の交通事故死者数 - 一般財団法人 全日本交通安全協会

また、平成26年での鉄道のホームから転落、またはホーム上で列車と接触して死傷する事故の死者数は35人で、このうち酔客による事故件数は60.9%である。

第1章 鉄道交通事故の動向|平成27年交通安全白書(全文) - 内閣府

飲酒者の健康被害愚行権の範疇とは言える。しかし、アルコール依存症になると自らの意志でアルコールを断つことはきわめて難しく、周囲の家族にもきわめて大きい負担を与えることになる。また、飲酒運転では、被害者にとっても加害者にとっても悲惨である。

喫煙に厳しく飲酒に寛容な国

喫煙の害と飲酒の害を公正に比較したデータを見たことはないが、直感的に言えば、飲酒の害が喫煙の害に比べて無視しうるほど小さいとは思えない。しかし、なぜか、現在の日本では喫煙に対しては厳しさが増しているが、飲酒運転への厳罰化は進んでいるものの飲酒一般への規制が厳しくはなっていない。

しかし、世界的に見て喫煙に厳しく、飲酒に寛容であることが、一般的なわけではない。イスラームのように、飲酒を禁じる宗教は多い。アメリカでかつて禁酒法が施行された背景には、宗教的な飲酒への忌避感が背景にある。現在でも、飲酒を禁じる町(ドライ・タウン)や郡(ドライ・カウンティ)が存在する。また、公共の場での飲酒が禁じられ、戸外でアルコールを飲む時は紙袋に酒瓶を包んで飲む国も多いし、そもそもそのような国では「まともな人」は公共の場で酩酊しないのが当然だと考えられていることもある。

このような国と比較して、日本はなぜか飲酒に寛容である。歩きタバコも困るけれど、公共の場で酩酊する人もかなり迷惑である。仕事を終えて終電で電車に乗るとき、酩酊した人の酒の匂いを嗅がされるのはかなり不快である(人のことは言えないけれど)。

喫煙者や飲酒者の本人への害は愚行権の範疇だが、本人以外に害を与えるのはマナーとして、法的に規制する必要があるだろう。しかし、なぜか、現在の日本では、アンバランスに喫煙に厳しく、飲酒に寛容なように見える。少なくとも、タバコ同様にアルコールのパッケージに健康被害の可能性や飲酒運転への注意を喚起する表示を義務付けてもよいのではないだろうか。