次の戌年には定年再雇用になっている

今年の正月は、4日と5日に有給休暇を取ったので、11連休になった(といっても、旅行などはしていないけれど)。

初出勤日は9日で、街も会社も、もうすでに正月気分ではなくなっていた。初出勤日にはいつも会社の裏手の丘に上にある神社に初詣をしている。毎年、干支にちなんだ縁起物を買っているのだけれども、今年はもう売り切れだという。

11日は誕生日で51歳になる。次の戌年に縁起物を買う頃には63歳になっている。

今の会社の制度が変わらなければ、60歳で定年、その後65歳までは定年再雇用が可能となっている。

私がいつまで今の会社で勤務しているかわからないし、また、この会社が今の場所にあるか、会社自体が存続しているかもわからない。雇用規則も変わっているかもしれない。けれど、もし、今の会社に勤め続けているとすれば、次の戌年の縁起物を手にする時には定年再雇用になっているはずだ。

いまはまだ自分が衰えたという実感はあまりない(老眼は進んでいるけれど)し、まだ成長しようという意欲はある。けれども、これから自分が身につけたことは、それを使える期間は限定されているということを、具体的な数字で突きつけられることがある。今回の干支の縁起物にも、その事実を思い起こさせられた。

だからといってあまりがっかりすることもない。淡々と今を生きようと思う。

江戸五色不動、江戸三大鬼子母神、江戸三十三観音

御朱印帳の流行の功罪

年始になると初詣で寺社は混雑するので、年末にご朱印をいただくためにいくつかのお寺を巡ってきた。

御朱印帳を持ってお寺に参詣するようになってもう8年になる(こういうとき、ブログを書いていると過去の記録がすぐ検索できて便利だ)。そのころはいろいろと辛いことがあったので、参拝をしてご朱印をいただくことにはそれなりの思い入れがある。

yagian.hatenablog.com

そのころに比べると寺社で御朱印帳を持っている人はずいぶん増えた。ご朱印をいただくために行列ができることもある。この流行に対して批判的な意見もあるようだ。御朱印帳は、納経帳とも呼ばれ、ご朱印は納経した証としていただくものらしい。今では、ろくに参拝もせずにスタンプラリーのようにご朱印をいただく人もいるようだし、システマティックに対応するだけの人を用意できない小さな寺社では負担になることもあるようだ。

それでも私自身はこの流行に肯定的である。別に信心なく寺社に観光目的で訪れることは御朱印帳を持たなくてもふつうにある。ご朱印をいただくためにインターホンを押してお寺の人にお願いするのは緊張して、自分の信心を呼び覚ますきっかけになるし、コミュニケーションをする機会にもなる。

小さなお寺の場合、対応できないときは対応しない、ということでよいのではないだろうか。もし、ご朱印をいただけなかったら、また別の機会に参拝すればよいのだから。

都電(東京さくらトラム)と目黄不動(永久寺)

今回は、まず、三ノ輪にある目黄不動(永久寺)に参拝した。

自宅の近くにある目白不動からはじめて五色不動を巡っている。目黄不動江戸川区平井最勝寺と三ノ輪の永久寺の二つある。この三ノ輪永久寺の目黄不動に行けば、最勝寺は残っているけれど、いちおう五色がそろうことになる。

五色不動 - Wikipedia

三ノ輪に行くために、地元の東池袋四丁目から都電荒川線に乗っていった。

東京都交通局は、都電荒川線に「東京さくらトラム」という愛称を付けているようだが、きっと定着しないんだろうなぁと思う。名前が長すぎるし、なんか、そんな風に呼ぶには照れくさいし。まあ、都電は都電でよいのではないだろうか。

www.kotsu.metro.tokyo.jp

目黄不動は観光化されていない、地域に馴染んだお寺だった。ご朱印を待っている間、お墓参りをする老人が火の付いたお線香を買っていった。

浅草寺と下町と国際化

 三ノ輪から吉原を通り抜けて浅草寺まで歩いていった。

もう年末だったから一葉記念館がお休みだったのはちょっと残念だった。ずいぶん立派な建物だった。30歳代の10年間をかけて日本近代文学の代表作を時代順に読んでいった時期がある。樋口一葉は、その当時、女流作家が少なかったため注目を集めたということもあるのだろうけれど、現代から同時代の小説を読み比べると突出しているという印象がある。私は「にごりえ」が好きだ。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

 

下町は関東大震災東京大空襲で二回燃えてしまったため、現在の町並みは思いのほかすっきりしていて、下町情緒を見つけることは難しい。むしろ、震災の被害を受けていない根津界隈や、私が今住んでいる雑司が谷のあたりの方が、ごちゃごちゃしていて「下町」のイメージに合致しているかもしれない。とはいえ、このあたりの町の「古民家」は、古くても大正から昭和初期に建てられたものだから、それほど古いとはいえないけれど。

浅草寺は年末も人でいっぱいだった。とはいえ、初詣の時期だったら身動きができなかっただろうから、今日来て正解だったと思う。中国の年末年始の連休は春節の時期だから、今浅草寺に来ている観光客は中国人ではないようだ。話している言葉がよく聞き取れないけれど、タイ人やベトナム人が多いように思う。

浅草寺では御朱印帳も購入して、江戸三十三観音巡礼をはじめた。外国人でご朱印をいただいている人も多い。たしかに、私が外国人として東京に駐在していたたら、御朱印帳を持って東京の寺社を巡っているかもしれない。 

江戸三十三箇所 - Wikipedia

恐れ入谷の鬼子母神

浅草から入谷まで歩き、入谷鬼子母神ご朱印をいただいた。

雑司が谷にある鬼子母神には、いつもお世話になっている。前回書いたエントリーで、京都の東寺が居心地がよいと書いた。東寺の金堂や講堂は心が落ち着く空間である。しかし、あまりに立派すぎて気軽に悩み事を打ち明けられる雰囲気ではないことも確かである。東京に多くある江戸時代に作られたお不動様や鬼子母神の仏像は、奈良時代平安時代に作られた「芸術的な」仏像とは違って、わかりやすく炎に包まれていたり、恐ろしげなお顔をしていたりして、ちょっと近づきやすい感じがする。

yagian.hatenablog.com

五色不動や三大鬼子母神をお参りすることは、信心深くはない自分だけど、 ちょっとホッとした気持ちになれる。

江戸三大鬼子母神を歩く

上野の山のプチ京都

今日のお参りは、上野の山にある清水観音堂で終わりにする。

江戸時代、上野の山は比叡山に、不忍池が琵琶湖に見立てられていたらしい。清水観音堂は、京都の清水寺という役回りで、上野の山の斜面に小さめの「清水の舞台」が設えてあった。

五色不動もあと平井の目黄不動が残っているし、三大鬼子母神市川市にもう一つある。江戸三十三観音はまだはじめたばかり。これからもゆるゆると巡礼をしていこうと思う。

新年の抱負:頼られるスターターを目指す

今年の抱負を振り返る

去年の年末に今年の抱負を書いたエントリーがある。読み返してみた。

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すべてが実現できた訳ではないけれど、大きく言えば目指している方向に進めたと思う。こういう風に文字化したからこそ目標をしっかりと意識できたし、いい方向に進めているんだと思う。

項目にわけて今年一年を振り返り、新年の抱負を書いてみようと思う。

体調維持

今年いい一年を過ごすことができたのは、体調維持ができたからということをしみじみ感じている。体調がよいからこそ、ルーティーンを守り、エクササイズもでき、そのことが体調を維持に役立つ、という好循環ができた。

あと、以前はルーティーンを守ることを決めると、調子が悪くてもそれをムリに維持するようなところがあった。最近は、調子が悪いときはいったんお休みを入れて、また回復したらルーティーンに戻るということもできるようになった。

最近ジョギングをしているけれど、もうこの歳になると走り込めばいいというものではないなぁと感じる。負荷と疲労からの回復期間を考えてスケジュールを組まないと逆効果になるということがわかってきた。

調子の悪いときは悪いなりのピッチングで、調子の良いときは内角に思い切ったストレートを投げ込み、シーズンを通してローテーションを守る、そんな頼られるスターターを目指したい。

【来年の目標】

  • 健康維持のためのルーティーンをキープする
  • 疲れたときはムリせずルーティーンを休む
  • 調子のいいときも悪いときもそれなりのピッチング

仕事での挑戦

今年の仕事上の目標は、一緒に仕事をしている人から信頼されることと、少しでも成長を続けることだった。

上司からの評価のフィードバックは良好で、いま一緒に仕事をしている人たちとも概ね信頼関係は構築できたように思う(もちろん相性が悪い人はいるけれど)。また、私の過去の調子悪かった時期について気にしている人も少なくなったようで(確信はないけれど)、フラットに自分のことを見てもらっているような気がする。その意味で、過去のマイナスは概ね返済でき、スタートラインに戻れたようだ。

仕事の上で挑戦したことは、チーム・ビルディングを実現するためのマネジメントと、研修講師である。前者は道半ばだけれども個人的には気づきは多かった。後者はそれなりの研修ができたように思うけれど、もし今後も任せてもらえれば改善したいところは多々ある。

中期的には会計を理解しておきたいと思い、今年はとりあえず簿記三級の試験を受験して合格した。

【来年の目標】

  • 周囲に信頼される頼られるスターターを目指す
  • チーム・ビルディングは継続、信頼感があるチームを作る
  • 実践的な研修を提供する
  • 簿記二級を受験する(6月)

プライベートでの挑戦(フィジカル)

プライベートではフィジカルな挑戦とインテレクチュアルな挑戦に大別できる。

フィジカルな挑戦では、身体の基礎づくりと、ジョギング、スイミング、ゴルフに取り組んだ。

家で自重のトレーニングはしていたけれど、5月からジムに通いマシントレーニングをするようになり、タンパク質をきちんと摂取するようにした。筋力も向上しているように思う。例えば、ジョギングで坂を登るときに、脚力が増したような感じがする。あと、年末、ジムでフリーウェイトのトレーニングをちょっと習った。これは来年のトレーニングのテーマになると思う。

今年の目白ロードレース(3月)の前、トレーニング過多だったのか腰痛が再発して参加できなかった。年明けにハーフマラソンのレースに出場予定だけれども、きちんと休養を取りつつ、ムリのない範囲でトレーニングをすることが重要だとわかった。

自分にとってスイミングはトレーニングというよりリラクゼーションに入る。水の中にいるだけで気持ちがいい。タイムを追い求めたりしたいとも思わない。これからもなるべく長い間泳ぎ続けることができればよいと思っている。

ゴルフは、これまでより頻度高く練習場に通い、考えながら練習をして、それなりに改善したと思う。秋に103のスコアがでて、次は100を切れるかもと思ったが、冬のラウンドは120を超えてしまった。来年も100を切ることが目標。久しぶりにレッスンも受けてみようかなと思う。

【来年の目標】

  • ムリのない範囲でフリーウェイトのトレーニング
  • ハイテクハーフマラソン(1/14)、目白ロードレース(3/4)を完走する
  • スイミングでリラックスする
  • ゴルフで100を切る(レッスンを受ける)

プライベートでの挑戦(インテレクチュアル)

インテレクチュアルな領域では、語学と上記の簿記が今年の挑戦だった。

英語はTOEICを受験して自己記録を更新できたことは満足できた。中国語は中国語検定三級に合格し、中級の入口までたどり着けた。広東語もほそぼそと練習しているけれど、まあこれは継続さえできていればよいと思う。

自分の英語の能力のバランスを考えると、やはりスピーキングが他の三技能に比べて劣っている。今年後半はそこに注力をしたけれど、実践の機会に乏しいので自分の実力がはっきりしないところがある。余裕があればSkypeレッスンも受けてみたいが、そこまで手が回るかはわからない。

中国語の学習では、Skypeのレッスンを受けることと、週一回のブログを書くことが今年本格的に取り組み始めたことで、継続することができた。中級で向上するには地道にボキャブラリーを増やして、文型を使えるようになる訓練をする必要があるだろう。今までのインプットは教材が中心だったので、インターネット上の中国語を読んでインプット量を増やしたい。次は中国語検定二級が目標になるが、ちょっと距離が遠い。中国語検定三級と二級の中間のレベルで、HSK(中国政府が実施している中国語のテスト)5級の試験がある。とりあずこれを目指したい。

簿記は今年の終わりに3級に合格した。電卓をせっせと叩くのが久しぶりで、ある意味新鮮な感じがした。練習問題を解いているとケアレスミスが少ない時、多い時があり、知力、集中力の調子の上下がわかって、それはそれで興味深かった。べつに税理士になりたいわけではないので、今年の前半に2級の試験を受験して、それで会計の学習に目処を付けたい。

【来年の目標】

  • TOEIC Speaking & Writing受験(下期)
  • HSK5級受験(下期)
  • 広東語学習継続
  • 簿記2級受験(6月)

読書と旅行と巡礼

今年の目標に「もう少し長い射程を持った古典的な本を中心に読もう」と書いたが、これは達成できなかった。今年の前半は会社の研修を組み立てるためにビジネス書を集中的に読み、後半は社会科学研究会の活動に参加したこともあり、比較的時事的な本を読むことが多かった。来年はやはりもう少し骨太の本をきちんと読みたいと思う。

グローバリゼーションの歴史はあいかわらず追いかけている。中国語の学習も、華僑華人の歴史を知る手段という目的もある。今年の終わりに萬福寺に行き、禅宗を通じた日中の交流というテーマも発見できた。グローバリゼーションの歴史への知識を深めていきたい。

毎年夏に比較的まとまった旅行をしているが、今年の旅行先はまだ未定。いずれにせよ、どこかグローバリゼーションの歴史に関わりがある旅行にしたい。

鎌倉三十三観音巡礼を結願し、最近は東京十社五色不動のお参りをしてきた。来年は江戸三十三観音巡礼に挑みたいと思う。お寺が集中していることころはジョギングをかねてお参りするのも楽しいと思う。

【来年の目標】

家のインフラ整備

 新築で入居したマンションが築20年になる。詳しくは「壊れる」エントリーに書いたが、ライフスタイルも変わり、電化製品が壊れだし、今年はリビングダイニングの家具を 入れ替え、クーラーと給湯器を交換することになった。

来年は、まず、洗濯機を洗濯乾燥機に買い替えて、家事の効率化を図ろうと思う。浴室のリノベーションもしたいところだが、これは再来年以降だろうか。

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 【来年の目標】

  • 洗濯乾燥機の購入 

 その上で固執しない

 ここまであれこれ目標を掲げてきた。

しかし、そのことは頭に置きつつ、あまり固執はしたくないと思っている。

その時その時の状況に柔軟に対応していきたい。

京都の居心地の良いところ

歴史の地層

先週末、つれあいの出張のご相伴で京都に行ってきた。

奈良の寺院に行くと、鎌倉時代や江戸時代に作られた建築物、仏像も多いけれど、古代の雰囲気にひたることができる。ただし、それ以降の歴史を感じることはできない。一方、東京ではどれだけ遡っても江戸時代後期より古い文物はほとんどない。

京都は古代から中世、近世、近代までの文物がそろっていて、京都の地を舞台に展開してきた歴史が地層にのように積み重なり、その断面を見ることができる。

現代の京都の中核は、中世から近世にかけての時代に形成されたと思う。多くの古代の仏像が残されている奈良の寺院に比べると、中世に伝来した禅宗と庭園が京都の寺院の特徴だ。しかし、古代から伝わる寺社仏閣もあるし、また、江戸時代、幕末を経て近代の建築物も多い。

そんな京都の歴史の地層のなかから、私が居心地がいいと思うところについて書いてみようと思う。

東寺

新幹線で東京から京都に行く時、大津を過ぎてトンネルを抜けるとそろそろ網棚から荷物を降ろし始める頃、左手に東寺の五重塔が見える。毎回、京都についたんだなぁと実感する。

奈良薬師寺の東塔も有名だけれども、私はこの東寺の五重塔はバランスが良く、すっきりとしていて、いちばん美しいと思う。新幹線からみる遠景もいいし、近景で見上げた姿もいい。

https://www.instagram.com/p/BcwADzOgxR4/

#东寺是我最喜欢的寺院。它常常让我很平静。#京都

東寺は京都ではいちばん立派な仏像がある。講堂の立体曼荼羅は圧巻で圧倒される。口をぽかんと開けてしばし見とれてしまう。最近は、隣の金堂の薬師如来様も気に入っている。講堂は広い空間を埋め尽くすように仏像が置かれているが、金堂の薬師如来様もかなり大きい仏像だけれども、広い空間にゆったりと置かれている。正面に座ってその姿を見上げていると心が落ち着いてくる。

糺ノ森と鴨川合流点

最近、旅先で時間があればジョギングをするのを楽しみにしている。

今回の旅行では、四条烏丸の宿から京都御所を経て、糺ノ森、下鴨神社に行き、鴨川の合流点まで戻って鴨川の河原を四条大橋まで下った。

糺ノ森のあたりもなんだか居心地がいい土地だ。俗な言葉で言えば「風水が良い」感じがする。今回は紅葉の時期も過ぎ、落葉樹の葉は落ちていたけれど、そんなちょっと寒々とした雰囲気も心地よい。いつもアスファルトの上を走っているけれど、やはり落ち葉に覆われた土の上を走るほうがずっと快適である。

漱石が大学を辞めたあと、長期の京都旅行をしたことがある。そのとき、京都帝国大学文科大学長だった狩野享吉の家に泊まったという。その家が、糺ノ森の近くにある。脱俗した狩野亨吉の気質と糺ノ森は似つかわしいように思う。 

https://www.instagram.com/p/BcwT-6GAyKu/

冬の糺ノ森

古代の京都

京都の歴史の地層が興味深いと書いておきながら、ふたつとも古代の京都を選んでしまった。居心地のよい、という観点では古代の土地がよいのかもしれない。

壊れる

マンションが築20年になると

新築のときに入居し現在築20年になるマンションに住んでいる。

一回、大規模修繕工事があった。マンションの躯体自体は問題はないようだが、設備はそろそろ耐用年数を迎え、続々と壊れている。

小規模なマンションなので3年に1回ぐらいの頻度で理事会役員がまわってくる。そうなると、共用部の設備に対してちょこちょこと修繕費が発生する。しばらく前は宅配ボックスを交換したし、近々、玄関の自動ドアと地下室の排水ポンプの交換が必要らしい。

もちろん、専用部、私の住宅内の電化製品なども調子が悪いものがでてくる。

エアコン

入居と同時に4つの部屋にエアコンを設置した。

比較的エアコンは使わない方だと思う。部屋によって使用頻度が違うことも影響しているのか、いちばん使う機会が多いエアコンがリモコンで操作できなくなった。リモコンの故障かもしれないと思い、リモコンを買ってみたがまったく反応しなかった。本体についているボタンを押すと稼働はするのでこの夏はそれで乗り切ったが、電化製品で20年選手だからもう耐用年数は過ぎていると思ったし、現在のエアコンの方が省エネ性能は高いだろうから、エアコン工事が少ない谷間の時期を狙って買い換えることにした。

近所の量販店のエアコン売り場に行ったら、立て板に水のごとく解説してくれる店員がでてきた。型落ちで十分、よけいな機能はいらないと伝え、やや儀礼的な値切り交渉をした結果、10畳用の富士通ゼネラルのエアコンが工事費込みで8万円少々の価格になった。最安値という訳でもないんだろうけれど、まあ、悪くはないと思う。リモコンもふつうに使えるようになったし。

この冬はいつもよりエアコンを使う頻度が高くなった。

インターホン

エアコンの次は、インターホンの調子が悪くなった。

インターホンは、階下の玄関のインターホン機能、オートロック解除機能と、自宅の玄関のインターホン機能が一体となったものである。そのうち、玄関のインターホン機能とオートロック解除機能の調子が悪くなった。それなりの頻度で使うもので、特にオートロックを解除できなくなるのは不便である。

これがマンションのインターホンシステム全体の故障だと話がおおごとになると思いながら、マンション管理会社の緊急対応窓口に連絡し、アイホンの担当者がやってくることになった。

結果としては、わが家のインターホンの問題だったようで、機械を分解して基盤の部品を交換しハンダ付けをしてもらって問題は解消した。理屈はよくわからないが、共用部分の故障と認定され、理事会で負担してくれることになった。

給湯器

玄関の脇の壁にガス栓などと並んで給湯器が格納されている。つれあいが玄関をでたところの床が濡れているを発見し、その水をたどるとどうやら給湯器から水漏れがあるようだ。

水漏れ、すなわち故障という訳でもないようだが、エアコンと同じで耐用年数は過ぎているのは確かで、基盤が濡れると故障に直結するようだ。徐々に水漏れが増えている様子なので、給湯器の交換を検討することにした。

相見積りを見てみようと思い、管理会社紹介の業者、東京ガスライフバル、ネットの業者の三者に見積もりを依頼した。それぞれ自宅にやってきて状況を確認した上で見積もりをだしてくれた。

おもしろかったのは、ちょうど寒くなった時期に各業者に連絡したのだけれども、みな忙しそうだった。寒くなる時期は、給湯器の負荷が高くなるので故障する確率が高いらしい。わが家の給湯器も同じパターンで水漏れがひどくなったのだろう。

東京ガスは高いということはネットで知っていたが、たしかに他の業者より10万円ほど高く、対応はよかったけれどこれでは注文はできない。管理会社紹介の業者とネットの業者が以外にもほぼおなじ価格だったので、信頼性を考えて管理会社紹介の業者にした。

いま設置されている給湯器は、壁に色にあわせて特別な色に塗装されている。今回も同じように特別な色に塗装してもらうことにした。これに1か月ほどかかるらしく、いま、この冬の寒い時期に給湯器が故障しないか心配しながら待っているところ。

次の候補

さて、これからも以下のような故障交換候補が待っている。

  • エアコン:あと3台
  • 冷蔵庫:機能は問題ないが、ドアの取っ手が半分壊れている
  • 洗濯機:洗濯している間に異音が生じている
  • インターホン:マンション内のシステム全体の寿命も近い

テレビは入居してから三代目だから、もうしばらくは行けるはずだ。

 

翻訳の楽しみ

村上春樹翻訳ほとんど全仕事」

村上春樹の本だから予約している人が多いんだろうなぁと思ったけれど、 豊島区図書館のサイトを見たら予約待ちの人がいなかったので、すぐに借りて読むことができた。

村上春樹が翻訳すればふつうの訳者よりはずっと売れるのだろうけれど、それでも村上春樹ファンのなかでは翻訳まで読んでいる人は少ないのかもしれない。

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

 

村上春樹はいろいろな場で翻訳の楽しさについて語っている。この本のなかでも次のように書いている。

じゃあ、小説を書いていないときには何をしているかということになるわけだが、僕の場合、だいたいは翻訳をしているみたいだ。エッセイ連載みたいなこともたまにはやるけれど、週に一度の連載を一年くらい続けると、手持ちのネタはほとんど尽きてしまう。だからそれほど熱心にはやらない。それよりは翻訳をやっている方がよほど楽しい。ネタ―翻訳したいテキスト―はそれこそ山のようにあるし、自分のつたない世界観や考え方をいちいちパッケージして商品化するような必要もないし(とても面倒だ)、それにだいいち文章の勉強になる。人に会う必要もなく、一人で自分のペースで仕事を片付けていくことができる。おまけにこつこつとやっていれば、いくばくかのお金になる。こんな良いことはない。

村上春樹翻訳ほとんど全仕事」のなかで、彼の訳業のすべてが紹介されている。たしかにこつこつと仕事をしてきたことがよくわかる。いつものことながら、彼の継続力には圧倒されるし、尊敬している。

村上春樹の翻訳で私が気に入っているのは、レイモンド・カーヴァーレイモンド・チャンドラーの作品である。

カーヴァーは村上春樹が翻訳しなければ彼の小説を読む機会はなかったと思う。彼を紹介してくれたことに大きな意義がある。

村上春樹訳のレイモンド・チャンドラーを読んでいると、まるで村上春樹自身が書いたハードボイルド小説のようだ。村上春樹は、チャンドラーから影響を受けたことをよく語っているが、そのことが彼の翻訳を読んでいるとじつによくわかる。

翻訳の楽しさ

自分の場合、まったくの趣味として翻訳をすることがある。

長編小説をまるごと翻訳したことはないが、長編小説のなかの気に入った一節、短編小説、ちょっとした記事、インタビューなどだ。英文和訳もあるし、和文英訳もある。たまに古文の現代語訳をすることもある。中国語の翻訳はまだ語学力がついていかないので無理だけども、そのうちできるようになると楽しそうだ。

私の場合、もちろん、翻訳しても「いくばくかのお金」になることはないけれど、「自分のつたない世界観や考え方をパッケージ化」したブログよりは、翻訳をした方が誰かの役に立つ可能性はずっと高いように思う。

この本のなかの村上春樹柴田元幸の対談で、サリンジャーの翻訳の話がでてくる。野崎孝サリンジャーの訳はなかなか癖があって、好き嫌いがわかれる。私のつれあいが「ナイン・ストーリーズ」が好きなので、恐れ多くも「バナナフィッシュにうってつけの日」を翻訳してプレゼントしたことがある。 

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

 

私の翻訳も何かの役には立っている、と思いたい。

国語学習として

この本のなかで村上春樹も書いているが、翻訳は究極の熟読だから、その文章のことを深く理解したいと思えば翻訳をしてみるのはいい方法である。

英語であれ、日本語であれ、読んだだけでは理解したような気になって読み飛ばしていることが多いけれど、翻訳しようと思えば一語一語しっかりと読み込み、構文を確認しなければならない。

辞書を持たずに推測力を働かせながら速読(skimming)することも重要だけれど、たまには翻訳をするぐらいのスピードで熟読することも大切なんだと思う。

 

 

ペンパル

語学学習とブログ

いま、中国語の作文の練習を目的として、中国語と英語と日本語の三か国語のブログを書いている。

ここ(金盾 - Wikipedia)を見る限り「はてな」は遮断されていないようだけれど、中国人読者を獲得したいので中国のブログサービス(新浪博客)で同じ内容を転載している。

yagianchinese.hatenadiary.jp

blog.sina.com.cn

以前、英語のブログをかなり真剣に書いていた時期があったのだが、語学力の向上には効果が大きかったと実感している。

私の場合、語学学習は基本的に独学なので、インプット量を増やすのはさほど難しくないけれど、それに見合ったアウトプット量を確保するのは難しい。だから、定期的にブログを書けば英語のアウトプットは増えるし、また、ネタ探しのために英語のインプットも同時に増える。一石二鳥である。

yagian.blogspot.jp

ペンパルができた

英語のブログは、それなりにアクセスがあった(いまでも検索経由で一定のアクセスがある)。しかし、中国語は英語ほど込み入ったことを書けないから、なかなか自分としておもしろいと思える文章を書くまでに至らない。また、中国には、ごくふつうの素人がブログを書くという風習が定着していないこともあるようで、たまにコメントがつくことがあるぐらいで、なかなかアクセスが増えなかった。

まあ、自分の中国語の作文練習用のブログだから自分が書けばよく、誰も読まなくてもそれはそれでよい。だけど、読者がいて、反応があったほうが自己顕示欲が満たされるし、モティベーションも高まるのは間違いない。

つい先週、中国語のメールが届いた。上海に住む若いプログラマで、英語と日本語を勉強しているという。二か国語を同時に勉強している人を探していて、私のブログにたどり着いたようだ。ペンパルになりたいという。

ブログに読者がいた、ということが純粋にうれしいし、ごくふつうの中国の若者の生活や考えには興味があるし、ペンパルというのも語学学習のいいきっかけにもなる。喜んでペンパル(中国語では「笔友」と呼ぶらしい)になりましょうと返事を出した。

ブログでは、あまり読者を意識せず、書きたいことを書いてきたけれど、それでも長年続けていると、ネット上での思わぬ出会いがあったりする。

30年前のペンパ

学生時代、かれこれ30年ほど前、イスラエルペンパルと英語で手紙をやりとりしていたことがある。当時は文字通りペンで書いた紙の手紙をエアメールで郵送していた。

当時イスラエルまでどのくらいの時間がかかったかよく覚えていないけれど、往復で一週間以上はかかっていたと思う。まさに石器時代だった。

yagian.blogspot.jp

私はなるべくきれいな便箋を使うようにしていたが、先方からはノートをやぶったような紙の手紙だった。イスラエルにはきれいな便箋を使うという習慣がなかったのか、そういう便箋があまり売っていなかったのか、ペンパルにそういう趣味がなかったのか、まだよくわからない。

WeChatをする

石器時代に比べると現代は話が速い。さっそくメールをやりとりして、WeChat(微信)の友だち登録をした。

中国に興味を持ってから、中国最大のメッセージサービスWeChatをiPhoneにインストールはしたけれど、使う相手がいないまま放置していた。やっと使うことができるようになった。

メールを一本書くには、ブログのエントリーを仕上げるぐらいの労力がかかる。チャットはメールに比べるとはるかに敷居が低い。正確に書かなくちゃという意識からかなり解放され(もちろん、完全に解放される訳ではないし、解放されるのがよいのかどうかよくわからないが)、かなり気軽に書くことができる。中国語でなんというんだっけ、と迷えば、英語をまぜればよい。

国語学習が加速するきっかけになりそうだ。

そういえば、そのペンパルの人は、最近アリババが大規模なセールをすることで有名になった「独身の日」(双11)には、特に欲しいものがなかったから買物はしなかったという。ニュースを見ていると、若い人は皆が皆買物をしているような感じがするけれど、まあ、特に欲しいものがないひとは買物をしないのだろうな。