翻訳の楽しみ

村上春樹翻訳ほとんど全仕事」

村上春樹の本だから予約している人が多いんだろうなぁと思ったけれど、 豊島区図書館のサイトを見たら予約待ちの人がいなかったので、すぐに借りて読むことができた。

村上春樹が翻訳すればふつうの訳者よりはずっと売れるのだろうけれど、それでも村上春樹ファンのなかでは翻訳まで読んでいる人は少ないのかもしれない。

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

 

村上春樹はいろいろな場で翻訳の楽しさについて語っている。この本のなかでも次のように書いている。

じゃあ、小説を書いていないときには何をしているかということになるわけだが、僕の場合、だいたいは翻訳をしているみたいだ。エッセイ連載みたいなこともたまにはやるけれど、週に一度の連載を一年くらい続けると、手持ちのネタはほとんど尽きてしまう。だからそれほど熱心にはやらない。それよりは翻訳をやっている方がよほど楽しい。ネタ―翻訳したいテキスト―はそれこそ山のようにあるし、自分のつたない世界観や考え方をいちいちパッケージして商品化するような必要もないし(とても面倒だ)、それにだいいち文章の勉強になる。人に会う必要もなく、一人で自分のペースで仕事を片付けていくことができる。おまけにこつこつとやっていれば、いくばくかのお金になる。こんな良いことはない。

村上春樹翻訳ほとんど全仕事」のなかで、彼の訳業のすべてが紹介されている。たしかにこつこつと仕事をしてきたことがよくわかる。いつものことながら、彼の継続力には圧倒されるし、尊敬している。

村上春樹の翻訳で私が気に入っているのは、レイモンド・カーヴァーレイモンド・チャンドラーの作品である。

カーヴァーは村上春樹が翻訳しなければ彼の小説を読む機会はなかったと思う。彼を紹介してくれたことに大きな意義がある。

村上春樹訳のレイモンド・チャンドラーを読んでいると、まるで村上春樹自身が書いたハードボイルド小説のようだ。村上春樹は、チャンドラーから影響を受けたことをよく語っているが、そのことが彼の翻訳を読んでいるとじつによくわかる。

翻訳の楽しさ

自分の場合、まったくの趣味として翻訳をすることがある。

長編小説をまるごと翻訳したことはないが、長編小説のなかの気に入った一節、短編小説、ちょっとした記事、インタビューなどだ。英文和訳もあるし、和文英訳もある。たまに古文の現代語訳をすることもある。中国語の翻訳はまだ語学力がついていかないので無理だけども、そのうちできるようになると楽しそうだ。

私の場合、もちろん、翻訳しても「いくばくかのお金」になることはないけれど、「自分のつたない世界観や考え方をパッケージ化」したブログよりは、翻訳をした方が誰かの役に立つ可能性はずっと高いように思う。

この本のなかの村上春樹柴田元幸の対談で、サリンジャーの翻訳の話がでてくる。野崎孝サリンジャーの訳はなかなか癖があって、好き嫌いがわかれる。私のつれあいが「ナイン・ストーリーズ」が好きなので、恐れ多くも「バナナフィッシュにうってつけの日」を翻訳してプレゼントしたことがある。 

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

 

私の翻訳も何かの役には立っている、と思いたい。

国語学習として

この本のなかで村上春樹も書いているが、翻訳は究極の熟読だから、その文章のことを深く理解したいと思えば翻訳をしてみるのはいい方法である。

英語であれ、日本語であれ、読んだだけでは理解したような気になって読み飛ばしていることが多いけれど、翻訳しようと思えば一語一語しっかりと読み込み、構文を確認しなければならない。

辞書を持たずに推測力を働かせながら速読(skimming)することも重要だけれど、たまには翻訳をするぐらいのスピードで熟読することも大切なんだと思う。