「やさしさ」と「親切」

いまさら「やさしさ」について考えてみる

いまさらこんな「厨二病」的なテーマのエントリーを書くのもなぁ、と思いつつ、最近「やさしさ」ってなんだろうという疑問がふつふつと湧いてきたので、自分の考えを整理するためもあり、書いてみようと思う。

このエントリーでは「やさしさ」と「親切」という言葉を、独自の定義で使おうと思う。辞書を調べてみればちょっと違う定義が書かれていると思うが、このエントリー内では以下の意味で使う。

このエントリーでの「親切」と「やさしさ」の定義

「親切」とは「誰か対象のある行為、言動で、かつ、それが対象のために具体的に役立つもの」と定義する。ポイントは、行為者に、相手への共感とかおもいやりといった情動が必ずしも伴う必要がないこと、一方で、相手のために具体的に役立つ行為、言動であること、ということである。

「やさしさ」とは「誰か対象への共感に基づく情動」と定義する。ポイントは、情動であって必ずしも行為、言動を伴わないこと、また、相手のために具体的に役立ったり、伝えられたりするとは限らないことだ。

業務上の「親切」は「やさしさ」か?

最近、業務上他者を支援する役割を与えられている。仕事をする上で、できるだけ「親切」に、つまり、支援する相手に対して具体的に役立つように、心がけている。これは、「やさしさ」と関係あるのだろうか?

あくまでも職務として「親切」を実行しているので、基本的には仕事の外のことは切り離している。だから、支援している相手のため、というより、そのことを通じて会社への貢献、突き詰めれば会社の収益に貢献できるか、という視点を持って判断している。その意味では、共感という情動の「やさしさ」とはかなり隔たっている。

とはいえ、実際に相手のために役立つ具体的な行為、言動をするためには、相手の状況を洞察する必要があるし、そのためにはある程度情動面での共感も必要である。実際に「親切」を積み重ねて、相手から感謝の言葉をもらうような機会があれば、情も動く。

一方で、職務としての「親切」は、誰か情が動いた人に手厚くすることは望ましくない。自分の時間、労力を考えて、最大限に効果があるような「親切」の配分を考えなければいけないし、それが情に反することもある。

自己中心的な動機で、しかし、他者に貢献する「シャンパンタワー理論」

最近、自分のなかで「シャンパンタワー理論」というものを勝手に構築している。あくまでも自分を満足させるため、という動機でした行為が、結果として他者に貢献することがある、という理論である。

例えば、私はパンケーキが好きで、粉や焼き方に少々のこだわりがある。少なくとも、自分にとってはおいしいパンケーキが焼ける。休日の朝食、パンケーキが食べたくなると自分で焼いて食べる。もちろん、自分ひとりで食べるのではなく、家族の分のパンケーキも焼く。どうやら好評のようだ。

あくまでも自分がパンケーキが食べたいから、自分で焼いて食べる。副産物的に家族にもパンケーキを焼き、それで家族が喜ぶ。「シャンパンタワー理論」のイメージが分かっていただけただろうか。

家族がパンケーキをよろこんで食べてくれれば、自分として満足度は高まるけれど、別に好まなくてもそれはそれでよい。自分が満足できるパンケーキを食べれればそれでよいのだから。また、自分がおいしいものを食べたい、という欲望はけっこう強いもので、自分が満足できるパンケーキを作るための試行錯誤の結果、他に人にとってもあんがいおいしいパンケーキが焼けてしまうようになる。

人にやさしくしてもらうとき、相手が自分のことを配慮してくれていると思うと、ちょっと負担に感じてしまうことがある。「シャンパンタワー理論」の場合は、あくまでも自分のために自分が勝手にやったことで、結果として周囲に副産物的に恩恵が及ぶ。自分の感覚だと、ちょっとウェットな感じがあり粘つくような「やさしさ」より、スッキリ、さっぱりしている「シャンパンタワー理論」の方が、心地よいような気がする。

個人的には「やさしさ」よりは「親切」の方が好きかもしれない

自分自身の性格を省みるに、我ながら情に薄いなぁと思うことが多い。

そういう前提付きではあるけれど、個人的には「やさしさ」よりは「親切」の方が好きかもしれない。

学習の方法(独学、相互学習、通信教育、コーチング)

独学

最近取り組んでいる語学の習得、資格取得、エクササイズなど、学校に通って教育を受けるのではなく基本的には「独学」でやっている。

どのような教育を受けたとしても、最終的には自分が習得しなければならないし、その習得の瞬間は「独学」になると思う。

例えば、語学を習得するには、ボキャブラリーを増やさなければならない。どれだけ優れたボキャブラリーを増やすメソッドがあったとしても、結局のところ自らボキャブラリーを記憶するというステップは外せない。

日本の公教育における英語教育は批判されることが多い。確かに、40人クラスで語学の教育をするのは難しいと思うし、理想的な教育が実現している訳ではないと思う。もちろん、教室で英語の授業を受けているだけでは実践的な英語の運用能力は身につかない。しかし、今の自分の英語習得までの過程を思い起こすと、公教育での英語教育はそれなりに役立っていると思う。それだけでは英語をマスターできないけれど、マスターするために大いに助けになるし、また、教室以外での「独学」の時間もなければマスターはできない、ということなのだろう。

仕事をしながら何かを習得しようとするなら、自分の仕事と生活のなかで実現できるような学習方法を見出さなければならない。独学ならば自分だけのためのオーダーメイドの学習方法を組み立てることができる。現代は、独学用の教材も充実しているし、インターネットではさまざまツールやマテリアルが無償や廉価に提供されている。自分が若かった時代と比べると、独学環境は遥かに整っている。

とはいえ、独学だと、その分野の非常に基本的な点を理解せずに見落としてしまう危険性がある。また、初学者の時期は、自分にとって最適なオーダーメイドの「独学」カリキュラムを作り上げるのも難しいかもしれない。

相互学習

「独学」が中心であるけれど、完全に孤立して学習している訳ではない。「学校」という場に通うことはないけれど、いろいろな形態で他者と関わる機会は作っている。

このブログでも何回か紹介しているけれど、語学学習では”Lang-8”という相互学習のSNSにずいぶんお世話になっている。仕組みはシンプルで、学習したい外国語で書いた文章を掲載する。そして、その言葉のネイティブが添削をしてくれる。一方、自分も自分のネイティブランゲージ(日本語)の作文を添削する。

lang-8.com

他者の添削をするという「労力」を提供しているけれど、基本的に無料ということも大きな魅力だ。それだけではなく、外国語を学習するというモティベーション共有した人たちが集まっているので、打ち解けやすいいい雰囲気のコミュニティができあがっている。継続的に作文を書き続けるためのモティベーションを維持することはかんたんではないが、コミュニティの支えがあって続けられることもある。

個人レッスン

中国語でSkypeを使った個人レッスンを受けている。

複数の学習者によるレッスンは学習者同士の相互作用があるので一概に否定はできないけれど、やはり個人レッスンは密度が濃いし、カリキュラムをオーダーメイドで作れるメリットは非常に大きい。

誰しも個人レッスンを受けられればよいのだが、コストの問題もあるし、よい先生を個人レッスンに拘束することは難しいだろう。Skypeを使った語学の個人レッスンはコストの面ではすばらしいソリューションだと思う。

確かにSkypeの語学の個人レッスンは、体験的に言うと先生の質のばらつきは大きいよ印象がある。もし、何人かの先生のレッスンを受けて、最後に自分に合ったよい先生を見つけることができさえすれば、学校に通うよりは効率的で効果も大きいだろう。

通信教育

簿記3級の試験準備は完全に独学でやっていたけれど、いま進めている簿記2級の準備は通信教育を試している。オリジナルテキストとそれを解説する動画(DVDも送られてきたが、スマホでも見ることができる)、問題集、合格体験記など。まだはじめて1か月経っていないが、最初に勉強の方法、ペース、計画づくりについて細かい指導があるのが印象的だった。

いままで通信教育を試したことはなかったので、独学と比べてどのくらい効果があるのか確かめてみようと思っている。上にも書いたが、独学だとすごく基本的なことが抜けてしまうことがありそうなので、それを防ぐ効果はあるように思う。

また、簿記2級の試験を受けたら、通信教育の効果をブログで報告できると思う。

コーチン

ハーフマラソンは、セルフ・コーチングで、いちおう目標を達成できた。しかし、ゴルフはどうにも伸び悩んでいる。自分でじっくり練習する時間も必要だけれども、そろそろまたコーチングを受けてみようかなと思う。ただ、スクールに通うのではなく、個人レッスン系(ライザップではない)にしてみようかなと考えている。

コーチングについても、しばらくしたら報告しようと思う。

ハーフマラソンに参加した

第19回ハイテクハーフマラソンに参加した

最近、ちょっと長めの距離を走ってみたいという気持ちになり、第19回ハイテクハーフマラソンに参加した。ハーフマラソンははじめての体験で、これまで連続して走った距離としてはいちばん長い。

結果は、ネットタイムで1時間57分42秒で、2時間を切ることができたので満足している。ちなみにネットタイムというのは、参加者が多いマラソンやハーフマラソンではスタートの号砲が鳴ってからスタートラインに到達できるまでに時間がかかるので、実際にスタートラインからゴールラインまで到達するまでにかかった時間のことである。

sporoku.jp

スプリットタイムを見てみると、15kmまでは5分20秒/km前後のペースで安定しているが、それを過ぎてから落ちはじめ、19kmからは6分/kmを超えるペースになってしまっている。

connect.garmin.com

第一の目標としてはこのレースの制限時間2時間30分以内で完走すること、次の目標は2時間以内のタイムで走ることだった。

当初の計画は5分30秒/kmでいければ2時間を切れるということだった。平均すればほぼ計画通りのペースになっているが、最後のスタミナ切れは計画通りとは言えない。

このレースでは、河川敷を往路は下流に向けて走り、復路は上流に向けて戻ってくるコースだった。かなり風が強く、往路は追い風、復路は向かい風だった。往路は緩やかな下りで、かつ追い風でもあり、計画以上のペースで調子よく走ることができた。問題は折り返し点を過ぎて、緩やかな上り坂、かつ向かい風になってもむりにペースを維持したことだと思う。往路で気持ちよく走れた分、調子がよいと思って走ってしまったが、ここは自重すべきだった。

特に19km以降は6分台/kmになり、腿や足首が痛くなり、もう歩きたい気持ちでいっぱいだった。特に、土手を登るところは気持ちはジョギングだったが、傍から見ればよろよろと歩いているようにしか見えなかっただろう。このくらいになると歩いている人も多く見かけた。

もちろんラストスパートなどはできず、なんとかゴール。そこから家に帰り着くまでがかなり辛かった。

ハーフマラソンに向けた練習

去年の3月に目白ロードレースという5km少々のレースにエントリーしていた。このときは気合いを入れすぎ、直前の練習の負荷が高すぎたようで、レースの前日から腰痛になり欠場してしまった。今回はその反省を踏まえ、あまりハードに練習しない、休養は十分取るという方針で準備を進めた。

普段、有酸素運動は水泳をしているのだけれども、9月の末ごろ、やや涼しくなってきたところでジョギングを始めた。ジョギングの記録(ガーミンというメーカーのランニング用ウォッチ"ForeAthlete 220J"を使っていて、自動的にログが作成される)を見ると、25回練習できている。だいたい4日に1回ぐらいのペースだった。

基本的には、わが家の近所で6kmの周回ルートを設定して、そこを1周していた。11月に1回2周(12km)、12月に1回3周(18km)ほど長距離の練習した。6kmの周回では、概ね5分ジャスト~30秒/kmぐらいのペースで走っていた。特に目標ペースは決めていなかったけれど、自然に身体が動くままに任せて走るとこのくらいのペースが気持ち良い。

今思うと、もう少しゆっくりしたペースで長距離を走る練習をしてもよかったかもしれない。12月に18km走ったときは5分16秒/kmで行けたので、ハーフマラソンを甘く見たところがあった。18kmから先の3kmがきつかった。

レースの後に思うこと

水泳と比べるとジョギングは身体への負担が大きいと感じている。アスファルトの上を走るのは身体への衝撃が強い。あまり走りすぎるのも返って健康によくないかもしれない、と思う。 

もし、今後フルマラソンを目指すなら、練習の距離を伸ばす必要があるだろうし、単純にイーブンペースでジョギングをするのではなく、インターバルなど強度も強める必要がありそうだ。

しかし、今の生活を考えると練習時間を増やすのは少々厳しいし、より速く、より長く走ることが楽しいことなのか疑問もある。10kmを気持ちよく風を切って走るとか、ハーフマラソンをのんびり走る、ぐらいがよいかも、といまは少々弱気になっている。

とはいえ、最後の苦しい距離を歩かずにゴールできたことには満足感がある。自分ひとりで気軽にできるところも気に入っているし、記録を取りながら練習計画を考えて、レースのペースを決めたりすることも性に合っている。しかも、今回は結局その計画のペースを達成できた。

とりあえず一週間、身体を休めてみた。これからどうするかは、身体に聞いてみようと思う。

次の戌年には定年再雇用になっている

今年の正月は、4日と5日に有給休暇を取ったので、11連休になった(といっても、旅行などはしていないけれど)。

初出勤日は9日で、街も会社も、もうすでに正月気分ではなくなっていた。初出勤日にはいつも会社の裏手の丘に上にある神社に初詣をしている。毎年、干支にちなんだ縁起物を買っているのだけれども、今年はもう売り切れだという。

11日は誕生日で51歳になる。次の戌年に縁起物を買う頃には63歳になっている。

今の会社の制度が変わらなければ、60歳で定年、その後65歳までは定年再雇用が可能となっている。

私がいつまで今の会社で勤務しているかわからないし、また、この会社が今の場所にあるか、会社自体が存続しているかもわからない。雇用規則も変わっているかもしれない。けれど、もし、今の会社に勤め続けているとすれば、次の戌年の縁起物を手にする時には定年再雇用になっているはずだ。

いまはまだ自分が衰えたという実感はあまりない(老眼は進んでいるけれど)し、まだ成長しようという意欲はある。けれども、これから自分が身につけたことは、それを使える期間は限定されているということを、具体的な数字で突きつけられることがある。今回の干支の縁起物にも、その事実を思い起こさせられた。

だからといってあまりがっかりすることもない。淡々と今を生きようと思う。

江戸五色不動、江戸三大鬼子母神、江戸三十三観音

御朱印帳の流行の功罪

年始になると初詣で寺社は混雑するので、年末にご朱印をいただくためにいくつかのお寺を巡ってきた。

御朱印帳を持ってお寺に参詣するようになってもう8年になる(こういうとき、ブログを書いていると過去の記録がすぐ検索できて便利だ)。そのころはいろいろと辛いことがあったので、参拝をしてご朱印をいただくことにはそれなりの思い入れがある。

yagian.hatenablog.com

そのころに比べると寺社で御朱印帳を持っている人はずいぶん増えた。ご朱印をいただくために行列ができることもある。この流行に対して批判的な意見もあるようだ。御朱印帳は、納経帳とも呼ばれ、ご朱印は納経した証としていただくものらしい。今では、ろくに参拝もせずにスタンプラリーのようにご朱印をいただく人もいるようだし、システマティックに対応するだけの人を用意できない小さな寺社では負担になることもあるようだ。

それでも私自身はこの流行に肯定的である。別に信心なく寺社に観光目的で訪れることは御朱印帳を持たなくてもふつうにある。ご朱印をいただくためにインターホンを押してお寺の人にお願いするのは緊張して、自分の信心を呼び覚ますきっかけになるし、コミュニケーションをする機会にもなる。

小さなお寺の場合、対応できないときは対応しない、ということでよいのではないだろうか。もし、ご朱印をいただけなかったら、また別の機会に参拝すればよいのだから。

都電(東京さくらトラム)と目黄不動(永久寺)

今回は、まず、三ノ輪にある目黄不動(永久寺)に参拝した。

自宅の近くにある目白不動からはじめて五色不動を巡っている。目黄不動江戸川区平井最勝寺と三ノ輪の永久寺の二つある。この三ノ輪永久寺の目黄不動に行けば、最勝寺は残っているけれど、いちおう五色がそろうことになる。

五色不動 - Wikipedia

三ノ輪に行くために、地元の東池袋四丁目から都電荒川線に乗っていった。

東京都交通局は、都電荒川線に「東京さくらトラム」という愛称を付けているようだが、きっと定着しないんだろうなぁと思う。名前が長すぎるし、なんか、そんな風に呼ぶには照れくさいし。まあ、都電は都電でよいのではないだろうか。

www.kotsu.metro.tokyo.jp

目黄不動は観光化されていない、地域に馴染んだお寺だった。ご朱印を待っている間、お墓参りをする老人が火の付いたお線香を買っていった。

浅草寺と下町と国際化

 三ノ輪から吉原を通り抜けて浅草寺まで歩いていった。

もう年末だったから一葉記念館がお休みだったのはちょっと残念だった。ずいぶん立派な建物だった。30歳代の10年間をかけて日本近代文学の代表作を時代順に読んでいった時期がある。樋口一葉は、その当時、女流作家が少なかったため注目を集めたということもあるのだろうけれど、現代から同時代の小説を読み比べると突出しているという印象がある。私は「にごりえ」が好きだ。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

 

下町は関東大震災東京大空襲で二回燃えてしまったため、現在の町並みは思いのほかすっきりしていて、下町情緒を見つけることは難しい。むしろ、震災の被害を受けていない根津界隈や、私が今住んでいる雑司が谷のあたりの方が、ごちゃごちゃしていて「下町」のイメージに合致しているかもしれない。とはいえ、このあたりの町の「古民家」は、古くても大正から昭和初期に建てられたものだから、それほど古いとはいえないけれど。

浅草寺は年末も人でいっぱいだった。とはいえ、初詣の時期だったら身動きができなかっただろうから、今日来て正解だったと思う。中国の年末年始の連休は春節の時期だから、今浅草寺に来ている観光客は中国人ではないようだ。話している言葉がよく聞き取れないけれど、タイ人やベトナム人が多いように思う。

浅草寺では御朱印帳も購入して、江戸三十三観音巡礼をはじめた。外国人でご朱印をいただいている人も多い。たしかに、私が外国人として東京に駐在していたたら、御朱印帳を持って東京の寺社を巡っているかもしれない。 

江戸三十三箇所 - Wikipedia

恐れ入谷の鬼子母神

浅草から入谷まで歩き、入谷鬼子母神ご朱印をいただいた。

雑司が谷にある鬼子母神には、いつもお世話になっている。前回書いたエントリーで、京都の東寺が居心地がよいと書いた。東寺の金堂や講堂は心が落ち着く空間である。しかし、あまりに立派すぎて気軽に悩み事を打ち明けられる雰囲気ではないことも確かである。東京に多くある江戸時代に作られたお不動様や鬼子母神の仏像は、奈良時代平安時代に作られた「芸術的な」仏像とは違って、わかりやすく炎に包まれていたり、恐ろしげなお顔をしていたりして、ちょっと近づきやすい感じがする。

yagian.hatenablog.com

五色不動や三大鬼子母神をお参りすることは、信心深くはない自分だけど、 ちょっとホッとした気持ちになれる。

江戸三大鬼子母神を歩く

上野の山のプチ京都

今日のお参りは、上野の山にある清水観音堂で終わりにする。

江戸時代、上野の山は比叡山に、不忍池が琵琶湖に見立てられていたらしい。清水観音堂は、京都の清水寺という役回りで、上野の山の斜面に小さめの「清水の舞台」が設えてあった。

五色不動もあと平井の目黄不動が残っているし、三大鬼子母神市川市にもう一つある。江戸三十三観音はまだはじめたばかり。これからもゆるゆると巡礼をしていこうと思う。

新年の抱負:頼られるスターターを目指す

今年の抱負を振り返る

去年の年末に今年の抱負を書いたエントリーがある。読み返してみた。

yagian.hatenablog.com

すべてが実現できた訳ではないけれど、大きく言えば目指している方向に進めたと思う。こういう風に文字化したからこそ目標をしっかりと意識できたし、いい方向に進めているんだと思う。

項目にわけて今年一年を振り返り、新年の抱負を書いてみようと思う。

体調維持

今年いい一年を過ごすことができたのは、体調維持ができたからということをしみじみ感じている。体調がよいからこそ、ルーティーンを守り、エクササイズもでき、そのことが体調を維持に役立つ、という好循環ができた。

あと、以前はルーティーンを守ることを決めると、調子が悪くてもそれをムリに維持するようなところがあった。最近は、調子が悪いときはいったんお休みを入れて、また回復したらルーティーンに戻るということもできるようになった。

最近ジョギングをしているけれど、もうこの歳になると走り込めばいいというものではないなぁと感じる。負荷と疲労からの回復期間を考えてスケジュールを組まないと逆効果になるということがわかってきた。

調子の悪いときは悪いなりのピッチングで、調子の良いときは内角に思い切ったストレートを投げ込み、シーズンを通してローテーションを守る、そんな頼られるスターターを目指したい。

【来年の目標】

  • 健康維持のためのルーティーンをキープする
  • 疲れたときはムリせずルーティーンを休む
  • 調子のいいときも悪いときもそれなりのピッチング

仕事での挑戦

今年の仕事上の目標は、一緒に仕事をしている人から信頼されることと、少しでも成長を続けることだった。

上司からの評価のフィードバックは良好で、いま一緒に仕事をしている人たちとも概ね信頼関係は構築できたように思う(もちろん相性が悪い人はいるけれど)。また、私の過去の調子悪かった時期について気にしている人も少なくなったようで(確信はないけれど)、フラットに自分のことを見てもらっているような気がする。その意味で、過去のマイナスは概ね返済でき、スタートラインに戻れたようだ。

仕事の上で挑戦したことは、チーム・ビルディングを実現するためのマネジメントと、研修講師である。前者は道半ばだけれども個人的には気づきは多かった。後者はそれなりの研修ができたように思うけれど、もし今後も任せてもらえれば改善したいところは多々ある。

中期的には会計を理解しておきたいと思い、今年はとりあえず簿記三級の試験を受験して合格した。

【来年の目標】

  • 周囲に信頼される頼られるスターターを目指す
  • チーム・ビルディングは継続、信頼感があるチームを作る
  • 実践的な研修を提供する
  • 簿記二級を受験する(6月)

プライベートでの挑戦(フィジカル)

プライベートではフィジカルな挑戦とインテレクチュアルな挑戦に大別できる。

フィジカルな挑戦では、身体の基礎づくりと、ジョギング、スイミング、ゴルフに取り組んだ。

家で自重のトレーニングはしていたけれど、5月からジムに通いマシントレーニングをするようになり、タンパク質をきちんと摂取するようにした。筋力も向上しているように思う。例えば、ジョギングで坂を登るときに、脚力が増したような感じがする。あと、年末、ジムでフリーウェイトのトレーニングをちょっと習った。これは来年のトレーニングのテーマになると思う。

今年の目白ロードレース(3月)の前、トレーニング過多だったのか腰痛が再発して参加できなかった。年明けにハーフマラソンのレースに出場予定だけれども、きちんと休養を取りつつ、ムリのない範囲でトレーニングをすることが重要だとわかった。

自分にとってスイミングはトレーニングというよりリラクゼーションに入る。水の中にいるだけで気持ちがいい。タイムを追い求めたりしたいとも思わない。これからもなるべく長い間泳ぎ続けることができればよいと思っている。

ゴルフは、これまでより頻度高く練習場に通い、考えながら練習をして、それなりに改善したと思う。秋に103のスコアがでて、次は100を切れるかもと思ったが、冬のラウンドは120を超えてしまった。来年も100を切ることが目標。久しぶりにレッスンも受けてみようかなと思う。

【来年の目標】

  • ムリのない範囲でフリーウェイトのトレーニング
  • ハイテクハーフマラソン(1/14)、目白ロードレース(3/4)を完走する
  • スイミングでリラックスする
  • ゴルフで100を切る(レッスンを受ける)

プライベートでの挑戦(インテレクチュアル)

インテレクチュアルな領域では、語学と上記の簿記が今年の挑戦だった。

英語はTOEICを受験して自己記録を更新できたことは満足できた。中国語は中国語検定三級に合格し、中級の入口までたどり着けた。広東語もほそぼそと練習しているけれど、まあこれは継続さえできていればよいと思う。

自分の英語の能力のバランスを考えると、やはりスピーキングが他の三技能に比べて劣っている。今年後半はそこに注力をしたけれど、実践の機会に乏しいので自分の実力がはっきりしないところがある。余裕があればSkypeレッスンも受けてみたいが、そこまで手が回るかはわからない。

中国語の学習では、Skypeのレッスンを受けることと、週一回のブログを書くことが今年本格的に取り組み始めたことで、継続することができた。中級で向上するには地道にボキャブラリーを増やして、文型を使えるようになる訓練をする必要があるだろう。今までのインプットは教材が中心だったので、インターネット上の中国語を読んでインプット量を増やしたい。次は中国語検定二級が目標になるが、ちょっと距離が遠い。中国語検定三級と二級の中間のレベルで、HSK(中国政府が実施している中国語のテスト)5級の試験がある。とりあずこれを目指したい。

簿記は今年の終わりに3級に合格した。電卓をせっせと叩くのが久しぶりで、ある意味新鮮な感じがした。練習問題を解いているとケアレスミスが少ない時、多い時があり、知力、集中力の調子の上下がわかって、それはそれで興味深かった。べつに税理士になりたいわけではないので、今年の前半に2級の試験を受験して、それで会計の学習に目処を付けたい。

【来年の目標】

  • TOEIC Speaking & Writing受験(下期)
  • HSK5級受験(下期)
  • 広東語学習継続
  • 簿記2級受験(6月)

読書と旅行と巡礼

今年の目標に「もう少し長い射程を持った古典的な本を中心に読もう」と書いたが、これは達成できなかった。今年の前半は会社の研修を組み立てるためにビジネス書を集中的に読み、後半は社会科学研究会の活動に参加したこともあり、比較的時事的な本を読むことが多かった。来年はやはりもう少し骨太の本をきちんと読みたいと思う。

グローバリゼーションの歴史はあいかわらず追いかけている。中国語の学習も、華僑華人の歴史を知る手段という目的もある。今年の終わりに萬福寺に行き、禅宗を通じた日中の交流というテーマも発見できた。グローバリゼーションの歴史への知識を深めていきたい。

毎年夏に比較的まとまった旅行をしているが、今年の旅行先はまだ未定。いずれにせよ、どこかグローバリゼーションの歴史に関わりがある旅行にしたい。

鎌倉三十三観音巡礼を結願し、最近は東京十社五色不動のお参りをしてきた。来年は江戸三十三観音巡礼に挑みたいと思う。お寺が集中していることころはジョギングをかねてお参りするのも楽しいと思う。

【来年の目標】

家のインフラ整備

 新築で入居したマンションが築20年になる。詳しくは「壊れる」エントリーに書いたが、ライフスタイルも変わり、電化製品が壊れだし、今年はリビングダイニングの家具を 入れ替え、クーラーと給湯器を交換することになった。

来年は、まず、洗濯機を洗濯乾燥機に買い替えて、家事の効率化を図ろうと思う。浴室のリノベーションもしたいところだが、これは再来年以降だろうか。

yagian.hatenablog.com

 【来年の目標】

  • 洗濯乾燥機の購入 

 その上で固執しない

 ここまであれこれ目標を掲げてきた。

しかし、そのことは頭に置きつつ、あまり固執はしたくないと思っている。

その時その時の状況に柔軟に対応していきたい。

京都の居心地の良いところ

歴史の地層

先週末、つれあいの出張のご相伴で京都に行ってきた。

奈良の寺院に行くと、鎌倉時代や江戸時代に作られた建築物、仏像も多いけれど、古代の雰囲気にひたることができる。ただし、それ以降の歴史を感じることはできない。一方、東京ではどれだけ遡っても江戸時代後期より古い文物はほとんどない。

京都は古代から中世、近世、近代までの文物がそろっていて、京都の地を舞台に展開してきた歴史が地層にのように積み重なり、その断面を見ることができる。

現代の京都の中核は、中世から近世にかけての時代に形成されたと思う。多くの古代の仏像が残されている奈良の寺院に比べると、中世に伝来した禅宗と庭園が京都の寺院の特徴だ。しかし、古代から伝わる寺社仏閣もあるし、また、江戸時代、幕末を経て近代の建築物も多い。

そんな京都の歴史の地層のなかから、私が居心地がいいと思うところについて書いてみようと思う。

東寺

新幹線で東京から京都に行く時、大津を過ぎてトンネルを抜けるとそろそろ網棚から荷物を降ろし始める頃、左手に東寺の五重塔が見える。毎回、京都についたんだなぁと実感する。

奈良薬師寺の東塔も有名だけれども、私はこの東寺の五重塔はバランスが良く、すっきりとしていて、いちばん美しいと思う。新幹線からみる遠景もいいし、近景で見上げた姿もいい。

https://www.instagram.com/p/BcwADzOgxR4/

#东寺是我最喜欢的寺院。它常常让我很平静。#京都

東寺は京都ではいちばん立派な仏像がある。講堂の立体曼荼羅は圧巻で圧倒される。口をぽかんと開けてしばし見とれてしまう。最近は、隣の金堂の薬師如来様も気に入っている。講堂は広い空間を埋め尽くすように仏像が置かれているが、金堂の薬師如来様もかなり大きい仏像だけれども、広い空間にゆったりと置かれている。正面に座ってその姿を見上げていると心が落ち着いてくる。

糺ノ森と鴨川合流点

最近、旅先で時間があればジョギングをするのを楽しみにしている。

今回の旅行では、四条烏丸の宿から京都御所を経て、糺ノ森、下鴨神社に行き、鴨川の合流点まで戻って鴨川の河原を四条大橋まで下った。

糺ノ森のあたりもなんだか居心地がいい土地だ。俗な言葉で言えば「風水が良い」感じがする。今回は紅葉の時期も過ぎ、落葉樹の葉は落ちていたけれど、そんなちょっと寒々とした雰囲気も心地よい。いつもアスファルトの上を走っているけれど、やはり落ち葉に覆われた土の上を走るほうがずっと快適である。

漱石が大学を辞めたあと、長期の京都旅行をしたことがある。そのとき、京都帝国大学文科大学長だった狩野享吉の家に泊まったという。その家が、糺ノ森の近くにある。脱俗した狩野亨吉の気質と糺ノ森は似つかわしいように思う。 

https://www.instagram.com/p/BcwT-6GAyKu/

冬の糺ノ森

古代の京都

京都の歴史の地層が興味深いと書いておきながら、ふたつとも古代の京都を選んでしまった。居心地のよい、という観点では古代の土地がよいのかもしれない。