今昔物語集の現代語訳

先週(id:yagian:20041129#2)からはじめた「今昔物語集」の現代語訳の参考にしようと思い、福永武彦訳「今昔物語」(ちくま文庫)(ISBN:4480025693)を読んでみたら、翻訳文のできばえのレベルがあまりにも違う。自分の現代語訳は自分の楽しみのための習作のつもりとはいえ、がっかりしてまった。
英語の翻訳をしているときも、出版されているプロの翻訳を参考にすることがある。思い上がりではあるけれど、実は、それほど差がないのではないか、部分的には、自分の訳の方がよいのではないかと思うこともある。しかし、「今昔物語集」の福永訳と自分の訳は、差がありすぎて、比較することすらもおこがましい。(いずれ、福永訳と自分の訳とが、どう違うのか、具体例を比較しながら考えてみたいと思う)
英語の翻訳者にもいろいろな人がいるけれど、基本的には、英語の研究者が中心である。それに比べると、福永武彦は、日本語の小説家として一流の人である。英語の翻訳者と福永武彦との間に、日本語の能力に大きな差があるということかもしれない。
自分が「今昔物語集」を現代語訳する時には、「新日本古典文学大系」(岩波書店)を底本にしている。その際、この本に書かれている注釈を参考にしている。注釈に書かれている現代語での言葉の解釈を読むと、確かに意味はわかる。しかし、注釈に書かれている言葉をそのまま現代語訳に使うことはできないことが多く、言い換えに工夫が必要になる。仮に、「新日本古典文学大系」の注釈者が、「今昔物語集」の現代語訳を書いたとしたら、福永武彦訳のようなみごとな翻訳にはならないのかもしれないとも思う。
自分自身による「今昔物語集」の現代語訳のできはさておき、現代語訳という作業をしていると、いろいろと気づくことがあって楽しい。自己満足が目的なのだから、自分の好きなように訳せばよい話ではあるけれど、福永武彦訳のようなすぐれた訳が存在している以上、これとは違う流儀の翻訳にしようと思う。
福永武彦訳は、意味に関しては忠実な翻訳だけれども、こなれた現代日本語になっているだけ、原文のリズムとは離れているところがある。そこで、自分の現代語訳は、なるべく原文に忠実な直訳となるように、いくつかのルールを設定して改訂することにした。
そう考えて「新日本古典文学大系」の「今昔物語集」を読み返してみると、句点や読点、かぎ括弧や段落などがついているけれど、オリジナルの「今昔物語集」はどのような形であったのか気になった。
インターネットで探してみると、都合がよいことに、京都大学附属図書館に所蔵されている「今昔物語集」の最古の写本である旧鈴鹿家蔵の写本の映像を見ることができる。これを見てみると、句点、読点、かぎ括弧や段落の区分はない。もし、完全に原本に忠実な翻訳とするならば、句点、読点、かぎ括弧、段落をなくすことになる。
しかし、句点や読点をすべて取り除いてしまうと、現代語としてはきわめて読みにくい文章になってしまうため、句点や読点はつけることにした。オリジナルの「今昔物語集」は、現代語と比べれば一文の長さがかなり長いけれど、オリジナルの文章のリズムを崩さないようにするために、これを分断することはせず、一文は一文のままあつかうことにした。こうすると、句点の位置は、ほぼ自動的にきまる。読点についてはまだルール化できていないため、読みやすさやリズムを考えながら、ケースバイケースで打っている。読点のルール化は、今後の課題だと思う。
また、会話をかぎ括弧でくくるのはやめることにした。注意して読めば、会話か、地の文かは区別がつくし、この方が古文の雰囲気が伝わるようにも思った。
段落はなくしても読むことは可能だと思ったけれど、字がぎっしりと詰まっているのを見ると、読み手が読む気力を失ってしまいそうなので、最低限の改行は入れることにした。「今昔物語集」の各説話の冒頭と末尾は、定型がある。冒頭は、「今ハ昔」で始まり、主題となる登場人物が紹介される。末尾は、編者のコメントがあって「トナム語リ伝ヘタルトヤ」で結ばれている。この冒頭と末尾の部分は独立した段落として扱った。その間にはさまれている部分は、明らかな時間の経過や話題の転換があった場合には、段落を改めることにした。
今日は、いままで訳したものを見直して、新たに「下野の守為元の家に入る強盗の話」を訳した。
池上洵一「『今昔物語集』の世界」(筑摩書房)を読んでいると、その中で紹介されている話は訳したくなってくる。この「下野の守為元の家に入る強盗の話」は、厳冬の京都で、盗賊に服をはぎ取られた女房が凍死した上に野犬に食われてしまうという凄惨なところに心をひかれて訳すことにした。
これ以外にも、まだまだ訳してみたい話があるし、「今昔物語集」とこれを題材にした小説の比較もしてみたいと思っている。
もうしばらくは、「今昔物語集」を読み進めようかと思う。