野生と家畜その2

しばらく前、フランス語には家畜であるイエウサギを意味する"lapin"という言葉と、野生のノウサギを意味する"liévre"という言葉があることを知った。日本語ではまとめて「兎」と呼んでいるのに、なぜ、フランス語では区別しているのか、という疑問についてあれこれ考える日記を書いた(id:yagian:20050710)。
ウサギと逆に、イノシシとブタは、日本語では区別があるが、フランス語や英語では区別されていない。フランスでは、ノウサギジビエ(獣肉)の重要なレパートリーであり、日本では、イノシシは古来から狩猟の対象となってきた。そこで「食用にされた野生動物は、家畜化された動物と区別された名称を持つ」のではないか、という仮説を提示して、その日の日記をしめくくった。
昨日の土曜日、豊島区中央図書館に行き、動物図鑑や辞典をひっくり返して、ウサギとイノシシ、ブタについて、もう少しつっこんで調べてみた。その結果、結論にはたどり着けなかったけれど、この前立てた仮説はかなり怪しいこと、動物の名称は、その動物がある地域に移入された時期や移入の経緯に依存しており、偶然性が高く一般的な法則を導きだすのは難しそうだ、ということがわかってきた。
まず、ウサギについて、新たにわかったことをまとめてみたい。
動物学的には、ウサギ科は、アナウサギ類とノウサギ類に分けられ、アナウサギ類をフランス語で"lapin"、英語で"rabit"と呼び、ノウサギ類を"liévre"、"hare"と呼ぶ。したがって、動物学的には、"lapin"には野生のアナウサギ類も含むから、家畜のイエウサギを"lapin"と呼ぶ、という言い方は正確ではないということになる。
ノウサギ類は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカなど広く分布しており、フランス、イギリス、日本でも古くから分布していたようだ。前述のように、フランスではノウサギジビエ(獣肉)のなかで重要なレパートリーとなっており、日本でも縄文時代よりノウサギは食用とされてきたという。フランスほど重要な食料ではないかもしれないが、日本でもノウサギは食料であったようだ。特に、山間部では珍重されていたという。
一方、野生種のアナウサギは、南北アメリカ、アフリカの一部、イベリア半島に分布が限られている。イベリア半島アナウサギが家畜化され、15〜16世紀に重要な食料源としてヨーロッパ全体に普及した。特に、修道院で食料としてアナウサギが飼育され、現在ヨーロッパで生息している野生アナウサギの多くは、ここから逃げ出したものの子孫だという。さらに、日本にイエウサギがもたらされたのは、明治維新後である。したがって、フランス、イギリス、日本においては、野生種のアナウサギは存在しないため、アナウサギを家畜化されたイエウサギと同様のものとして扱っても大きな誤りではないだろう。
手元にないので記憶のみで書くが、志賀直哉に「兔」という短編があった。兎を飼いたいとお願いする娘に対し、父親である志賀直哉が「最後は食べてしまうぞ」と言うが、娘は父親が結局は兎を殺すことができないことを知っている、という内容だったように記憶している。これは、イエウサギが食料とするための家畜からペットに移行する時期のエピソードだろうと思う。これを読む限り、日本でもかつてはイエウサギが食料として考えられていたことがわかる。
ヨーロッパでは、イエウサギが広がった15〜16世紀の頃、森林を切り開き、農地の開発が進められ、家畜の放牧のため害獣が駆除された。その結果、走ることができる広い草原、天敵の不在、栽培作物という豊富な食料というウサギに好適な環境ができあがったという。ピーターラビットは、農家であるマクレガー一家の裏の穴に住んでいるが、まさに、このウサギに好適な環境に適応しているアナウサギの典型例ということになるだろう。ピーターラビットは、作物を荒らしてマクレガー一家に追われる。また、忙しそうに走り回って穴に飛び込む「不思議の国のアリス」の兔は、もちろん、穴をねぐらにしている野生アナウサギである。一方、因幡の素兔は、日本にアナウサギが移入されるはるか昔の説話だから、ノウサギであろう。
さて、フランス語や英語にはアナウサギノウサギの区別があり、日本語や中国語ではまとめて「兎」と呼んでいるのは、なぜだろうか。
フランス、イギリス、中国、日本ともに、ノウサギは広く生活する在来種であり、狩猟の歴史も古い。一方、アナウサギは家畜種として、ヨーロッパでは15〜16世紀、日本では19世紀に導入された。したがって、ノウサギに相当する呼び名は、もともとそれぞれの言語にあったと考えられる。アナウサギが移入される際、フランスやイギリスでは、ノウサギと区別するために、外来の名称が使われたか、新たな名前が付けられたのではないだろうか。一方、日本では、導入される際にウサギの一種と認識され、新しい名前が付けられなかった。
それでは、なぜ、フランスやイギリスでは移入の際に新たな名前が与えられ、日本ではウサギの一種と認識されたのだろうか。このことを考える前に、イノシシとブタの事例について見てみたい。
イノシシはヨーロッパ、アフリカ、アジアに広く分布している。約9000年前、農耕の開始とともにヨーロッパとアジアで独立して家畜化されたと考えられているという。中国語では、イノシシとブタを区別する言葉がないのは先の日記(id:yagian:20050710)で書いたとおりだが、ヨーロッパでもアリストテレスの博物誌では、「野生のイノシシ」「馴らされたイノシシ」という言葉で呼んでおり、イノシシとブタの双方が存在していたことは間違いないが、区別する言葉がなかったようだ。
やや余談になるが、ウサギに適した環境をもたらしたヨーロッパの農耕地の開拓は、イノシシにとって住みよい森林という環境が失われることを意味していたという。その結果、イギリスでは、16世紀には野生のイノシシは絶滅した。フランスでは、ジビエとして食べられる「イノシシの仔」をmarcassinと呼ぶようだが、ノウサギジビエliévreほどは一般的でないようだ。
日本では、イノシシは古くから狩猟の対象であり、食用とされてきた。「シシ」とは肉や肉を食用とできる獣一般を意味し、狩猟の主な対象であった鹿とともにイノシシを指すことが多く、後に、猪をイノシシ、鹿をカノシシと呼び分けるようになったという。このように、イノシシは、日本では現在に至るまで重要な狩猟の対象である。
一方、日本でブタを飼養が始められた時期については定説がないという。イノシシを食用にするために飼育することは、縄文時代までさかのぼることができ、大和朝廷にはイノシシを飼養する猪飼部があったというが、これがブタであったかは明らかではないようだ。「猪」の文字を中国から移入した古代日本には、ブタを飼う習慣がなかったため、この字がイノシシを指す言葉として定着したとの説もある。16世紀後半には、日本に渡来した中国人やポルトガル人の影響で、一時ブタの飼育が広まったという。日葡辞典には、「Buta(ぶた) イエノ イノシシ」という記述があるというから、この時期にはブタという言葉があったことは確実である。
イノシシとブタは、家畜化の歴史がきわめて古いヨーロッパや中国では、もともと同じカテゴリーに含まれる動物と認識されていた。日本では、ブタが移入された際にイノシシとは異なる動物として認識され、独立した名称が与えられたということだろう。
ウサギとイノシシ、ブタの名称の問題を追っていくと、家畜化とその移入の時期と、その際の動物、家畜の利用の状況などが関係していそうである。しかし、日本へブタが移入されたときには独立した名称が与えられ、アナウサギが導入されたときにはウサギの一種と見なされた理由はよくわからない。
この問題を追及するには、動物の名称の言葉の変遷、用例という言語学的側面と、動物の分布、系統という動物学的側面、家畜化の歴史という畜産学的側面を重ね合わせる必要がある。参照した図鑑、辞典類の多くは、三つの視点が統合されていない。この意味でいちばん参考になったのは、博物学を目指した荒俣宏「世界大博物図鑑」(平凡社)だった。南方熊楠「十二支考」(岩波文庫 ISBN:4003313917)が参考になるかもしれない。
区立図書館での調査では、ここまでが限界のようである。さらに検討を深めてみたいと思う。
参考文献:「日本国語大辞典第二版」(小学館)、「朝日百科 動物たちの地球」(朝日新聞社)、「動物大百科」(平凡社)、荒俣宏「世界大博物図鑑」(平凡社)