メランコリー

若桑みどり「イメージを読む(美術史入門)」(ちくま学芸文庫 ISBN:4480089071)に、メランコリーをテーマとしたデューラーの「メレンコリアⅠ」*1という絵について解説している章がある。
そのなかで、ヨーロッパにおける人間の気質の伝統的な捉え方について次のように書かれている。

万物を合成しているのは四つの元素(引用者注:空気、火、水、土のこと)……の支配によるものだというところから、軽くて陽気な多血質は空気、はげしくて怒りっぽい胆汁質は火、怠惰で不活発な粘液質は水、暗くて冷酷な憂鬱質は土が支配していると考えられていました。

そして、中世においては、憂鬱質、すなわち、メランコリーには否定的なイメージが与えられていたが(現代でも、あまり肯定的なイメージはないと思う)、ルネサンスに入ると、メランコリーには創造的天才という属性を与えられるようになったという。
「メレンコリアⅠ」に描かれている男性は、メランコリーを象徴するポーズを取っているが、背には翼が描かれている。「イメージを読む」によれば、パノフスキーという評論家は、この男性は翼があるのに飛べない無力な天才という解釈をしているという。若桑みどり自身は、憂鬱のポーズに翼を与えたことを人間の思考の潜在的能力を示したとも考えることもできる、と言っている。
そして、このようにメランコリーには、いくつかの解釈が可能だということ、自分自身の体験にひきつけて、次のように書いている。

 感じやすい成長期には、自分自身の性格がいやでたまらない時期があるものです。いまから思うと、私自身、自分の性格でずいぶん思い悩みました。それは、のちに美術史をやって、このメランコリーという性質が、中世以来もっと不吉で暗い性格とされていたのに、十五世紀末になって、もっとも天才的で英雄的になりうる性格だと解釈されるようになったということを学んだときに、もっと早くそれを知っていたらよかったのにと思ったほどです。
 実際、私は子どものころから子どもらしくなく、暗く、怠惰で、憂鬱な人間で、人びとにきらわれていました。友だちも少なく、孤独でいつもひとりで空想にふけっていたので、家族からも「屋上の狂人」とよばえていました。いつも屋根の上にのぼって空を見ていたからです。もっともそれだからといって、私に天才とか英雄とかの萌芽があったというわけではありません。ただ、私は西欧人が、人それぞれの個性をとにかく認めるという哲学をもっていた、という事実を重大なことに考えます。

自分もメランコリーが勝っているから、こんな若桑みどりの気持ちがよくわかる。
これを読んで、少し、勇気づけられた。

*1:三段目にこの絵の画像がある http://www.nagoya-boston.or.jp/tenran/10_01.html