日本の伝統と私

百代の過客―日記にみる日本人 (上) (朝日選書 (259))

百代の過客―日記にみる日本人 (上) (朝日選書 (259))

百代の過客―日記にみる日本人 (下) (朝日選書 (260))

百代の過客―日記にみる日本人 (下) (朝日選書 (260))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

このウェブログで、「伝統」というテーマで何度かエントリーを書いたことがある。それらのエントリーは、「日本の伝統」を称揚する「伝統主義者」の主張する「日本の伝統」のいかがわしさを暴露したものである。彼らのいう「日本の伝統」は実際に過去から受け継がれてきたものではなく、彼らが「こうあって欲しいと考える日本の姿」を過去に投影し、現在の観点から過去のさまざまな事象から都合のよいものを拾い集めて再構成したものである。しかし、伝統というものが存在しないわけではない。「伝統主義者」は、「日本の伝統」がすばらしいものと楽観的に語る。しかし、日本の伝統は、現在の私にとって望ましいかどうかは無関係に、私自身を拘束するようなものだと思う。
「百代の過客」は、平安時代から幕末までに書かれた76の日記を題材にして書かれた随筆である。これを読んでいると、テーマを定めずに漫然と身辺雑記を書いたウェブログの存在が、日本における日記、特に、和文で書かれた歌日記とは伝統で結ばれているように思える。私は「山の手の日常」を日本の日記の伝統を意識して始めた訳ではないが、深く考えもせず「日記」という形式を選んだ。もし、現在のウェブログと過去の日本の日記が伝統で結ばれているならば、なぜ私がそのような伝統的な形式を意識せずに選んだのか、過去の日記と私がどのような経路でつながっているのか不思議に思った。
ドナルド・キーンによると、どんな国でも日記というものはつけられているが、小説、随筆などと並んで日記が重要な文学形式となっているのは日本だけだという。日本の日記は、漢文による日記と和文による日記があり、漢文による日記は公的な記録が中心で文学として書かれたものは少なく、和文の日記は私的な性格が強く主観的に自分自身の情念を投入しているところが特徴となっている。和文の表現される内容は、直感的でかつ茫漠としている。日記は日時の推移という枠組みで、そのような和文にゆるやかな構造をあたえている。つまり、和文と日記は相性がよく、それゆえ、日本では日記が重要な文学形式となっている。
この「山の手の日常」は、身辺の話があり、テレビで見たスポーツの話があり、固めの論説があり、本を読んだ感想がありときわめて雑多であり、これを統一している構造は日時以外にない。書き手である私から見ると、書きたい内容が特定のテーマに限られていないため、この日記というゆるやかな形式は非常に書きやすい。だからといって、ウィキのようなまったく自由な形式のなかで文章を書くのも、それはそれで手がかりがなくて書きにくい。日記の構造は、ちょうど私の書きたい内容に見合っているのである。
それでは、私は、なぜこのような雑多な内容の文章を書きたいと思ったのか、また、日記という形式を無意識で「発見」できたのか。なぜそれが伝統的な和文の日記の形式と一致しているのだろうか。やや大胆に仮説を立ててみようと思う。
自分個人の経歴を振り返ってみると、公的な文章は職業上かなりの分量を書いているけれど、私的な文章はこのウェブログとそれほど書かないプライベートなメールぐらいなものである。ウェブログを始める以前に、ここで書いているような私的な文章を書いた記憶をたどると、学校教育での作文と日記ぐらいしか思いつかない。ウェブログを書き始めたとき、ごく自然に日記という形式を選んだのは、学校での作文教育に起源があるように思う。もし、私が受けた作文教育と和文の日記の伝統が接続しているとすれば、このウェブログは日本の伝統を継承しているといえそうである。
長年、学校での作文教育で行われている自由作文とはなんなのか、疑問に思っていた。私の場合、たまたまウェブログという媒体にであったから趣味として自由作文のようなものを書くようになったけれど、自由作文を書く必要にせまられたことはない。もし、作文教育の目的が、実用的な文章を書くことであるとするならば、自由作文を書かせるということはあまり効率が良くないように思える。
そんなことを考えるようになったのは、アメリカの作文教育を受けたことがきっかけだった。アメリカでの作文教育は、構成を重視しており、ある意味、型にはまった文章を書かせる。この作文教育の内容を知るには、木下是雄「理科系の作文技術」を読んでいただければよいと思う。まさに、木下是雄の本の題名がよく表しているように文章を作成する技術の習得を目的としている。これに比べると、自由作文による作文教育には構成への指向が乏しいことが大きな特徴だと思う。
日本語で論理的で構成が明快な文章が必要ないわけではない。また、そのような文章がかけない訳ではない。論理性を求められる公的な文章は、江戸時代以前は漢文、明治時代以降は漢文脈の文章によって表現されていたのだろう。一方、これはまさに平安時代からの伝統として、漢文、漢文脈の文章と平行して、私的で情緒を表現する和文脈の文章があった。理由はよくわからないが、戦後の学校教育のなかでは、漢文脈の文章は作文教育から外され、和文脈の文章、すなわち、私的で情緒を表現する作文教育が中心となった。それが、自由作文ではないだろうか。
漢文脈の文章を書くことができる人は少なくなった。また、日本国内において、かつての漢文のように英語などの外国語を使って公的な文章を書くことない。その結果、学校教育とは別に、必要に応じて高等教育や職場などの現場において論理的な日本語の文章を書く試みが行われたのであろう。「理科系の作文技術」はその代表例である。この本は「理科系」とタイトルについているが、内容は必ずしも理科系に限らない。論理性で構成が明快な文章を現代日本語で書くための一般的な技術が書かれている。それがあえて「理科系」とタイトルにつけられているのは、木下是雄が「文科系」の文章が和文脈、自由作文系統と認識しているのだろう。
思いつくままに書いていたら散漫な文章になってしまった。ここで、今日のエントリーについてまとめてみたい。日本語の文章は、伝統的に、公的、論理的、構成的な漢文系の文章と、私的、情緒的、無構成的な和文系の文章がある。和文系の文章は構成が乏しいが、まったくの無構成では書きにくく、読みにくいため、日時の推移を利用した日記という形式が好まれた。和文系の文章は、自由作文を中心とした作文教育として現在でも受け継がれている。そのような教育の結果、この「山の手の日常」を含めて、和文の伝統を継いだ日記という形式を持ったウェブログが広く書かれている。その一方で、漢文系の文章は形を変え、主に文章を書く現場で新しい形で作られている。
誰かこんなテーマで研究をしている人がいないだろうか。