幕末の日本語学習

アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」を読んでいる。実に面白い。
アーネスト・サトウは、初代の英語と日本語の通訳者である。彼が通訳者になったときには、イギリスには日本語を話せる人はほとんどいなかったし、また、日本には英語を話せる人がほとんどいなかった。イギリスの外交官と日本政府は、英語、オランダ語、日本語を経由してコミュニケーションしていたようだ。
最近、私自身、英語の勉強をしているけれど、そのような環境でアーネスト・サトウはどのように日本語を習得したのか興味がある。

…官費で日本人の「教師」を雇うことをも許してもらった。…断っておくが、「教師」と言っても「教える」ことのできる人をさすのではない。日本でも、北京でも、当時の私たちは一語も英語を知らぬその国の人間を相手に勉強したのだ。文章の意味を知る方法は、小説家のポーが「黄金虫」の中で暗号文の判読について述べているのと、ほとんど同様のものであった。…高岡(駐:日本語教師)は、私に書簡文を教えだした。彼は、草書で短い手紙を書き、これを楷書に書きなおして、その意味を私に説明した。私はそれの英訳文を作り、数日間はそのままにして置いて、その間に原文の写しのあちこちを読む練習をした。それから、私の英訳文を取り出して、記憶をたどりながら、それを日本語に訳し直した。(pp66-69)

図らずもダイレクトメソッドで日本語を学習することになったらしい。このなかで、彼の日本語教師である高岡が、「書簡文の内容を説明する」と書いてあるが、どのような方法で説明したのだろうか。興味がある。
「一外交官の見た明治維新」を読むと、アーネスト・サトウが日本の武士たちと会話をしたという話がよく出てくるから、会話はそれなりにできたのだろう。しかし、彼は、外交のための通訳官だから、文書の翻訳が重要な仕事になる。それは、なかなか困難であったようだ。

…この覚書と同封で、天皇(ミカド)がその大臣たる関白に下した、外国事務の処理を大君(タイクーン)に委任するというわずか三行ほどの短い布告文書が届けられた。…私はフランス公使の面前で、日本語の書面に関する自分の知識を発揮した訳だが、この夜は私にとって誇らかな一夜であった。フランス公使の通訳メルメ氏でさえも、自分の教師の助けなしにはひとつの書類さえも読むことができなかったのである。 (p190)

フランスの通訳のメルメ氏ですら、ひとりでは日本語の公式文書を読むことができず、アーネスト・サトウは三行の文書を読めたことを誇っている。実際、当時の通訳の文書の判読能力の低さが想像できる。
余談であるが、アーネスト・サトウの本は、現代の英語で書かれている。しかし、日本では、特に、書き言葉については、この期間に大きな変遷があった。興味深い事象である。

一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)

一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)

一外交官の見た明治維新〈下〉 (岩波文庫 青 425-2)

一外交官の見た明治維新〈下〉 (岩波文庫 青 425-2)