日本は民主主義国家なのか

日本は本当に民主主義国なのだろうか。
形式的に言えば、日本には憲法があり、憲法に規定された議会があり、国会議員は国民が選挙で選び、議会の多数派から総理大臣が選ばれ、与党から大臣を選び、大臣が官庁をコントロールする、という制度になっている。国会議員選挙を通じて国民の意志が、政治や行政に反映される「はず」である。
しかし、現実には、民意は政治や行政に反映されていない。今回の原子力発電所の事故で、日本の原子力政策が厳しい批判にさらされているけれど、これまでの原子力政策は民主的な統制が行われてきたとは言えない。そして、厳しい批判があるといっても、今後、民主的な統制ができるかはっきりしない。
吉岡斉「原子力の社会史」で述べられているように、日本の原子力政策は、一部の政治家、官僚、電力会社、原子力メーカー、原子力研究者が結託した「原子力村」と呼ばれるサブガバメントがコントロールしてきた。サブガバメントとは、政治家、官僚と利害関係者が特定の政策領域に関して、自らの利益を追求し、自律的にコントロールする集団のことである。アメリカにおける軍事産業をコントロールする「軍産複合体」がサブガバメントの代表例として有名である。
サブガバメントは総理大臣ですら統制できないことが多く、議会の選挙を通じた国民の民主的な統制の外にある。サブガバメントが形成されるときには、その政策についてそれなりの合理性があることが多い。しかし、ひとたびサブガバメントが形成されると、自己の利益の追求と既得権益の確保のために、サブガバメントの存続や肥大化自体が自己目的化してしまう。そして、時間が経ると、国全体の公共的な利益からは大きく外れた存在になってしまう。
日本では、「原子力村」に限らず、さまざまな領域でサブガバメントが作られてきた。農業、建設業界、郵政公社、金融業界などが代表的なサブガバメントだと思う。これらの日本のサブガバメントの起源は、戦前・戦中期にあることが多い。
戦前・戦中期の日本は、ドイツやイタリアのようにファシズム体制だったと言われることが多い。しかし、私見だが、ドイツやイタリアと日本とではその体制は大きく異なっていたと思う。ドイツやイタリアは、独裁者としてのヒットラームッソリーニによって国家の意志が統一されていた。そして、彼らの暴走によって国が誤った方向に進むことになった。一方、日本では、ヒットラームッソリーニように国家の意志を統一するような存在はなく、逆に、国家の意志が統合されず、サブガバメントが無秩序に行動していたことが問題だった。
明治憲法では、形式的には天皇を中心に国家が統合されることになっていた。しかし、天皇は実権を持っていなかったし、内閣総理大臣の権限は制約されており、特に、政府は軍部を統制することができなかった。当時の日本は、政治家、官僚、財閥、軍部などが割拠し、サブガバメントを形成して、それぞれバラバラの方向に向かって進んでいた。軍部は日本の国のなかで、半ば独立した存在であり、さらに、軍部の内部も分裂していて統制がとれていなかった。
ドイツは、ヒットラーの意志のもと、周辺諸国への侵略を始めた。しかし、日本が中国と戦争を始めたのは、中国大陸に派遣していた部隊が独自の判断で戦争を拡大した結果であり、当初、政府は中国との戦争を収束させようとしていた。しかし、その試みは失敗し、泥沼の長期戦に巻き込まれることになる。
日中戦争を契機として、日米関係は決定的に悪化する。しかし、中国と戦争をしながら、アメリカと戦争をして勝てる見込みがあると考えていた人は日本にもほとんどいなかった。しかし、国家の意志を統一することができず、真珠湾攻撃をすることになる。そして、日本の主要な都市はアメリカ軍の爆撃で破壊され、広島と長崎に原爆が投下され、日本は連合国に降伏することになる。
アメリカの占領下、日本軍と財閥は解体され、より民主的な日本国憲法が作られる。軍部を中心としたサブガバメントは解体されたけれど、日本の政府が戦中期に作ったサブガバメントは温存されることになった。特に、農業や工業、金融などの産業を政府が統制する体制は、戦後の日本の特徴になった。
戦後の日本は、急速に復興と経済成長を遂げた。サブガバメントは特定の業界、企業に利益を誘導するものだけれども、日本全体が成長していたから、多少富の分配に不公平があっても深刻な不満を抱く人は少なかった。また、軍部がなくなった代わりに、日本の安全保障はアメリカに依存、従属することになり、日本政府、日本人が自ら決断を下すことはなかった。冷戦期においては、ソビエト連邦がアメリカ、日本共通の脅威であり、ソビエト連邦に対抗するという目標が明確だった。
1955年に自由民主党が成立し、日本の政権は自由民主党が独占する時代が2000年代まで長く続いた。自由民主党は、明確な思想、目標があるわけではない。サブガバメントの代表者の集合体、野合であり、サブガバメント間の調整とその存続を維持することが目的だった。自由民主党に代わって政権を取る能力がある野党は存在せず、国民は議会選挙を通じて政策を変更したり、サブガバメントを解体する現実的な選択肢はなかった。
1960年代に、アメリカの従属することに対して抗議の声が高まり、全国の大学で学生運動が活発になった。しかし、結果的には、学生運動は国民全体の支持を得ることができず、失敗に終わる。結局、現状の体制を維持したい勢力に敗北したということだった。
しかし、1990年代にバブルとベルリンの壁が崩壊し、経済成長と冷戦の時代が終わると、サブガバメントの弊害が意識されるようになった。しかし、批判にさらされながらも、サブガバメントは強固で、なかなか解体されることはなかった。
サブガバメントは、政治家、官僚、民間企業、学界など多様な主体が複合した存在だったが、特に官僚がサブガバメントの黒幕として批判されるようになり、官僚から政治家が主導権を回復する「政治主導」ということが主張されるようになる。そして、自由民主党に代わって政権を担う政党を育成し、政権交代によって国民が議会の選挙を通じて政策に影響を与えることができるような体制を作ることを目指した政治改革が、後藤田正晴小沢一郎によって進められた。
皮肉なことに、自由民主党の総理大臣だった小泉純一郎が、日本の代表的なサブガバメントであった国営の「郵政」の解体を進めた。小泉純一郎は個人として国民の強い支持があったため、自由民主党内の「郵政」サブガバメントに属する議員を排除し、「郵政」の民営化に成功する。しかし、小泉純一郎の個人的な支持に頼っていたため、彼が総理大臣から引退すると、自由民主党は弱体化した。
そして、2009年に自由民主党から民主党政権交代が実現した。民主党は大きな政策変更を掲げて政権の座に着いたけれども、現実には、サブガバメントの壁に阻まれ、また、民主党内の内紛によって有効な改革が進めることができない。戦前にも二大政党による政党内閣が実現した時期があった。しかし、政党の腐敗、政略の横行によって、国民の信頼を失い政党内閣は失敗に終わった。今回の自由民主党から民主党への政権交代は、現時点では成功とはいえないけれど、今回こそ成熟した民主主義のシステムが定着することを望む。
福島第一原子力発電所の事故を契機として、原子力発電政策に対する厳しい批判が高まっている。しかし、現状では、民主党が統一して「原子力村」の解体に取り組むという姿勢は見られない。菅直人総理大臣は、原子力政策の大きな変更を考えているように見えるが、所管の経済産業大臣海江田万里は「原子力村」を温存している。菅直人民主党内で孤立しているから、どこまで「原子力村」を解体できるか未知数である。
現在、民主党に対しても、自由民主党に対しても、国民の不信感は根強い。現在の政治家に対しては、日本国民はほとんど絶望しているのではないかと思える。しかし、1960年代のように反政府、反体制の運動が盛り上がるということはない。
日本の原子力政策について英語で書いたところ、日本の国民はなぜ政府と戦わないのか、また、自らのすべきことをしない人は自らの望むことを手に入れることができないというコメントがあった。この指摘は正しいと思う。日本の国民は政府と戦わないから、自らの希望を通すことができない。現在、日本で政府と本気で戦っているのは、アメリカ軍基地の移転を求めて戦っている沖縄の人々ぐらいだと思う。
なぜ、日本の国民は戦わないのだろうか。そして、なぜ、自分は戦わないのだろうか。日本が民主主義国家であるならば、国民がその意志を実現するために戦うことが当然だ。民主主義の理念が国民に、そして、私自身に内面化されていないということなのだろうか。日本は民主主義国家なのだろうか。また、日本の人々は民主主義を信じているのか、また、民主主義国家を理想とし、それを目指そうとしているのだろうか。深刻な疑問を感じている。

原子力の社会史―その日本的展開 (朝日選書)

原子力の社会史―その日本的展開 (朝日選書)